師とその周辺







岩目地先生について

「おい、これ奥さんに渡してくれ」

と言って、塩川先生は真珠のネックレスを岩目地先生に渡した。
今から30数年前の話である。

全日本剣道連盟よりの依頼により塩川先生は、島根、鳥取、山陰地区に杖道、居合道の講習に4日間廻った。その時、助教として岩目地先生にお呼びが掛かったしだいである。

新婚間もない時期に、夫を4日間つれ廻して奥さんに申し訳ないと思い、謝礼として貰ったお金で塩川先生は柄にもなく、ネックレスなぞを買い求め、感謝の気持をあらわそうとされたのだ。

「心遣いありがとうございます。しかし、先生それをいただく訳にはいきません。」
「お前にやるのではない、奥さんにやるのだ」
「妻は関係ありません、そちらはそちらできちんとしております。あくまで武道は私個人の趣味の世界です。」
「いいから、取れ。」
「いやです」
「一度出したものを、引っ込める訳にいくか! ここに置いておく」

後日の話、
「おい、ネックレス奥さんに渡したか?」
「え! いや、そのままですよ」
「あのまま、あそこに置きっぱなしか!」

塩川先生は私に、
『いくら何でもひどいだろ、自分の先生が受け取ってくれと頼んでいるのだ、ありがとうございますと言って、受け取るのが普通ではないか?』
と、おっしゃられた。私は答えた。

「確かに変だと思います、岩目地先生だけでなく、いい年をして武道をする人間は皆、  多少変ではないですか? 私以外は。」
「変だ変だ、皆へんだ、お前もかなり変だ」


それから30年後の平成9年、当時の私は、親会社が倒産、その煽りを受けて、子会社の代表者取締役をしていた関係から倒産整理の為に動き廻っていた。
そんなある日、岩目地先生が、
「大変ですね。しかし、落ち着いたらあらたに収入の道を探さねばならないでしょう。何か考えていますか?」
と、声を掛けてくださった。

「考えることは、考えておりますが……先生、なにかいい話がありますか?」
「私の勤め先も景気が悪く、希望退職を募っています。どうです谷さん、一緒に“パン屋”さんをしませんか?」
私は一瞬絶句した。

……なぜ、パン屋……?

しかし岩目地先生は、目を輝かせて続ける。
「軽自動車に美味しいパンを乗せて、団地、住宅地を廻って売るのです! 妻も谷さんと一緒なら良いと言ってくれました。」
「先生、美味しいパンというと仕入れて売るのでは無く、造る必要がありますね、どこで造ります? 誰が作ります? 修業が必要になりますよ。それより先生、一本釣りの漁師はどうですか、(これまた修業が必要)」

「私は舟に酔うからだめです」
その提案には、端的な回答が返ってきた。


……2〜3日後……

「先生、良い商売を考えました! 武道具店です。店をかまえる必要はありません、仕入れ営業、私がすべてやります。」
私は勢い込んで続けた。

「先生にやって欲しいのは、口利き(紹介)だけです。鹿児島、宮崎、福岡、山口、島根、兵庫、大阪……東京、アメリカ、ヨ−ロッパ。先生が声をかければ皆さん全面協力してくれますよ。」

「武道は私の趣味です、そこに商売を持ち込むのはいやです。」

……… 一貫堂の塾頭、岩目地先生はこんな先生です。


さらに後日談。

岩目地先生は船舶の設計会社にスカウトされ艤装を中心とした設計の仕事をしている。

私は東京に出てきて勤め人生活。

先生、まだ間に合います!

アルバイトでいいから、商売をしてみませんか?

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