薄緑の霧が揺らいでいる。すべての大気がゆったり移動する。
ガンガー女神は、天上界を流れる大河の一つであった。
果てしのない天上界の大気の中を、どこまでも悠然と流れ、鼻孔に浸みいる芳しい香りを放ちながら、豊饒な緑を育みつづけている。
緑色は彼女の髪の色である。
ある時は寝そべり、又時にはうつ伏せになり、ゆったり遊びながら流れていく、水の中では、豊満な身体を長い髪が撫でていく。
まれに、キラキラと川面に金色の光の結晶が、降り注ぐことがある。
そのとき、川面に小さな波紋が広がっていく。ガンガー女神の出現である。
彼女は立ち上がる。腰までとどく緑の髪が裸体に纏わりつくとき、霧が次第に薄れ、かわって妖艶なオーラが彼女の身体を包む。
彼女は誘いかけているのだ。
神々といえども、その誘いから逃れるのは容易ではない。多くの神々の魂が惑い、迷夢の霧の中を彷徨しつづけている。
天界を睥睨する神殿に於いて開催された、神聖なブラフマー神の集会。
集会の場にて、ガンガーは、若く好ましい神を認めた。
若い神は名をマハ−ビシェーカと言う。
彼女は、唇を薄開きし、濡れた瞳で彼を誘いだした。
行動はさらに大胆に為っていく・・・。 場所柄もわきまえずマハービシェーカの歓心をかうべく、長い絹の衣の裾をすりあげ、太腿まで露わにし、陶然と笑いかけた。
運悪く、その淫らな姿を、神々の神であるブラフマー神に見つけられ、大いなる怒りをかってしまった。
「ガンガーよ、今までの不始末は不問に付してきた。しかし、もはや許さぬ! まず、お前から声を奪う、そして、天上界から追放する」
ガンガーは、震え上がった。何とか許しを請おうとしても、声がでない。
眼は血走る。口を大きく開き、喉を掻きむしり続けた・・・。
ガンガーは、地上に叩きつけられた。
絶望の怒りに震えるガンガーは、大地を消し去るべく、大奔流となって流れ出す。
全てを見通している、ブラフマー神は地上へ、シヴァ神を使わした。
シヴァ神は、ガンガーの流れを堰き止め、穏やかな流れへと変えた。
その場所は、現在のパキスタンの北辺、パミール高原からヒンズークシ山脈にかけてつらなる大山塊の麓、ガンガダーラ(ガンガーを支えるもの)と言う地名として名残をとどめている。
そして、緩やかな流れは、緑溢れる豊饒な流域となり、ヒンドスタン大平原を潤し、ベンガル湾へとそそぎ続けた。
ブラフマー神の怒りの声は、地上を流れる、ガンガーの川面に鳴り響いた。
「ガンガーよ、お前にさらなる罰を与える。生きとし生ける者のすべてを、お前は受け入れなければならぬ。怒り、歓喜、悲哀、絶望、希望、悩み、怯え、拘り、ありとあらゆる感情とその身体を。そして、お前からそれらの者に、働きかける事は一切できぬ。感情を表出することもできぬ・・・只ひたすら受け止めるのみである。永遠に・・・。死ぬこともない。自ら命を絶つことも出来ない。ひたすら永遠に生き続けねばならぬ・・・永遠に・・・」
ガンガーの英語読みが、ガンジスである。
この物語では、一般に知られている、ガンジスを用いることにする。
『ガンジス河のほとり』
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