「大は小を兼ねない」
「大きいことはいい事だ」なんて言った所で、ある世代より下は何の
ことか分らないであろう。
もっとも、私もこのCMが流れていた頃は生まれていない。
いわゆる、高度経済成長期の産物である。
上の枕で言ったどうでも良い(笑)例もある位で、ある時代までは、ほぼ
どんな物でも、大きい方が良かったわけである。
これは、人間が体を使うものも例外ではない。身長が高い方がリーチも
あり、また筋力もある事が多い。少なくとも、そう思われる事が多い。
単純に、ほとんどの場合、有利である。
だから、身長が欲しい、欲しかった、などと言う話がある訳である。
#競馬の騎手など例外もあるが、ここでは考慮に入れない。
では、武術においてはどうか。競技武道においては(少なくとも体重
などを考慮に入れない、無差別級においては)やはり有利である。
リーチ、体重差、共に欠点にはあまりならない。
しかしながら、いわゆる「達人」「名人」は、ほとんど身長が低い。
場合によっては、男性でも女性より低いことすらある。
年老いてもなお強い、これは理想の一つだが、なぜ身長が低い人に
多いのだろう。少し考察してみる。
そもそも、「術」は小さい人のものである、と言う定義をする場合が
ある。術の定義は異論が多々あると思うので、あえてせずに曖昧な
ままにしておく。
大きい人は、小さい人よりも簡単に、先に技が届いてしまう。リーチがある
からである。また、同じ技を使った場合、威力がある場合がほとんどだ。
同じ技なら、筋力があった方が威力が上がりやすいからだ。
では、小さい人は大きい人に勝てないのか。そんなことは無い。
ここで出てくるのが「術」である。漫画やアニメのような、
一般人が見てビックリするような事が普通に起こる。
逆に考えて、なぜ大きい人の術は練度が低いのか。これは簡単な話で、
工夫をしなくても、肉体的には、相対的に優位に立ってしまえるからだ。
絶対的な指標が無い以上、相対的に勝ってしまえばそれ以上の工夫は
要らないとも言える。
武術においては、どの段階においてもさらに高みを目指すために、それ以上の
工夫は要らない、なんて言う事は(少なくとも僕の認識では)存在しない。
ただし、身体感覚と言うか、認識できない部分は別である。
簡単に言うと、体が楽をしてしまう、と言う事だ。
小さい人が工夫をして、体を使って届かせるものが、ひょいと届いて
しまう。体を使う工夫は、知識では知っていても必要ない(と体が
感じてしまう)。小さい人が工夫をして出した威力に近いものが、
何の努力もしなくても出来てしまう。これはある意味欠点となりうる。
必要ない動きは、意識していても体が省略してしまうわけだ。
あるいは、筋力を鍛えるだけで十分に強くなってしまう。
特に武器術において顕著であるが、具体例は述べない。
ここで問題なのは、術を習得する過程で、工夫をすることで無駄が省かれ、
エネルギーロスが最小限に近づく事だ。また、場合によっては通常使われて
いなかったり、無意識でしか使っていない筋力などを意識的に制御できる
ようになる場合すらある。術がこのレベルに達すると、見た目はいとも
簡単に、小さい人が大きい人を圧する、制する事が出来る。しかも、
この状況はちょっとした努力ではひっくり返す事が出来ない。
また、年齢が上がって行っても術の効果が落ちることはあまり無い。
場合によっては効果が上がり続ける事すらあるかもしれない。
術を習得したい大きい人は、意図的に小さい人の術を真似するべきだ。
あるいは、仮想的をより大きく、強大に設定すべきだ。これでやっと小さい
人に近いスタートを切れる。これですらハンディがあると思う。
また、女性は男性と比べて筋力が少ないことが多いため、やはり小さい人の
術を真似した方が良い。効率良い術が習得できれば、術を知らない人より
優位に立つのはそれほど難しい事ではない。
ただし、術を超える筋力(及びその練度)と言うものも存在する。
#これはこれで一種の術なのかもしれないが、筋力に依存しているが故に
#肉体的な衰えと共に変化、消失していく術であり、あまり伝えられる
#属性のものではない。
それが故に、術の使い手は、筋力によるものに超えられないように更に
術を工夫しなければいけない訳だ。
なんとも業が深い趣味である。もっとも、趣味は多かれ少なかれ
業が深い気もする。趣味といったら怒る人もいそうな所が、より一層
業の深さを物語っている。
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