塩川寶祥伝(その二十五)
長々と書いて来ましたが、この項で一応、塩川寶祥伝を終わりにしたいと思います。実は、この連載を書き始める少し前に、塩川先生は交通事故で入院なされました。二ヶ月が経過した今、(平成十七年四月十四日)先生は退院したばかりで、所用の為に、私に電話を掛けて来られました。
「先生、元気そうな声ですが、大丈夫ですか?」
「あたりまえだ。いま、ポンタルと稽古をしておったんじゃ。俺が言ったんじゃ信用せんだろうから、変わろう…」
「あっ、谷さんですか! お久しぶりです」
久しぶりに、ポンタル君の声を聞きました。
「ほんとに、稽古をしていたのか?」
「本当ですよ。居合をやっていたんですが、全く大丈夫です。ただ、座技に関しては少し痛むと仰っておられます。医者もビックリしていましたよ、どう見ても四十代の身体だといって、首をかしげていました」
確かにそうでしょう。普通の八十歳の老人なら、寝たきりの再起不能になってしまう大怪我ですから。
今年の二月に、塩川寶祥伝なる連載を書き始めるに当たって、先生に承諾を得ようと私は電話を入れました。その電話を先生は、病院のベットの中で取りました。(何と、携帯電話を病院に持ち込んでいるのです)
「おお、ええぞ。好きなように書け。遠慮することは要らん!」
と言われ、付け足されました。
「交通事故を起こしたなどと、恥だから誰にもいうな!」
どうやら、制限速度オーバーに、ハンドルを切り損ねて、対向車線の大型トラックに激突したようなのです。大腿骨と腰の骨を複雑骨折し、普通の人間だったら即死だったと言うことでした。
「先生、もう八十歳になったんですから、これを機会に車の運転は止しましょうよ」
「ばかを言え、そういう訳に行くか! しかし、今後は、制限速度六十キロの道は、せいぜい八十キロで走ることにするよ」
この言葉には深い意味があります。
十年近く前になりますが、私は先生を助手席に乗せて長距離をドライブしたことがあります。まあ、その時の怖かったこと!
制限速度六十キロの道を、百キロ以下では走らせないのです。
「アクセルを踏め! ここは百二十キロだ! そこだ、反対車線にでろ! アクセルを踏め! あのトラックの前に出て、車線をもどせ!」
と、まあっ! うるさいこと、怖いこと。
「谷、目的地に早く着くには、いかに反対車線を走るかじゃ! それ行けぇー! あの信号で車線を戻せ、丁度行き過ぎたところで信号が変わるはずだ」
「せ、先生ッ! 信号が変わりませーん! 正面から車が来まぁーす!」
「おかしいな? 勘が鈍ったかな? 昔はこんな事は無かったんじゃが……俺も歳か……。バカ! ブレーキを踏んだら事故のもとじゃ! こんな時は逆にアクセルを踏め! 廻りがビビる……そら、そこに割り込め!」
「うっ、あぁぁぁ……!」
「そら、巧くいっただろうが。ええか谷! 勝負に勝つには、命を捨てることだ。どちらが先に命を捨てることが出来るかで、勝敗が決まる。武道で強いとか、弱いとか言ったところで、大した差はありゃあせん!」
こっ、こんなところで、武道の極意かよ!
車の運転も、命を賭けた勝負かよ!
この時、先生は七十歳を過ぎていました。車の運転も、戦闘機のドッグファイトのつもりなんですから、まったく! 確かに交通事故を起こしたのは恥でしょうよ。普通の人間とは違った意味で。
塩川先生の恥という感覚は、常人からは少し外れています。聞いた話ですが、やはり七十歳を少し過ぎた頃のことです。東京に武道の指導に来た時のことでした。
先生は、バス停で並んで待っていました。並んでいるのは、婦人と老人が多かったそうです。むろん先生は老人の一人です。
とんでもない老人が居ることを知らない、柄の悪いチンピラが三人やって来ました。
「おい、こら! どけ! どけ!」
と割り込んだらしいのです。決着はすぐに付きました。コンクリートの上に三人が、血へどを吐いて倒れるのに三十秒も掛かりませんでした。喧嘩慣れした先生です、すぐその場を立ち去りました。
その三人に対して、私から一言いわせて下さい。
『本当に良かったですね! 昭和二十年代でなくて!』
その後の話しです。武道の講習会が終わった後、一緒に風呂に入った弟子から先生は、質問されました。
「先生、背中に痣が出来ていますね」
「ああこれか、実はな……」
と、その弟子は、武勇伝を聞かされました。背中の痣は、三人の内の一人が、棒を拾って後ろから殴りかかった時、掠ってしまったそうなのです。
「いかに後ろからと言えども、不覚を取った。昔はこんなことは無かったんじゃ……老いたな……おい、恥だから人には絶対言うな!」
絶対言わないはずが、私の耳に入りました。いい年をして、ストリートファイトをしたことが恥ではなく、後ろから殴りかかられた棒に、触れたことが恥なのです。武道を通しての悟りなんてとんでもない。戦闘者の魂を持ち続けているのです。
先生、本当に良い機会だと思いませんか。九歳の照成少年の憤怒の気持ちは、もう治めましょうよ。治めることが出来るのは、ご自身だけです。なぜなら、他でもない先生自身の心中から生まれ出ているんですから。
組織の運営に手出し口だしは遠慮して、すべて弟子にまかせ、ごく普通の武道の大御所のように振る舞いましょうよ。先生にはその資格が十分すぎるほど在ります。初めは窮屈でしょうが、慣れれば楽になりますよ。
そして、何と言っても廻りが楽になるんです。
塩川門下の名も無き多くの弟子達の為に、不興を買うことを承知で、あえて先生に逆らってきた、岩目地先生を始め、山田先生、嶋田先生の苦労も報われるものだと言えるでしょう。
もう、八十歳を超えたんです。先生も生身の人間の筈です…たぶん。先生の仰る通り、死地をくぐり抜けたとは言いませんが、真剣な勝負をしたこともなく、口先の理屈だけで神棚の前に鎮座する武道家が、いかに多いことでしょう。
しかし、時代は確実に彼等のものなんです。時代の要請で彼等もまた、この社会でそれなりの役割を担って居るんです。
前項で、柳生流の悪口ごときを書きましたが、武術の伝承という面から考えると、その方法が最適だと思います。武道も文化だと思います。文化はその時代を生きる人々の、社会環境そのものと言えるでしょう。
そして、最も成功した例が柳生かもしれません。柳生を筆頭とする流派が存在するおかげで、私も現在の世の中で武道の稽古が出来るわけです。
茶道に於いても然りです。千利休は、その道に命を賭けていました。しかし、今の茶道人に、果たして命を賭けて、一服の茶をたてる方がおられるでしょうか? 精神論では有りません。事実としてどうかという問題です。しかし、伝承となると別問題です。色々な流派があり、考え方もあるでしょう。それでこそ伝承出来るのです。まさに武道もそうだと思うのです。
伝承の主体たる組織を維持するためにも、武道は商売である必要が有るのです。
塩川寶祥の本質を、誰が伝承できると言うのですか? 少なくとも私は御免です。現代の社会に於いて、伝承できるのは先生の本質ではありません。術だけです。
そして、伝承していくためには、組織が必要であり、商売でなければならないことになります。段位、称号、目録、免許、免許皆伝を発行することはむろん、流派の発生自体がすべて商売です
塩川先生の術を伝承する皆様、柳生を目指しましょうよ。現代は戦国時代でも、戦後の無秩序な混乱期でもありません。それしか選択は無いはずです。
戦闘者としての魂に於いて先生は、宮本武蔵よりも二十年以上戦い続けてきたのです。武蔵のように時代に負けましょうよ。世間の要請に迎合しましょうよ。挫折して、凡人になりましょうよ。
それとも、討ち死にして筋を通しますか? 今回の交通事故で命を落としたならば、塩川寶祥伝は理想的な形で完結したことでしょう。しかし、幸か不幸か、命長らえたのは天の配剤だと思えませんか?
先生自らが仰ったんですよ。
“制限速度は二十キロオーバーに抑える”と。
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