師とその周辺







岩目地先生について<続編>

“もの”になる

岩目地先生がおもしろいことを言われた。
空手の場合に限ってのことだが、実につぎのことが言えるそうだ。
「大成した者は皆、不器用な者、運動神経のニブイ者だ。これに関しては例外がない」
故に、指導する時に、しばしば、このように言われるそうだ。

「君は、ヘタで不器用だ。器用な者が2〜3回で出来るところが、10回以上かかる。
しかしそれでいい、10数回かけて、一つ一つマスターしなさい。いつかきっと“もの”になります」

「必要なのは続けることです」(続ける秘訣を一つ、『適当にやること』)
多少、嘆息しながら先生は言った。

「才能の有る者が、根気よく努力を続けると、本当に鬼に金棒だがそうはならない。次へ次へと早く進んで、結局ものにならない。」

私は尋ねた。
「先生はどうでした?」
 先生はごく自然に言った。
「私は器用でした。したがって“もの”になっていません」
 と、予期した通りの回答。

「じゃあ“もの”になったという人はダレだ! どこにいる!」
「遠く東京の地にも、下関在住の岩目地先生の技にあこがれ、日々稽古している人々が数百人はいる。」

この際、さらに言わせていただく。

「先生の発言は、例えれば、社員数百人の会社の社長がいるとする。その社長がポンコツの軽自動車を自家用車として使い、社員に『金がない、金がない』と言うのに似てないか!」

「謙虚な人間性はよく解るが、社員にとってあまりにも夢が無いではないか!」

蛇足。

私が“もの”になっていないのは、器用だったからではなく、あくまで“なまけもの”のせいです。



“もの”になる その2

「10年続けなければ、その道に関してもの言うな」と発言した友人の茶道の師匠。
柴山流の華道を習っている。師匠は何十年と華道の教授をしているおばあさん。

まだ、指導者として若かった頃は、
「もう花はやめた方がいいのでは?」「あなたは、向いていませんよ!」
時間と金の無駄ではないかとホントに思い、何度も口から出そうになったそうだ。
今は、これが全く言えないという。

だめ、だめ、・・・・・・で、多年月続けていた人が、ある日突然、本当に突然、もじどおり“花ひらく”ことがあるそうだ。しかも、決して珍しいことではなく、しばしば有るという。

「何時、誰が、まったくこれが解らない」そうである。

おおいに、期待します! 必ず私も“花ひらく”ことでしょう。

では、何にたいして?


“もの”になる その3

年老いた、大工の老頭領はしみじみと、話してくれた。
「小僧の時、『バカヤロー!』『ナニヤッテル!』と怒鳴り、小突き回した不器用なやつが、結局“もの”になっている。」
「器用で、あまり怒ることもなく、うまくやってた奴が、中途半端で終わってしまう」
「不思議なもんだなあ・・・・・・」
不思議でも何でもありません。そのうち私も間違いなく“もの”になります。
む・・・50才半ばまで、怒鳴られ続けた奴が60才過ぎて“もの”になる・・・・・・。
質問があります。(挙手した) よもや、年齢制限はないですよね!

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