三十三、潮干狩り(六)








「・・・・・こんにちわ」
 健が恐る恐る引き戸を開け、声を掛けた。
「いらっしゃい。今日は遅いじゃないか」
 ハツエの元気の良い返事が返って来た。
「勝さんは元気ですか?」
「元気に決まってんだろ、どうしたんだい? 健ちゃん、あんた変だよ」
「俺が変?」
「何、訳のわからんこと言ってんだろうね、冷たいビールでも取ってくるよ」
 そう言うと、ハツエは奥に引っ込んだ。
「おーい、大丈夫そうだぞ」
 健が外に向かって、呼びかけている。
「ホントか?」
「だいじょうぶか、健ちゃん」
「勝さん、生きてか?」
 怖々、大の男が三人入って来た。言わずと知れた、学者、ゲンさん、マツの三人である。どうやら、健は斥候の役を仰せつかっていたらしい。

「なんだ、あんたたち雁首そろえてどうしたんだい?」
 グラスを出しながらハツエが言う。
「なっ、だいじょうぶだろ」
 健がみんなに小声で言った。
「うーん、いつもどうりだなぁ」
 学者が安心したように言った。
「シ、シンペイさん・・・・・」
 ゲンさんが喋りだそうとしたのを、マツと健が飛びつき慌ててゲンさんの口を押さえた。学者はハツエの視線を塞ぐように両手を拡げ、自らの身体でバリアーを張った。
「何騒いでいるんだろうね、まったくいい大人が! ゲンさん、いまシンペイって言いかけたね、シンペイさんもうすぐ来るよ」 
「ゲッ!!」
 四人の男の喉から、異様な音が絞り出た。
「なんだよ、あんたたち、喉の具合でも悪いのかい。せっかくあたしが注いであげたんだ、ビールを飲んでごらんよ、良くなるから」
 四人は怖々ビールを口元に運んだ。ハツエの注いだビール、当たり前の話しだがいつものビールと違うところはない。
「シンペイさんって、あ、あのシンペイさん?」
「健ちゃん、なに言ってんだね、他にシンペイさんが居るとでもいうのかい」
「いや、そういうわけじゃあ・・・・・」
 いつもの健らしくなく、いかにも歯切れが悪い。マツはまた、ゲンさんの口を押さえる準備をしている。
「じゃあ、どういうわけなんだい? ハッキリ言いなさいよ。そろいもそろって、みんな変なんだから」
 ハツエはどうにも会話に歯車がかみ合わないと感じたらしく、きつい言葉になった。だれも返事が出来ない。三人がそろって学者の顔を見た。あたかも何とかしてくれと言わんばかりに。

「ハツエさん、シンペイさん何の用事があって来るのかね?」
 しかたない、と言うような顔をして学者が言った。なぜか、いつもこういう役回りは学者のところに回ってくる。
「あんたら、どうも今日は変だよ、シンペイさんは月に一度は出てくるんだ。何ら特別な事じゃないよ」
「まあ、そりゃそうだわな。別に猫の解剖を・・・・・」
 マツが飛びついてゲンさんの口を押さえた。他の二人は青くなってハツエの顔をまじまじと見つめたが、別に異変は感じられない。
 とにかく今日の角ウチは、ちぐはぐで話しが興にのらない。勝さんの無事も確かめたことだし、こんな事なら家に帰って飲めばいいと皆が思い始めた時だった。

「おばさん、今日は」
 引き戸を開けて大男がぬーと顔を出した。みるみるハツエの顔色が変わっていく。
「おばさん? ふざけんじゃないよ! とっとと帰りやがれ!」
「ご、ごめんなさい。ハツエさん・・・・・」
 ちょび髭を蓄えた大男が、小さくなった。ところどころシミの付いた白衣を、だらしなく着込んだシンペイさんだった。足下はトレードマークのゴム長靴である。
 シンペイさんは、紙袋から大皿を取り出すと、カウンター越しにハツエに差し出した。
「しかたないねー、まあ休んで行きな」
 そういうと、いくぶん機嫌をなおしたハツエは、奥に入っていった。
「おー、こりゃ大したものだ」
 健が歓声をあげた。見れば白身の魚が薄造りにされ、大皿に綺麗に並べられている。
「シンペイさん、これ、“ふぐ”みたいだな」
「ゲンさん、カワハギですよ」
「カワハギって、たしかメンボウのことだったよな」
 学者の眼が光った。
「メンボウはメンボウでも、ウマズラじゃなく本物の角メンボウだ。シンペイさん、市場で手に入れたな」
「学者さん、その通りです。小料理屋で捌いてもらいました」
 シンペイの言葉で三人はすべてを了解した。シンペイの市場での活躍がありありと目に浮かんだ。

 ハツエが小皿、醤油、ワサビを盆に乗せて持ってきた。
「せっかくだから、みんなで頂こうよ。あっ、亭主の分は少し残しといてね」
 結構、仲の良い夫婦である。
「ゲンさん、慌てるな」
 さっそく箸を伸ばそうとしたゲンを、学者がたしなめた。
「まず、肝を醤油で溶くんだ、こういう風にな。そしてワサビを利かせて・・・・・はい、いいよ」
「学者、こりゃ旨いや」
「おいゲンさん、礼はシンペイさんに言いなよ。それにしても良い魚だな、ビールぐらい奢らなくっちゃならないな」
「いえ、学者さん、ちょっと小遣いが入ったので、みなさん今日は奢らせて下さい」
 健の眼が光った。
「シンペイさん、今日の水揚げは幾らでした?」
 健は憚ることなく、シンペイに尋ねた。もっとも、みんなが一番聞きたいことは、そこだったのだが。
「えー、まあ、三万円ほど・・・・・」
 シンペイもまあ、正直に答えること。
「さ、三万円! ハツエさん今日の飲み代はぜんぶ、シンペイさんの奢りだ」
 ゲンさんが大声を挙げた。ぜんぶ奢りといっても、ここにいる五人がしこたま飲んでも五千円で釣りが来る程度だ。角ウチで飲む酒は、酒屋での店頭販売の価格と同じである。好きでなければ、角ウチなんぞやれるものではない。

「健さん、ここんところ室津に来ないみたいですね」
「えっ、室津・・・・・」
「なんか張り切っていたじゃないですか。潮干狩りの大イベントをするとか言って」
 シンペイの言葉は、健の急所を突いた。
「えっ、まー・・・・・」
「そうだよ、健ちゃん。族の連中をこき使ってたじゃないか。政夫が嘆いていたよ、槍道の師範まで呼んできて連中に竹槍を持たせて訓練までしたと言うじゃないかね」
 ハツエがあきれたような顔で言った。
「えー、まぁ」
「竹槍は、なにかの役に立つことがあるかも知れないけど、このままじゃ室津漁協に迷惑がかかるじゃないか、一体全体どうするつもりだい」
 竹槍がなんの役に立つと言うんだ!
「ハツエさん、ちよっといいですか」
 シンペイという男、なんだか歳を経るにしたがい少しずつシャイになっていくようだ。
「なんだいシンペイさん」
「室津漁協じゃ、ハツエさんの評判は最悪ですよ」
「えっ、どうして?」
「暴走族を引き連れて乗り込んで、『全草連』とやら訳の分からないことを吹聴しさんざんかき回した後、なんの音沙汰もなしだって」
 シンペイの話しを聞くうちに、ハツエの顔が紅くなっていく、恥ずかしいのではなく怒りのせいである。
「学者あぁッ!!」
 学者は外に飛び出した。今ひとつ納得ができぬが、とりあえず逃げるに越したことはないと思っているらしい。
 なにもかにも中途半端、これが角ウチの戯言なのだろうか。しかし、それにしても廻りの迷惑は尋常でないものがある。




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