エッセイ<随筆>




 ペペの店<4>

 




 ラスパルマスの気候は、穏やかである。一年中が日本で言えば五月の気温だ。
 新年を江島さんのアパートで迎えた。
 昨夜は大騒ぎだった。江島さんのアパートは通りに面している。新年の十二時と同時に街を走る車が、一斉にクラクションを鳴らし始めた。
 クラクションを合図に、人々は道路に飛び出した。手に手に花火を持ち盲滅法、打ち上げる。歓声と怒号が飛び交う。
 その華やかな光景を我々は、三階のベランダから見下ろしていた。我々の立っているところに向かって、花火を打ち上げる愉快な不心得者も数人いるらしい。こういう正月もいいもんだ。

 「おい、領事主催の新年会がある。一緒に行ってみないか? 良い経験になると思うぞ」 「着るものは、これでいいですか?」
 私はTシャツに、サハリジャケットの着たきり雀。
 「それじゃ、まずいな。襟のあるシャツとネクタイがいるかな? それは、俺が用意しよう」
 江島さんお気に入りの、アルファロメオの助手席に私は座った。
 どこを、どう通って領事館に行ったかも覚えていない。建物の記憶もない。ただ、中庭で開かれた新年パーティーの光景だけは、ありありと思い出す。
 明るく、広いテラスに料理が並べられ、正装に身を包んだ男女が集まっていた。ラスパルマスで活躍している日本人が招待されている。殆どが企業の駐在員の家族である。
 領事はモーニングコートに身を包み、令夫人は和服をお召しだ。愛嬌を振りまきあたりを挨拶して廻られる。
 私は強い違和感を覚えていた。身の置き所がなかった。萎縮しているせいではない。怒りからである。
 「おい、もういいか。帰らないか?」
 江島さんはそう言った。 
 むろん私に異論のあるはずがない。
 「帰りましょう」
 「分かった、ちょっと待て」
 そう言うと彼は、人波を分け入り二〜三人と挨拶を交わすとすぐに私の処に戻ってきた。 「さあ、行こう」
 我々二人は、早々と新年パーティーの席を後にした。

 アルファロメオの車内は狭い。窮屈そうにシートに深く腰を沈めた私に、江島さんは話しかけた。
 「谷、お前感情がすぐに顔に出るぞ、気をつけた方が良い、損をするぞ」
 「気をつけます」
 「しかし、無理はない。あんなもんだよ、あれが奴らの仕事だ。在留邦人を集めてのパーティー、水産庁のお偉方の接待、農水族議員の接待、それがすべてだ」
 彼の言う奴らとは、言うまでもなく着飾った領事ご夫妻のことである。
 「ご夫妻の身の回りの貴金属、子どもの衣服から、家族の食事代まで全部公費だ。ペペに聞けば良く分かる。ペペは大事なお客様だからペコペコするが、心の中では軽蔑してるぞ。しかも、あれが仕事だと言うんだからなあ・・・・・唾棄すべきだよ」
 江島さんは漢であった。 
 案の定だった。
 私の想像どおりであった。
「悲しくなった」などという、大人の自己保身に起因する逃げの感情は、若い私の身に着いてはいなかった。
 心底、腸が煮え繰りかえった。
 特権階級は認める。決して悪いことともでもなく、良い側面も多い。
 問題は、特権階級意識。その意識の発露の仕方ではあるまいか。
 奴らは、卑しい下司である。品性の欠片もそこには無い。
 三十年後の今日、外務官僚の本性が世間の常識になりつつある。むろんそうでない立派な外交官もおられると思うが、あいにく私は知らない。
 (失礼、希な例外として、偉大な杉原千畝氏がおられたことを外す訳にはいかない)
 陸奥宗光、小村寿太郎・・・・・外交官の伝統は、明治で終わってしまった。
 「鹿鳴館」の意義は明治で終わっているのだ。
 しかるに、残っているのは、形骸化し歪められ腐臭を放つ現代の「鹿鳴館」ばかりだ。

 同じことを現在の法曹界に感ずる。裁判官、検事、弁護士である。その実体が世間に明らかになるのに、やはり三十年の時を必要とするのだろうか?
 それだけではあるまい。特権階級あるところには、特権意識が生ずるのはあたりまえである。それ自体は悪いことでも何でもない。
 その発露が、卑しく下品に陥らないことを切に望む。

 「おい谷、ブラック・アフリカからの帰りも必ず立ち寄れよ」
 「ああ、そうしようと思っている。ペペも元気で」
 私は、波止場でペペと握手を交わしていた。
 世話になった、江島さんとの別れはすませ、彼は仕事中に入っている。
 「砂漠がそんなにいいのか?」
 「良く分からない。取りあえず拘っているだけだと思う」
 「何だ、それは?」
 と、ペペは怪訝そうな顔をして言った。
 「何だか分からない」 
 私も、怪訝そうな顔をした。
 「じゃあな!」
 そう言うと、ペペは握っていた私の手をやっと離した。
 「じゃあ、ありがとうペペ!」
 ペペは去っていった。

 また、四十八時間の船旅が始まる。行く先はセネガルの首都ダカールだ。
 西暦1492年、コロンブスは、遙かインドを目指してグランカナリアを出港した。 燃える希望と確固たる目的をもって。
 私も同じグランカナリアを出港する。
希望も、さしたる目的も持たずに。
 「どういう目的でサハラ砂漠に行くんだ?」
 日本で何度同じ質問を受けたことだろう。目的が分かれば、わざわざ行くこともない。という、極めて非論理的なことを思っていた。
 煎じ詰めれば、単に『希望と目的』を探しに行くのだ。
 それが見つかれば、生きていることもない。と、またもや異国の波止場で非論理的なことを思っている。
 もうすぐ、出港である。背にリュックを担いだ。
 その時突然、ミゲールの風貌が脳裡をよぎった。
 彼ははたして、希望と目的を持っていたのだろうか?


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