エッセイ<随筆>




 悲しい現実(地球と人類) 

 この表題はアル・ゴア氏に敬意を表して付けました。


<K続水産資源と漁師>

 その後、私は山口県でも漁業就労の立地条件が良いとH氏に言われた角島を訪れた。どのような島かは、このHPのエッセイ部屋、「スミちゃんの七日間の旅」を参照して下さい。
 連絡を取り角島を訪れた私を、組合の事務所で迎えてくれたのは組合長だった。彼は七十歳過ぎの年齢に見えた。痩せて穏やかそうな組合長も、新規就労を勧めるのである。若手の漁師の参入を歓迎しているようだった。当時、私は四十代半ば、はたして若手だろうか? それと、漁協には漁港が付きものである。漁民の数が一定より下回ると、漁港が維持できなくなる。つまり、港湾整備の補助金が出なくなるらしい。
 当時は山口県漁連があげて新規就労者を募集していた。(今は知らないが、多分同じだと思う)新規就労特別貸付金制度もあった。
 
 私の希望を聞くと組合長はさっそく、
「一級小型船舶の免許を持っているのか、そりゃ手間が省ける。このまえ東京から来た人は免許を持っていなかったからな…」
「少なくとも、一年間は無収入で暮らしていける金も用意しようと思っています」
「えぇ、えぇんじゃ、そんなもん…おい、○×はおらんか」
 組合長は側にいた職員にいった。どうやら、○×氏は近くにいたらしく、職員の人がすぐに連れてきた。年の頃なら六十過ぎのガッシリした体格に、ゴマ塩頭の男の人を紹介してくれた。○×氏は、副組合長だった。
「○×、この人、漁師になりたいんじゃと、お前の船に乗せてやれ」
「そりゃええけんど、あんまり金は払えんど」
「なにゆうちょる、ええ歳して、金貯めてどうする」
「ああ、わかったよ、まったく組合長と来たら……おい、いつからでもええぞ」
 私は唖然とした。どこの誰とも定かでない初対面の人間に、この好意はなんなんだ?
農民だととてもこうはいかない。

「あんた、漁師の船に乗りゃ、どんな素人でも漁の取れ高の配当を貰える。○×をおだてて、魚とらせりゃええ、すぐにでも生活できるぞ」
 組合長の暴言に、副組合長は苦笑いするばかりである。しかし、彼は私を見つめ大きく頷いてくれた。
「本当に、一年で漁が出来るようになるんでしょうか?」
 私の質問に組合長は
「一人前になるのには、十年かかるかもしれんが、生活するのはすぐ出来る。取りあえず刺し網をすりゃええ、なあ、○×よぉ」
「ああ、刺し網はすぐにでも出来る。それから、ボウタ漁がええと思うんじゃが」
「ボウタ…そりゃええ、あれならすぐ出来るじゃろうが」
「ああ、三ヶ月もありゃじゅぶんじゃ」
 副組合長の言葉に確信を持ったらしく、
「よし、あんたそうしろ」
 組合長は完全にその気になっている。二人は盛んに納得しているが、私には“刺し網”も“ボウタ漁”もどのようなものか見当がつかない。

 H氏も言っていたが、一本釣り漁師で真面目に働けば、純益1千万円は割に楽に得ることができるそうだ。ところが漁師はやたらと馬力のでかいエンジンを欲しがったり変なことで競争し借金を増やすそうである。漁から帰ると、酒を飲みパチンコ屋に入り浸るのが習慣になっている者もごく普通らしい。
 私は、酒は大好きだが賭け事はしないので大丈夫であろう。しかし、「純益一千万は割に楽…」この言葉は信じられるのだろうか? 貧しい漁村、中でも一本釣りの漁師の貧しさは、いつしか私の頭にこびりついていた。
 私は、県庁で漁民の生活、収入の統計資料を調べた。すると、H氏の言葉が大げさではないことを確認した。漁師の平均年収は6~7百万円だったと記憶している。自営業はサラリーマンと異なり、正確な年収を補足することは難しい。よって、実収入は一千万円でもおかしくはない。これって、いったい何なんだろう? この私の思い込みはどこから生じたのだろうか? たぶんマスコミによる洗脳であろう。
 さらに、「年金漁師」という言葉があることを知った。漁村出身の若者が都会に働きに出て定年退職し帰省して漁師になる。あるいは、漁師に憧れる人が、年金をもらえる歳になって新規就労することを指すらしい。
 しけの日は休み、波の穏やかな日に出漁する「年金漁師」こそが、最も楽で豊かな生活を送れるそうである。
 

 たまたま、これを書いている平成19年6月、M冷凍冷蔵鰍フ社長のH氏から手紙が来た。代表取締役を退任した案内であった。H社長から某漁協のH氏を紹介してもらったのである。H社長、H氏、ああ、こんがらがる……時は過ぎゆくものですね。

「あんた、漁師になるんなら早いほうがええ。あと三年もすりゃあ本土と結ぶ橋がでける。そしたら、組合員にはなれんぞ…」
 それから三年後、組合長の言うとおり橋は完成した。当時ですら観光資本が手を出していたのである。橋の出来たあとの漁業権には、余人の入り込む余地はなかろう。こうして、観光立地のよい漁協は漁業権という利権に取り込まれていく運命なのだろう。漁業権に関わる利権は凄まじいものがある。関西空港建設に関わる漁業権の保証には、開いた口が塞がらない。人間はここまで醜くなれるのである。解決策は果たしてあるのだろうか? 私はシステムの問題であると思う。人間性なるものは誰もが似たり寄ったりであろう。
 利権がこの心優しい角島漁師の誇りを奪っていかないことを願うのみである。しかし、システムが変わらない限りは多分無理であろう。

「おい、あんた漁師になるなら船がいるぞ」
「いや、まだ船と言っても…」
「ええんじゃ、今すぐ一人で漁ができずとも、とりあえず船もって時間があったら、船で遊んじょりゃええ。船がない漁師は仲間に入れてもらえんぞ……誰か! 適当な船はないのう」
「組合長、×△の岸に繋がれちょるのは、どうじゃろうか?」
 そう言ったのは、若い組合員であった。
「おおっ、あれか…ありゃちょうどええ、よし儂が五百万円で話しを付けちゃろう」
 私はいささかあせって異議を唱える。
「ちゅっと、待って下さい。突然五百万円と言われても、右から左へは…」
「金か、金のことなら心配すんな、儂が補助金を引っ張っちゃる」
 船の用意から、生活の面倒も見てくれるというのだ。こんなことが果たしてあるのだろうか?
 ここに、述べたことは十数年前の真実である。現在はどうか知らないが、基本的には変わっていない気がする。漁師として新規就労する気がある人は、漁協なり、漁連なりに問い合わせて下さい。たぶん歓迎されると思います。ただ、場所には十分に配慮してください。どこの漁協に所属し、どの漁場で漁を行うかが成功の為の、決定的な条件になりますよ。
 一方の私は、現在東京で就労しており、一本釣り漁師のではありません。何と言っても私は家族持ちです。妻と子供二人の責任があります。多くの理由と事情で、今日の私となっています。あんがい人生てそんなものかも知れません。
 角島には小学校と中学校があります。島で漁師をしながら子ども達に武道を指導して、一生を終えるというささやかな夢は、跡形もなく消え失せてしまいました。


 漁師になろうとした少し前に私は、養殖も研究していた。休耕田を利用した、ミナミヌマエビ(通称、田エビ)、沢ガニ、ドジョウの養殖である。
 この件に関しては、吉見水産大学の教授で、日本に於けるエビの権威である高橋教授、水産試験場の渡辺所長(名前が逆だったかも知れない)が全面的に協力してこれるという話しになり。某会社のM社長と、某会社のS社長が、資金面の援助をしてくれることになった。ミナミヌマエビの販路は、釣り道具の大手チェーン店である。(ミナミヌマエビは、メバル釣りの生き餌としては最高!)
 沢ガニとドジョウは大阪魚市場に卸す計画で、これも話しはついていた。しかし、この計画は実行されなかった。なにせ、当時私は企業経営者であり、とても片手間に出来るしろものではなかった。
 変わりにやってくれる人を探したのだが、「…エビ? ドジョウ…?」と全く相手にされなかった。
 現在、M社長、S社長は亡くなっており、高橋教授と渡辺所長も退官されている。

 余談ですが、大学教授に教えを請うテクニックを一つ。
 人により様々ですが意外に気さくに教えてくれますよ。だだし、「ミナミヌマエビの養殖をしたいのですが教えて下さい」これではまともに相手にして貰えません。
「ミナミヌマエビの養殖をしたいと思い出来る限り調べました。しかし、この点とこの点が解りません。教えて頂けませんか」こういわなくては駄目です。
 そうすると、その回答だけでなく、今まで気づきもしなかった問題点も親切に教えてくれるんです。いろいろな人に聞いてもこの法則は当てはまります。もし必要があるならばお試し下さい。

 さらに余談。
「ほお、どうしたことでしょう。先月もミナミヌマエビの養殖について、訪ねてこられた方がおられるのですよ。こんなことは今まで無かったのに」
「先生、どなたが訪ねてこられたのですか?」
「キリンビールの方です」
 私は納得しました。キリンビールは当時、羽田沖でゴカイ(魚の餌)の養殖をしていたのです。まったく大企業は何にでも手を出すんだから。

 この随筆は環境問題がメインです。自分の体験ばかりを語って気が引けています。次回は本来の漁業と環境について触れさせて頂きます。 









                        
 
 

                                 次へ


目次へ