身 辺 雑 事

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 老いの足音

  
 
 
 先ほど寝る前の習慣に従い、風呂上がりに顔を洗い歯を磨いた。時計の針は十二時四十分を指している。右上の二本の入れ歯を外し、ポリデントに漬けた。一ヶ月前に歯を抜いたのだ。インプラントにするかどうかは考慮中。
 手元にはウイスキーのオンザロック、これまたいつもの習慣である。

 入れ歯にすると、食べ物の味が変わると言われた。しかし、それは嘘である。違和感を感じて食べる事に興味を失うのだ。味は変わらない。
 付き合いで居酒屋や料理屋に行く機会が多くある。いささか不遜な発言であるが、料理を見ただけで、食べなくても味が想像できる。まず裏切られることは無い。
 これは、じつに悲しいことである……。

 ウイスキーが無くなった。パソコンのキーボードから手が離れた。グラスの氷の上に液体を注ぎ足す。手が覚えている。いつものように瓶からゆっくり注ぐ。手に持ったグラスが重い。一口飲んだ。何故毎晩ウイスキーを飲むのだろう。所詮単なる習慣だと思う。日々の生活を送るのと同じように。

 歳を取って良いこともある。人物評は大したものだと、褒められることがあるのだ。職場でも多少そのような評価を受けているようである。別に否定しようとは思わないが、大したことではない。
 人の顔、姿勢、話し方、何となく感ずる匂いのようなものを、パターンとして記憶しているだけのような気がする。経験を積みパターンの記憶が多いだけではないだろうか。ようは老いてきたのだ。
 しかしながら、本当のところを言えば、有る程度他人を評価出来るようになるには、最低2年の付き合いが必要だ。これまた、単なる経験で得た知識である。

 食べ物の味を想像できるのと同じように、人の世のしがらみ、人間の行動パターンが見える気がする。あくまで気がするだけだということは認識している。そして、甘んじてそれを受け入れている自分を発見する。よって、大した失敗もないが成功も見込めない。
 人間も世の中も単純では有るが、人智で計れないほど複雑でもある。人生の傍観者になっていく自分を自覚する。

 若者に混じって武道の稽古を続けている。HPで埒のない小説なんぞを連載している。
両方とも上手くなりたい。欲と情熱はまだまだ捨てたもんじゃないと思う。しかし、身体の芯の部分に空洞が出来、次第に大きくなる気がしている。その実体を、虚空と呼ぶことも出来るだろう。

 九月も半ばになるが、夜になってもまだ暑い。午後11時を過ぎるとエアコンを止めるのが、我が家のルールである。社会のルールに従わねば不自由になってしまう。

 外で虫が鳴いている。名前は解らない。網戸にバッタが貼り付いている。蛹から出たばかりの若い命だ。淡いうす水色の羽根をまとい、白い腹を私に向けて、静かに時間の経過を待っている。





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