爽やかな早朝であった。目黒区青葉台の高級住宅街のなかでも目立つ、広壮な北御門家の石畳を、薄いサテン地のガウンを身に着けた女性が歩いている。美麗な横顔を少しうつむかせながら、長いまつげで、おぼろに郵便物を手にして、一枚一枚眼を通している。麗子であった。
白い絹のパジャマの上に羽織られた、黒いガウンは、朝の光を反射し煌めいている。一つに束ねられた長い髪は、腰にまで届きそうである。サンダル履きの素足が、石畳に軽い音をたてて、門扉から玄関に向かっていく。ソープランド事件から三週間が経っていた。
初秋の庭には、枯れ葉が疎らに散ってはいるが、庭全体は整えられている。樹木の剪定はシルバー人材センターに頼まざるを得ないが、下草刈り、清掃は、暴走族『毘沙門天』のメンバーが毎週、四、五人交代で作業に当たっている。
新宿騒動で、知り合いになったヤスなどは、用もないのにちょくちょく顔を出し、喜々として下男のように、三姉妹にかしずいている。
いつぞやなどは、
「お兄さん、申し出があります」
「何だ、ヤス言ってみろ」
貴彦は何時しかお兄さんと呼ばれるようになっていた。
「妹さん、皆さん本当に綺麗ですね。心配じゃありませんか?」
「心配・・・・・心配に決まってるよ。それがどうした?」
貴彦の眼が、少し光った。
「お兄さんが不在の夜は、三人では不安でしょうから、僕、泊まり込みで守ろうと思うんですけど・・・・・」
まだ、言葉が終わらないうちに、貴彦の平手がヤスの頬を烈しく打ち据え、ヤスは二メートルも吹き飛んだ事もあった。
平和であった。すこぶる平和な日々であった。麗子の心も、わだかまっていた一部を表出すことが出来た事により爽やかになったのだろう。日常、微笑むことが多くなった感じがする。
「姉ちゃん! オムレツが旨くできないの。教えてよ!」
玄関から身を乗り出し、由美が麗子を呼んでいる。早朝の青葉台に、若い娘の健康的な声が響き渡った。
「はい、由美さん、すぐに参りますわ」
いつもの優しい声だ。朝の空気のように爽やかな麗子の目元だ。
「早く来てね!」
そう言うと、玄関の扉が閉まった。今日の当番は、由美らしい。おそらく、すぐに台所に駆け込んだに違いない。
一通の手紙が眼にとまると、麗子の手と足が静止した。和紙の封筒に、女文字で“北御門貴彦様”と記されてあった。
細く白い指が、封筒を裏返しにする。差出人の名前は無かった。
少しの躊躇もなく、麗子は封筒を裂くと、ガウンのポケットに押し込んだ。彼女の表情には何の変化も見られない。
微かに「ふんッ・・・・・」という声が漏れた気がした。
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