師とその周辺







 ポンタル君 続編


 私の管理する情報ネットワークに、ある日突然反応があった。山口県の田舎。海に近く自然環境だけは素晴らしく良いところに小さな寺がある。その寺の住職が亡くなり、無住の寺になったというのだ。檀家も少ない貧乏寺の為、晋山してくれる坊主がおらずこまっているという話であった。
 しかも、うまい具合にその寺の管理と世話をまかされ、入山する坊主(失礼、『僧侶の方』)を探しているのが、私の知っている『僧侶の方』だというのだ。なにはともあれ連絡を取り、相見させて戴いた。
  
 私の魂胆はとにかくポンタル君をその寺に押し込もうということである。話を聞いてみると寺の経済は、それほど悲惨な状況ではなく、贅沢さえしなければ生活するのに充分だと思われた。ここから私の全身全霊をかけた説得がはじまった。(人を説得するのがまったく不得手な私の) 
ポンタル君がいかに純粋無垢な人間であり、僧として日本仏教界の至宝ともいえるかを、熱を込めて話した。『僧侶の方』を前にして、私の最も信頼する僧で有ると言い切った。

 「ひょっとしたら私も死ぬことが有るかも知れない(たぶん無いと思うが?)その、告別式では、ポンタル君の詠む「お経」によって、あの世に送ってもらいたい!」
 「すぐに住職とは言いません、無住では寺も荒れるでしょう。掃除、草取り等々、用人としての扱いで結構です」 
 屋内で居合の型、空手の型、そして坐禅さえ出来れば幸せなポンタルくんである。

 結果的には失敗に終わった。第一の理由は、まず宗派が違うこと、次に外国人であること、田舎の檀家の人々との関係を『僧侶の方』は心配されたのである。
 そして、私の反省点は、『僧侶の方』に対する配慮が足りなかったことである。『僧侶の方』は、私の家の檀那寺の住職であり、我が家は檀家であったことだ。
 いかになんでも、「私の告別式では・・・・・・・・・・・・」はなかろうと、自らの軽率に恥じ入るばかりです。 
 なお付記しておきます、この『僧侶の方』を私は好きです。尊敬はしません。断じてしません。しかし、実に愛すべき人です。その軽率さたるや、私の遠く及ぶところではありません。

 ホームページという新たな情報手段を私は手にしました。今からお願いを発信させて戴きます。
ポンタル君が晋山できる寺を探しています。
国籍 フランス
宗派 臨済宗
特技その1 武道が堪能。
その2 日本語、仏語、英語の3ヶ国語、堪能。

どんな寺でも可、雨露がしのげて居合、空手、杖道、坐禅が出来れば文句はない。 食い物については、玄米、味噌、醤油、そして漬け物があれば一切文句を言いません。無ければないでも構いません。野山に入って自分でなんとかするでしょう。

    


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