「兄ちゃん、安全運転だよ」
「由美、分かったよ、でもその格好何とかならないか?」
貴彦は完全にいつもの彼に戻っている。名残惜しそうに、由美は鉢巻きを取り、プロテクターを外しに掛かった。
「まて! プロテクターは、そのままで良い」
「なぜなの?」
「うーん・・・・・は、肌の露出が多くなる」
ハイレグのレオタードにいまさら、露出うんぬんも無いだろうに。それを言うなら、ズボンを脱いで、由美に渡した方がよっぽど気が利いている。
「兄ちゃん、あそこのコンビニに寄って。お腹がすいたから、サンドイッチでも食べたいの」
「実は、俺も腹が減ってたんだ」
そう言うと、貴彦は右折して道路を横切り、青山一丁目交差点近くの、コンビニの駐車場に車を乗り入れた。
「おいッ、あのカローラ、さっきの狂った車じゃないか?」
「間違いないわよ!」
先ほど、もう帰ろうと言っていた、若者がまだたむろしていた。どうやら他に行くところもないらしい。
ドアが開き、中から二人が降りてきた。
「な、なんだ、あの女! 絶対おかしいぞ」
「そんことないわ! 素敵じゃない」
「かっこいーッ!」
ここでも、由美は女性にもてている。
「由美、お前は車でまっていろ」
「だめよ、兄ちゃんに任せておけないもの」
「たッ、頼むからそんな格好で外に出るなよ」
「あら、ついさっきまで、そんなこと何も言わなかったじゃない。なによ、いまさら」
丁度その頃、摩美とゲンは、渋谷駅を降りて、青葉台の北御門家に行く途中であった。「ゲンちゃん、グズグズしないで速く歩こうよ」
「うん」
ゲンは不安そうだった。一方の摩美は、シャワーを浴び下着も着替えてご機嫌である。
「ゲンちゃん、手をつないであげようか?」
「いいよ、そんなこと」
「いやなの?」
「い、嫌って訳じゃないけど・・・・・」
誘拐された者と誘拐犯人が、仲睦まじく手をつないで、歩いていく。
「誤解しないでね、私の結婚相手は医者か弁護士でないとだめだからね」
「とんでもない、結婚なんて」
「えッ、それって私に魅力がないってこと。そういえば、さっきまで私、抵抗できない状態にあったのに、ゲンちゃん何もしなかったわね。それってひょっとして、私が魅力がないってことなの?」
「ちッ、違う。俺、無茶苦茶我慢してたんだ」
「ふーん、我慢してたんだ・・・・・なぜ?」
「なッ、なぜって・・・・・」
ゲンは、どう考えたらいいか分からないのだろう。途方にくれた様子であるが、かといって、摩美の手を離すわけでもない。
「ゲンちゃん、手に汗かいてるよ。何か心配事でもあるの?」
実際、摩美の頭の構造はどうなっているか分からない。
「麗子さんって、どんな人かな。すべて任せなさいといってたけど」
「お姉ちゃんがそう言ったの? だったら絶対大丈夫よ、心配すること全然ないよ」
「そうかなー・・・・・」
そうこうするうちに、二人は、北御門家の門に到着した。
「やっぱり、俺ここで逃げるよ」
「だめ、お姉ちゃんの言うとおりしたほうが身の為よ。今逃げたら一生お尋ね者として追われるのよ」
「あなたがゲンさんね。わたくしが麗子よ。良くいらして下さったわ」
ゲンは、通された応接間の床に頭をたれ、正座をしている。刑事が二人左右に陣取り、睨み付けていた。麗子は椅子に座ったまま、儚げな顔をゲンに向けている。摩美は化粧直しをするといって席を外していた。
「はッ、はい」
「悪いようにはいたしませんから、ご心配なさらないで」
麗子は優しくゲンに呼びかける。
「御協力ありがとうございました。あとは、警察の方で身柄をお預かり致します」
刑事は、いまにもゲンに飛び掛かりかねない勢いだ。誘拐犯を捕まえれば大手柄だ、昇進にも良い影響が出る。金一封もあるかもしれない。
「刑事さん、あなた方は今回の事件で何かなさいました? 兄と熊田刑事が帰って来るまでお待ち頂くわ」
麗子にそう言われると、刑事には面目がない。機材を持ち込んだだけで、事件解決のためには何もしていないのだ。
玄関が開いた。椅子に腰掛けていた麗子が、スーと立ち上がり、音もなく玄関に向かった。
「お兄ちゃん!」
「おーッ、摩美」
貴彦と摩美は、ひしと抱きあった。
「無事だったか? 変なことされなかったか?」
摩美を抱きしめた貴彦は涙ぐんでいる。
「変なことしてくれなかったの」
「えッ・・・・・」
貴彦にはいまいち意味が分からない。
「お兄様、少しお話があるの。こちらにいらして下さる」
「おお、麗子、ご苦労だったな。お前のおかげで、摩美も無事らしい」
そんなに、長い時間ではなかった。兄妹四人の打ち合わせが終わると、全員が応接室に集まった。
貴彦、麗子、摩美、由美、熊田、ゲン、それに刑事が四人で、つごう十人になった。北御門家の応接室は大きく、二十人が集まって、パーティーが出来るだけの広さがたっぷりある。みんなは椅子に腰掛けているが、ゲンだけは床に正座したままである。
「みなさま、お疲れ様でした。由美さんはまだ、着替えていないのね。まあいいでしょう。今回の摩美さん誘拐事件に関しては何もなかったことにいたします」
「そッ、そんなばかな! 熊田刑事、何とかしてくださいよ」
熊田は大きな身体で椅子にふんぞり帰ったまま何も言わない。麗子がそう言う以上、それなりの根拠があることは、骨身にしみて分かっているらしい。
「お兄様、それで宜しいですね」
「麗子が、そうしたいならそれでいいだろう」
麗子は、刑事を歯牙にもかけず。貴彦の承諾を得た。彼の家長としての立場を麗子が配慮したのだ。
「納得できません。首都の治安を預かる、公務員としての良心が許しません!」
顔を真っ赤にして、刑事が麗子に詰め寄る。麗子は平然として、淡々と話し出した。
「良心ですか? わたくしが知らないとでも思っているのですか? 政治権力の圧力で年間どのくらい、もみ消しが行われているのでしょうね。今回の件では、犯人は十二分に制裁を受けています。そうですよね、熊田さん」
「黒幕は、半殺しの目にあったわな」
「ここにいるゲンさんは、手下として使われただけですよ。しかも、反省し摩美を我が家まで連れてきたではありませんか。それでも、刑事さんは逮捕しようと仰るの?」
「私たちは刑事です」
「そう、刑事さんよね。今回の件で何か働きまして? もしどうしても、ゲンさんを逮捕しようと仰るなら、あなた達の人生は終わると思って頂きましょうか」
「なッ、何故なんだ!」
「わたくし、いささかネットには詳しいの。何にも出来ない駄目刑事が、手柄だけは横取りするとか、あることないこと、実名、住所も公表し、ネットに乗せるわよ。手間暇は惜しみません。徹底的にやらせて戴きます。まず警察には居れなくなるでしょうね。住まいも変えざるを得ないでしょう。引っ越しても無駄よ、追跡させていただくわ」
「・・・・・」
四人の刑事は、返す言葉もない。虚脱したような顔で熊田を見つめた。熊田はやれやれとばかりに頷く。結論は出た。
「お兄様、そういうことで宜しいですね?」
「結構だ、それでいい」
家長の貫禄を見せるように、大仰に貴彦が頷いた。内心では、麗子にだけは逆らわないようにしようと、決心でもしているのだろう。
ゲンは頭を垂れたまま身じろぎもしない。涙でも流しているだろうか。
「ゲンさん、そういうことで、一応この件は終わりです。一応と申したのは、お兄様から御願いがあると思います。そうですわね、お兄様」
「えッ、なんだ・・・・・」
貴彦は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「代わりに、わたくしが申しましょう。ゲンさん、族をやってらしたそうね」
「はい」
消え入りそうな小さな声で、ゲンが返事をした。
「じゃ、後輩の方もいらしゃるわね?」
「い、いらっしゃいます」
「緊張しないでね、あくまでお願いなんだから。実は草刈りをして欲しいの」
「くッ、草刈りですか?」
「そうよ、週に一度で良いわ。我が家の庭の草を刈るの。三人ほどお願いね。後輩いるんでしょ、無理かしら?」
「無理ではありません、します、絶対させて頂きます。本当にそれだけで良いんですか?」 どんな無理難題を出されるかね多少の不安てを感じていたゲンは、天にも昇らんばかりに喜んだ。
「それだけよ、簡単でしょ」
「あッ、ありがとうございます・・・・・あのー、すみません、ちょっとお聞きしますけど、いつまでですか?」
「永遠によ」
「とッ、とわにって、それって・・・・・」
「あなたにして、とは言ってないわ。後輩が居るって言ったわね、順送りにすればいいことよ。簡単じゃない」
「えッ、まー・・・・・」
「いやなの?」
「いッ、いやじゃありません。させて下さい、是非にでもさせて下さい」
「お兄様、ゲンさん、喜んで草刈りがしたいらしいの。よろしいですわね」
笑顔が溢れそうになるのを、グッと堪えた貴彦は言う。
「草刈りは、私の仕事であるが、若い青年の更正のためである。譲ることはやぶさかではない」
「いやー、青年の更正のため、それは良いことだ。お前たちもそう思うだろうが」
もう嬉し涙を流さんばかりの笑顔で、熊田が四人の刑事に言った。それもその筈、熊田も地獄の責め苦から解放されるのだ。
「はーッ?」
四人の刑事は、いまいち意味不明のうえに、鬼の熊田の、おぞましい笑顔を見せつけられたのだ。逆らうことなど出来はしない。
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