エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(19)

 


 
 「空は晴れても心は闇だ」
 というセリフがある。ふざけてはいけない、それはバチ当たりの吐くセリフだ。三人は雨の夜道をねぐら求めて彷徨っているのである。空さえ晴れていてくれたら、いや、せめて雨さえ降らないでいてくれたなら、天然のしとねに疲れた身体を横たえて、寄り添うようにしてこの場で一夜の夢を結ぼうものを。それすらままならぬとは!
 それでもなお「空が晴れなくて心も闇だ」なんて弱音を吐けないのだ。 
 芝居は変わって、
「月さま、雨が……」
「春雨じゃ、濡れて行こう」
 おぉおぉ、濡れろ濡れろ、一日中濡れて行きやがれ!

 気が付くと、雨の中をどういう訳か人里とは反対の山へ向かって彷徨い歩いていた。確信があった訳ではない。確立の高さからいうなら、人家のある方に向かって当然だろう。にもかかわらず、まるで見えざる糸にあやつられでもしているように、寂しい方へ寂しい方へと分け入って行ったのである。暗くてよくは見えないが、道の右側は小高い山になっており、左側は畑か雑草の生い茂る野ッ原のようである。
「おい、あれは?」
 突然、ミチさんが驚きの声を発し、森の方を指さした。
「石段がある。神社の石段みたいだ!」
 そんな筈はない。彼はきっと悪い夢を見ているに違いない。そうでなければ疲れと空腹のために頭が狂ってしまったのかも知れない。神社なら当然五万分の一の地図に記されていてしかるべきだ。表通りの雑貨屋の前で、あれほど綿密に調べたではないか。このあたりに神社などあるわけはないのだ。

 念のために、ミチさんの指さす方向に歩いてみる。懐中電灯をかざしてよくよく見ると、驚くなかれ、あり得ないはずの石段が確かにあるではないか。それは小高い丘のてっぺんまで続いている。さらに鳥居らしきものまで認められる。鳥居の奥には神殿があるはずだ、絶好の寝場所である! 頭の中は連想ゲームのように、次々と都合の良い光景が浮かんでくる。
 しかし、しかしである。三人は思わず互いを見つめた。言いたいことは分かっている。この急な石段を頂上まで登るのは骨だ。それに、もしかしたら丘のてっぺんには鳥居の他に何もないかも知れない。
「嬉しがらせて、泣かせて、消えて…」
 歌の文句ではないが、四苦八苦して頂上まで登ってみたら、なにもなかったでは泣いても泣ききれない。
三人はしばし躊躇したが、とにかく登ってみることにした。小雨、夜、疲れ切った身体、他に選択の余地はなかった。
 苦労しながら、ベストを尽くしている三人に、まさしく神の加護が訪れたのだと願いつつ石段に足をかける。
 
 石段は想像以上に険しく、かつ長かった。しかも雨に濡れて滑りやすい。注意深く一歩一歩登っていく。疲れた身体に荷物を背負っている。足を踏み外せば大変なことになる。膝を押さえながら歩を進める。
 ようやく頂上に到達した。我々は言葉もなく呆然と立ちすくんだ。果たして、そこには思い描いていた光景が出現しているではないか。神殿がある。その前には御手洗、境内の左手には神楽殿まである。仮寝の宿とするにはあまりに立派すぎるというのが偽らない感想である。しかも、社務所はなく、ことわって一夜の宿としようにも人はいない。黙って寝ていいことになると勝手に納得した。どう考えてみても、これは神の導きとしか考えられない。

 ただちに三人揃って、神殿に向かって神妙に二拍二礼一拍のカシワデを打つ。
「神様ありがとうございます。御心に甘えて一晩泊めて頂きます」
 むろん神様は、良いとも悪いとも仰らないが、拝んでしまえばこっちのものである。
「ついでにこの場所をお借りして、食事をさせて頂きます」
 と、次第にずうずうしくなり、神殿の回廊に、さばの水煮、イワシの缶詰、ベビーハム、はてはウイスキーの瓶まで並べて晩飯の準備を始める。主食はインスタントラーメンで、これをこしらえるには熱湯が必要になる。なんとなく機械類の担当になった私が、いつものように手際よくラデュース(商品名です。当時はキャンプ用コンロとしてはブランドものだった)をセットし灯油を注ぐ、そしてエアーを送り込んで点火した。
 ここまでは、極めて順調であった。ところがどうも、炎の具合が変なのである。私がのぞき込もうとした瞬間、ラデュース全体が火柱をあげて燃え上がった。私は責任上なんとかせねばと手を延ばし、くい止めようとするのだが、どうにもならない。火勢が強すぎて恐怖を覚える。

 神殿に火が移る。火事になりかねないと判断した私が取った行動は、思わずグランドシートを鷲づかみにしたことだった。これを被せて空気を遮断しようというわけだ。コンロの燃料は灯油である。御手洗の水をぶっかけても、火は広がるだけだと瞬時に判断したのだった。これは、必ずしも間違いとは言えないが次善の策であった。消火は出来るだろうが、少なくともコンロとグランドシートは使えなくなる。その時、背後から声が掛かった。
「エアーを抜くべきだ」
 冷静なマサさんの声だった。その言葉で我に返った私は、軍手を水に浸してエアーを抜く、さらにタオルでねじの部分を押さえ、無事に火を消し止めた。助かったのはグランドシートとラデュースだけではなかった。マサさんと協力してラデュースを分解して組み立て元通りの機能回復に成功した。原因は解った。燃料の注ぎ口のネジがずれて、きちんと閉まっていなかったのだ。
 こんどは順調に炎をあげている。マサさんと顔を見合わせ思わず微笑んだ時、二人は同時に気が付きミチさんを見た。彼は、なんとこの騒動のあいだ、神楽殿の下で、頬杖をつき横になったままだったのである。

「ありがたい、これでラーメンにありつける」
「えっ、まあそうだが…ミチさんあんた…」
 寝転がったままのミチさんに、私は一言いおうとしたが、彼はそれを遮るように言った。「心配したぞ、火事になるかもしれんと思った」
「それじゃあ…」
 その時、あんたは何をしたのだ! と言いたかったが、年上ではあるし何とか気持ちを抑えた。
「次ぎに、火事の心配は無くなったが、グランドシートとラデュースが駄目になる」
「それから?」
 私は、ミチさんに釣られて言葉を挟んだ。
「次ぎに、グランドシートも助かったと思った」
 ミチさんは身体を起こし微笑みながら言った。 
「次ぎに」
 私の声はいささか強ばった。
「ラデュースもよくなりゃ、ラーメンが食えるじゃないか」
 コンロが火炎につつまれるという事故は、いみじくも三人の性格を、顕わにしてしまう結果となってしまった。

 野営用のライトの光は、雨だれに反射し遠くまで届かない。我々以外に物音のしない回廊で食事をする。腹に食物が入ると心身共に回復する気がする。ありったけの食料をすべて平らげ、ウイスキーも飲み干してしまうと、急激に眠気に襲われる。今夜の寝所は神楽殿に決めていた。
 光力のあるキャンプライトを手に神楽殿へ向かう。二つのライトは、私とマサさんが持ち、ミチさんは懐中電灯を手に後から付いてくる。裏木戸から入ると、階段を登って舞台に出るようになっている。舞台の奥が楽屋だ。舞台は広々としている。空手の自由組み手の稽古が、二組出来るだけの広さは十分にある。豊作を祈願し、春にはここで田楽能が催されるに違いない。あるいは秋祭りの時に舞われるのかも知れない。楽屋も広く、田楽能の機材の準備を考慮してだと思われる。

「おい、テル、空手の型でも演武しろよ」
 マサさんが言うのも無理はない。立派な板張りで演武するには絶好の場所である。いっぱつ奉納してやろうかという気になった。
「おう、やれやれ」
 ミチさんがはやし立てる。
「じゃあ、いっぱつ行きますか!」
 気持ち的に元気を取り戻した私は、調子をこいて結び立ちになり身体の前で手を合わせる。そこから平行立ちに開き、右斜め四十五度に出て四股立ちになる。那覇手の型のセイエンチンだ! 駄目だ! アルコールの勢いを借りたものの、膝がガクガクして四股立ちがさまにならない。呼吸型なのに、息が上がって気息どころではない。疲れ以外にも、思いの外にウイスキーが効いているようだ。
「駄目だ!」
 座り込んで、照れ隠しに笑いながら腫れ上がった、右足首を撫でた。
「マサさん、合気こそ奉納に相応しいんじゃないの?」
「じゃぁ、テル、お前が相手をするか?」
「いや、相手はミチさんだよ」
「俺は、暴力は嫌いだ」
 間髪を入れずにミチさんが答えた。
「おい、ミチ、勘違いするなよ、暴力と武道は違うぞ!」
「でも、闘争という面から見れば似たようなものだ」
 二人の議論が始まった。身体は疲れ切っても口は達者である。
 
 二人の議論をよそに私は立ち上がると、舞台の端に行った。ライトをかざし、境内を見下ろしていると何だか偉くなったような気がしてくるから妙だ。
「俺は、人といさかいをするのが嫌いだ!」
「人生は、戦いだろうが!」
 議論は続いている。
 二人の議論が決着を見ないまま、とにかく寝ることになった。三人で検討した結果、こちらの方はすぐに結論が出た。寝るには奥の楽屋が最適と言うことになり、そこにグランドシートを敷き、シュラフにくるまって横になった。

 明かりを消すが、すぐには寝付かれない。風雨が一段と強まり、神楽殿に降りつける雨音が不気味だ。この雨では野営どころのさわぎではなかったことは明らかだ。それを思えば、あらためて神様に感謝しなくてはならない。ところが、ずうずうしくも、生きながら神と化した心境に浸りながら深い眠りについたのだった。

 
 

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