エッセイ<随筆>




 悲しい現実(地球と人類) 

 この表題はアル・ゴア氏に敬意を表して付けました。


<Cより道ですが有機農業>

 十数年前になろうか、全国紙の地方版に山口県の周南で農業を営む人の意見が載っていた。感銘を受けたので覚えている範囲で書いてみる。
「私は専業農家です。最近喧伝されている有機農業、つまり無農薬かつ化学肥料を使わない農法について意見を言わせて頂きます。確かに皆さんが仰るように環境や健康に大変良いかも知れません。しかし、私の知る範囲では有機農業で生計を立てている農家を知りません。農薬を使わない人はおられます。また、化学肥料を使わないで農業をされている人もおられます。しかし、両方を一切使わない農家は知りません。他に収入の道があったり、趣味でされている方はおられます。私も有機農業が出来ます。なんとか食べて行けるでしょう。しかし、その方法では、年老いた親の面倒を見ながら、二人の子供に教育を受けさせることは出来ないのです」 
 一昔前のことですので、現在は状況が変わったかも知れません。しかし、この意見には考えさせられることが多かった。

 私の知りうる範囲で、有機農法について書いていく。今日の考古学では、猿人を外すと、原人は180万年前にアフリカに現れ、170万年前にユーラシア大陸に広がっていったとされている。その後、旧人をへて、我々の直接の祖先である、新人、ホモサピエンス・サピエンスが出現したのは10万年まえであるらしい。そして、ホモサピエンスは約1万年前に農業を発明した。その間の180万年間は狩猟採集を生業として生存していたのである。
 以来、日本列島では明治、大正時代時代までは確実に有機農法で耕作されていた。実質的に化学農法が導入されたのは何時かは知らないが、農薬、化学肥料が本格的に全土を覆ったのは、第二次大戦後であったと思う。

 人間が生命を維持するためには、食糧が不可欠だ。耕地の有効利用、土地あたりの単位収量の問題である。農業と林業は再生可能資源である。ここが、石油、石炭、鉱業と根本的に異なる点であろう。
 江戸時代に労働集約的有機農法は完成を見たと私は勝手に思う。そして、江戸時代を通じて、人口は約3,000万人を維持している。世界史的にも希な完成度であったのではなかろうか。なぜなら、日本には放牧、畜産業が普及しなかったからである。
 狭い耕地しかない国土で、これほどの人口を養った文明を私は知らない。(イヌイットは農業すら導入せずに絶滅しなかったが、小さな人口であり例外である)
 畜産業は耕地で、飼料(牧草も含む)を栽培し、それを餌として与え、その家畜の肉を人間が食するからである。摂取エネルギーとしては、穀物をそのまま食するより約4〜5倍効率が悪いとされている。とても、土地を有効利用しているとは言えない。

 さて、その有機農法とはどのようなものだろうか。
定義から言うと、化学肥料、農薬、除草剤などの合成物質の利用を最小にする農業方法である。具体的には1993年4月農水省が有機農法等特別表示ガイドラインを導入した。それ以前は、勝手に有機農法を名乗っていたのである。ちょうどこのすぐ後に、先ほど例に挙げた山口県の農家が新聞に意見を発表したことになる。実は私はこのガイドラインなるものを保健所から教えてもらって目にしている。
紆余曲折を経て2000年6月に、市場の表示混乱を治めるためにJAS規格が改正されて実施された。具体的な規定については面倒で面白くないので記さない。興味のある方はどうぞ調べて頂きたい。たまたま、私が当時経営していた食品工場がJASの認定工場だったこともあり、93年のガイドラインなるものを目にしていた。

JAS(日本農林規格)の認定を中小企業の食品工場が受けるのは大変である。まず食品検査室を設け、専門の知識を持った職員を配置し、日々細菌検査を実施しなければならない。さらに製造ロットごとに原材料使用実績のデータを保存しなければならない等々、煩わしいったらありゃしない。しかも製品価格に転嫁できず、競争力も持たず自己満足以外の何ものでもない。だって消費者が有機作物ほどJAS規格を認識していないのであるから。このHPをご覧の皆さんが、スーパーで特売されている食品にJASマークが付いていたら、お願いですから「こんなところに置くな!」とクレームを付けて下さい。ようは、当時の中小企業である我が社にとってJAS認定工場というのは、自己満足以外の何ものでもなかっただけのことである。

 なるべく安全な食品を消費者に提供したい、という思いは悪いことではない。しかし、それを消費者が認めてくれなければ、単なる理想論である。コストの増加を、価格に転化できるかと言うことが実質的には不可欠になる。それが出来なければ経済効率は悪くなり、組織は維持できなくなる。組織がなくなれば安全な食品を提供することが出来なくなり、元の木阿弥ということになる。
 価格は市場が決める。すべては消費者の需要が決めるのだ。このことが原因ではないが、私の経営していた会社は倒産した。
 かつては、有機農法による農業の経営は成立しなかったかもしれない。しかし、消費者がスーパーで買えば150円の大根を、有機野菜の大根の場合300円でもほしがるならば、成立するだろう。また、流通経路の進歩で消費者が楽に買えるようになった面もある。 ようは最終的には、全てを個人が負担すべきなのである。有機農法に国家が補助金を出すと仮定すると、この場合は、納税という形でこれまた個人の負担になるわけである。
 それで何ら問題はないと思う。ただし、これは現在の日本国内では成立する。という前提条件つきである。

 アフリカ等の飢餓線上にある地域では、有機農法から農薬、化学肥料農法の普及こそが急がれる。同一耕地の効率的な利用が求められるわけである、これには人の生死がかかっている。よく似たケースが第二次世界大戦後の日本にも出現した。なにはともあれ食料の増産が急務の方策でなければならなかった。数十万人もの餓死者が出現するだろうという予測もあったほどである。私の小学時代は給食で脱脂粉乳がよく出た。アメリカからの援助であった。もっとも、アメリカでは飼料として用いられていたものだったらしいが。その他に小麦等の援助もあった。給食のコッペパンはそれである。子供達の成長に寄与する栄養面では学校給食は極めて重要であった。

 もうほとんど引退状態であるが、私の母方の叔父は農業を営んでいる。戦後の農薬の話を聞くと酷いものだったらしい。とにかく、噴霧する農薬に触れると、皮膚が爛れてしまう為に、肌を露出できなかったらしいのだ。環境にはむろん、直接的に人間に被害が及ぶ状況だったらしい。当然、その頃用いられていた農薬はDDTが中心だったが、日本では1971年には農薬取締法が改正されて使用が禁止された。農薬取締関係法令はその後も部分的に改正され、直近のものは2005年5月20日である。殺菌効果は薄いが人体にも環境にもやさしい、穏やかな農薬しか認められなくなったと言って良いだろう。
 しかし、その激烈な農薬が発展途上国では用いられている。使いたくても使うことの出来ないさらに貧困な地域もある。餓死が迫っている人間を前に、健康にも環境にも良くないので、農薬や化学肥料を使うなと誰が言えるだろうか。

 諸悪の根元のように言われるDDTの効果についても触れなければ片手落ちであろう。インドでは、DDTの大量散布でマラリア感染が10年間で7500万例から500万例まで激減し、農作物や家畜の生産高は倍増している。どれだけ多くの人間の生命を救ったことだろう。おそらく直接的には何百万人単位、その後の食糧の増産は億万人単位の人口を養ったはずである。

 現在、有機農法が最も進んでいるのは、北ヨーロッパ諸国で、最高のオーストリアでは耕地面積の約6%を有機農法が占めている。日本では農業収穫物のうち、有機産物は1%という。
 一方に、したくとも化学的農法を導入出来ず、有機農法以外にする方法を持たない餓死線上をさまよっている人間も十数億人いるらしい。彼らから見れば先進国の有機農法は贅沢この上ないと言うかもしれない。有機農法といっても様々である。
 地球は一つ、ところが世界は64億ある。つまり人口分だけあるのだ。有機農法によって栽培された作物しか食べないと言うのは、間違いなく贅沢だ。
 しかし、悪いとは思わない。むしろ、飢餓線上にある人々のことを考えれば、人間なら食べれるはずがないと公言するのは、別の意味で醜い奢りだと思う。単に安全地帯に身を置いて、きれい事を並べているだけの気がするのだ。
 どうぞ自分の思いに従って、自らの負担で有機野菜を食べて頂きたい。あるいは作って頂きたい。私自身、新鮮でとれたての野菜は大好きです。本当に美味しい野菜は流通経路に乗った物では無理です。野菜が鮮度を要求するのは魚以上です。それほど味覚の劣化は激しいのです。

 ではどうするか、私の友人は有機農法で路地栽培をしています。贅沢の極みと言えるでしょう。経団連の元会長であり、第二臨調で大活躍をされた土光敏夫氏は、収入のほとんどを祖父の創立された学校法人に寄付され、食事は、目刺しと自家製の野菜だったという有名な話しがあります。坪単価100万円以上の土地で野菜栽培をされている、これまた贅沢の極みでしょう。

 もし今、全世界の農業を有機農法に切り替えれば、地球が維持できる人口はどのくらいになるでしょうか? 私は予測資料を持っていませんが、数億人の餓死者ではすまない気がします。 
 日本において有機農法が普及するのは悪いことではないと思います。しかし有機農法を正義のように言うのはやめて下さい。正義の主張はイデオロギーになってしまい、全く別の弊害が発生するのです。




 
 

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