師とその周辺







その後のポンタル君

 

 最近は小説ばかりのUPで多少気が引けます。よって久素振りに、武道に関するエッセイでもとなった訳です。 
平成15年7月1日、ポンタル君が上京、十年ぶりに会合したことはトップの御挨拶にてご報告致しましたがもう少し詳しく述べさせて頂きます。
 ポンタル君は36歳です。今更、“君”でもないわけですが、「谷さん、十年ぶりですが全然違和感がないですね。つい先週会ったと同じ感じで話が出来ます」と言ってくれました。実は私も同感でした。よって、今まで通りポンタル君で行きます。(要は、二人とも、まったく進歩がないということです)

 今回の上京は、居合道大会で、塩川寶祥宗師と一緒に師範演武のために同行してきたのでした。ポンタル君は現在三段、何故に、宗師と一緒に師範演武? と普通なるところですが、段位、免状に関係なく、皆が彼の実力を認めるので、通るんですよねこれが! そして、翌日彼とは六本木ヒルズでじっくり話し込むことが出来ました。
 確かに外見は歳を取っていましたが、身にまとう雰囲気はかつての青年のままでした。「今朝も起き抜けのまま坐禅をしたのかい?」と私。 
「今朝のホテルでの起床時間は5時でした。顔を洗い、床の上で7時まで坐禅をし、それから朝食を取りました。昨日は塩川先生のお相手で、就寝時間が朝の2時だったものですから、起床が遅くなりました」
「5時で遅い? では、いつもは何時に起きるのだ?」
「そうですね、通常は3時に起きます。寝るのは12時ですから、睡眠時間は通常3時間ですかね」
「おい! それで身体は大丈夫か?」
「十数年来、その生活ですから別に苦にはなりませんよ」
「それで、相変わらず坐禅と武道だけ?」
「そうです。坐禅と武道以外は全く興味がありません! 17歳の時そう思って以来、全く気持ちは変わりません!」
 そう言い切るのだから見事なものです。

 以前、このHPで、ポンタル君の晋山出来る寺を教えて下さいとの発信をしましたが、謹んで訂正させて頂きます。彼は住職の口が掛かるたびに、みな断っているそうです。
「谷さん、寺の住職になると、社務に追われて坐禅をする時間が取れなくなるんです。だから私は、雲水のままで結構です」
 ご立派です。ここまで立派過ぎると多少やばい気がして、心配になって来るのは、きっと私が凡人だからでしょう。
 私が、HPで“維摩詰外伝 ”という連載小説を書いていると言うと、
「是非、読みたいです」
 とポンタル君。
「コピーして送ろうか?」
「お願いします“維摩経”は大好きな教典です」
 と言うのです。純真無垢なポンタル君に維摩詰外伝を読んでもらって良いものでしょうか。いまいち確信が持てないため、現在まで送ってはいません。

 送っていった羽田空港の喫茶店で、塩川宗師を交えて三人で話しをしました。その時私は維摩詰外伝を送る複線として言いました。
「ポンタル君、君が純粋なのはよく分かる。しかし、人間にとって、セックスとはあだやおろそかに出来るものではない。人生の一大事だと思うよ」
 と言いました。
「そうだ、谷の言うとおりだ。セックスは大切である。古来より英雄色を好むという言葉もあるごとく、大人物、崇高な人間になるためにはセックスは大事なんだぞ・・・・・」
 と、塩川宗師もテーブルを叩きながら熱弁を振るって下さった。
 我々の思いやりの言葉に、ポンタル君は黙したまま一言も返事をくれなかった。

「谷さんは、林文照老師と一別以来、坐禅はしていないと言いましたが、そんなことはありません。あなたは日々坐禅を続けておられます」
 そう慰めの言葉を残し、彼は機上の人となった。再会するのにまた十年の年月を必要とするのだろうか?

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