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天井の木目
喫茶店ポニーのシートに身体を埋めるように、三人の男が座っていた。 僕と、松本、田中の三人である。 松本はエネルギッシュな感じで、最近かなり腹が出てきて、一見三十半ば過ぎに見える。一方、田中はやせて、背もそれほど高くなく、いくぶん頼りなくみえる。 人がいうには、僕は、田中と雰囲気が似ているそうである。 ただ、背は少し僕の方が高い。 松本からの呼び出しがあって、僕はここに来たんだが、話しはわかっているし、興味を感じるわけではない。 だけど、ほかにこれといって、したいことがあるわけじゃない。 退屈な午後だった。 松本と田中は、全共闘(全学共闘会議)の闘志だと僕に吹聴している。 組織には属さない、ノンセクトラディカルだそうだ。 「おい、ヒロシ今日は某所で闘争がある。お前もぜひ参加しろよ」 いつものごとく、松本は誘う。 これまた同じく、僕はそっけない返事をする。 「その気はないね」 とにかく、松本は仲間に加えたいらしい。 「ヒロシ、日本は現状のままでいいと思っているのか? 米帝国主義の手先として、アジアの侵略に手を貸して良いと思うか! 今こそ我々学生が、先頭になって立ち上がらねばならない。沈黙すること、手をこまねいて徒に日々を送ることは、それ自体が罪だ、米帝国主義者の共犯だ・・・・・!」 松本はアジ演説まがいに話し続ける。同じことを何度も話したのだろう、よどむことなく、言葉が続いていく。 「今の日本の人民は眠っている。我らが覚醒させねばならない。その為の捨て駒になることに、我らは躊躇しない・・・・・一面突破の全面展開こそが我らの願いである・・・・・」 話しにのめり込むと、松本は興奮してくるらしく、声が大きくなる。 「おい、少し声が大きいぞ、もう少し抑えて話せよ」 まわりを見回しながら、田中は松本に注意した。 「構うことはない、これもオルグ活動の一貫だ」 そういいながらも、松本は心持ち声のトーンを落とした。 「あんた達、うるさいわね。静かにしないと出ていってもらうわよ」 明美ちゃんが、テーブルにやってきて怒った。口を少し尖らせ喋る様は結構可愛い。 「明美ちゃん、君たちの為に我々はね、戦うんだよ」 「松本! よくお聞き、田中さんならまだしも、死んでもあんたになんか助けてもらうものか!」 捨てぜりふを残し、明美ちゃんは去っていった。 「ああ! 革命的前衛は一般人民には理解されないのか・・・・・悲劇だ」 松本の台詞は、新派の演劇調になった。 しかし、明美ちゃんの叱責のおかげで、演説が終わったのは嬉しかった。 どうやら、田中も僕と同じ気持ちのようだ。 「松本、ヒロシは嫌なんだから、仕方ないじゃないか、もうよせよ」 「仕方ないとは思うよ、しかし・・・・・」 松本はあきらめきれないようだ。 田中は僕に話しかけた。 「ヒロシ、おまえけっこう本を読んでるよな、マルクス・レーニン関係の本も読んでるのか?」 「うん、多少は読んでるよ」 「共産党宣言は?」 「読んだよ」 「毛沢東なんかは?」 「実践論、矛盾論は読んだな、それから、マルクスの資本論も」 「ヒロシ、お前、資本論もよんだのか! 松本、お前たしか共産党宣言しか読んでないよな?」 田中は幾分驚いたように松本に言った。 「資本論は読んだ」 憮然としして松本は答えた。 「序文だけじゃないか」 「・・・・・・・・・・」 田中が松本を見る目に、優しさが浮かんできた。そして、ゆっくりと、僕の方に振り向いた。 「ヒロシ、お前それで影響を受けなかったのか?」 「うん、ほとんど影響は受けてない、なにか、こう・・・・・肌にあわないんだ」 「へー、ぜんぜん論理的じゃあないな、じゃあ、どんな傾向が、あうんだ?」 「バクーニン、クロポトキン・・・・・アナーキズムの方に親近感をかんじるな」 「アナーキズム・・・・・親近感か? ほんとうに論理的でないな」 田中は少し俯いて考え込むように云った。 この男の、読書量と理論武装は相当なものだと聞いたことがある。 「アナーキズム、あれはいかん、科学思想的に、明らかに破綻している」 今まで黙っていた、松本が口を挟んだ。 しかし、僕も、田中も返事をしない。 松本は、振り上げた拳のおろしようがない。 「ヒロシは、仕方がない、まだ目覚めてないんだ。おい田中、そろそろ時間だ行こう」 松本は、気ぜわしげに椅子から立ち上がった。 「うーん、あんまり行きたくないな」 田中は、今ひとつ気が乗らないようだ。 「またいつもの日和見か? だらしないぞ」 「しかたないな、いくか・・・・・」 そういうと、二人は僕を残してポニーを出ていった。 僕は、タバコに火ひをつけると、少し考えこんだ。 彼らは、なぜあんなに夢中になれるんだろう? 僕は何がしたいんだろう、人生の目的なんてことは云わない、今、一所懸命になれることが、何故ないんだ? 早苗のことは? 「ヒロシ、どうしたの、落ち込んでるみたいね?」 明美ちゃんが声をかけてきた。 「二人の云うことなんか気にしない方がいいよ」 「気にするというんじゃなくて、彼らがあんなに夢中になれるのが、不思議なんだ」 明美ちゃんは、少し首をかしげていった。 「私、むつかしいことは、わかんないけど・・・・・。この店にくる学生運動している人から聞いたところによるとね。松本君は、いつも景気の好いことばかりいっててさ、いざ戦いになると後ろのほうで、大声あげるだけだって。いっぽう田中君はいやだいやだといいながら、いざとなったら最前線で激しく戦うんだって。田中君、けっこう有名らしいよ」 「明美ちゃん、田中が好きなんじゃないのか?」 「えッ、そんなこと・・・・・そりゃ、若いくせに、腹の突き出た松本より遙かにいいけど・・・・・」 「田中は思慮深いところもあるし、格好だって満更じゃない。明美ちゃんが好きになったって、ぜんぜんおかしくないよ」 「ヒロシはどうなのよ? 綺麗な彼女がいるって聞いたわよ」 (早苗のことか? どうせ松本が云ったにきまってる) 「松本だな、何て言ってたんだ?」 「綺麗な人だと言ってたわ、ネー教えてよどんな人?」 喫茶店を出た僕は、私鉄に乗り、自分のアパートに向へとむかった。何となく気が滅入っている。 いつものことだが駅前には、自転車が無秩序に放置されていた。それを避けるように道に出ると、人が行き交う商店街の雑踏だ、喧噪の街中を歩くのは、決して嫌いではない。 上手く表現出来ないが、優しい孤独感に包まれる気になるのだった。 住宅街の閑静な通りに入った。 僕のアパートまでは、まだ十分は歩かなければならない。 田中はともかく、少なくとも松本は学生運動に情熱を傾けている。しばらく会っていない山岸は、剣道部員として、田中、松本と対立する立場にあるという。何故対立するにか、今ひとつ僕にはよく理解できないのだが。 渡辺は司法試験の勉強に余念がない。塚本はホストになり、夜の歓楽街を生き生きと泳いでいるらしい。僕はアパートの部屋で、夜と昼が逆になった生活を送るだけだ・・・・・ひたすら無気力に。 はじめは、同じ地点に立っていたはずなのに、みんなはどんどん離れていく、僕を残したまま進んでいく。 結局、僕は置いてけぼりになってしまうのか? 「ヒロシさん、こんにちは」 僕は、自分の名を呼ぶ声で我に返った。声の主は茜さんだった。黒っぽいスーツを着て、すこし濃いめに化粧をしている。どこかに出かけるらしい。 僕は、知らないうちにアパートの近くまできていたのだ。 「あッ、こんにちは」 「ええ、ちょっと渋谷まで・・・・・ヒロシさん、最近、由美子のようすが変わったのよ」 茜さんは、意味ありげに微笑んだ。 「なにかあったんですか?」 「ヒロシさん、あなたと結婚するんだというのよ。そして、かいがいしく私の手伝いをするの」 「えッ、僕と結婚?」 「約束したといってたわよ」 僕は思いだした、そういえば芦田公園で指切りをしたんだ。 いったい、茜さんは、どう思ってるんだろうか? 「かわいいわよね、私、言ってやるの、お嫁さんになるんだったら、料理とかいろいろ出来なければ駄目だって。そうすると、これがやるのよ、けっこう役にたつのよ」 「へー」 僕は、少し心配になっていたのだが、杞憂に終わりほっとした。 「先だっては、キンキの煮付けを教えろというの。私にも、昔そんなことがあったような気がして、微笑ましくなってくるの」 「僕はよくわからないけど、女の子って、お嫁さんになるなると、よく言いますね。 浜松でよく聞いた覚えがあるんだが・・・・・」 「私も子どものころは、お嫁さんになりたかった。綺麗な衣装をきてみんなの注目をあびるの、平凡な自分が、物語のヒローインになれる気がして・・・・・」 四月の風がさわやかに吹いている。 ブロックの壁越しに、椿の木が歩道にはみ出した場所で、茜さんとの話しは、はずんだ。 茜さんにとっては、僕も家族の一員に見えるらしい。 長い立ち話がおわり、僕はアパートの部屋に入った。 靴を脱ぎ、バッグを放り出すと、僕は部屋の畳みの上に寝っころがった。肩から力がぬけていく、こわばった身体全体がゆるんでいくような感じがする。 この部屋に一人でいるときが、一番、身も心も休まる。 そして、怠惰になる。 積極的な気持ちが萎えてしまうのだ。しばらくは、何もしたくない。 ひたすら薄汚れた天井板をながめる。 板の木目が、雲に見え、動物に見えてくる。そして最後には人の顔が浮き出てくる。 はじめて見る顔もあれば、いつも出てくるお馴染みの顔もある。そのうち、揺らいできてもとの木目になり、また顔になる・・・・・。 僕は空想にふける・・・・・。 固い畳みに仰向けになり、ひたすら木目を見つめていた僕は、肩と首筋が痛み出すころ、半身を起こし狭い部屋をみまわした。 誰もいないことを確認すると、ホッとした。 テレビもない部屋で、あと僕に出来るのは、本を読むことぐらいだ。 ゆっくり立ち上がった僕は、コーヒーを飲むべく、台所のコンロに火を着け、ヤカンをかけた。 人と交わらねば寂しい。 交わるとは、お互い傷つけあうことに他ならない。そして、心身ともに疲れる。 僕にとって、この部屋は、避難場所なのかもしれない。 僕は壁を背にして座り込んだ。 両手で膝を抱え込み、その中に頭部をいれた。 楽な姿勢だ。胎児が母親の子宮のなかにいるときは、こんな姿勢だろうか・・・・・。 コンロの湯が沸騰している音が聞こえる。 しかし僕は、動けない。
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