日本刀にまつわる話
掲示板で木蘭さんの返事を書いていたときに、突然の思い出したことがあります。
これから述べることは、一貫堂六本木道場、指導員補佐のマサミに二十四、五年前に聞いた本当の話しです。彼は弁護士という職業柄こういう人たちとも付き合いがあるのです。実名を挙げても良いと思うのですが、あえて匿名に致します。名誉毀損で訴えられるのは恐くはないが、ヒットマンでも送り込まれては、堅気の私には防ぎようがありませんので。
北関東は上州に、博徒の一家があります。ヤクザの名跡としては日本有数で、その筋のものはおろか、一般人でも名前を聞けば分かるはずです。
昔の権勢は見る影もなく、当時は一家の親分、代貸しに組員が五人の合計七人の微々たる組織でした。
しかし、代貸し曰く、
「内の組は、単一組織としては日本一広い縄張りをもっている。ただし、その殆どが桑畑で見かじめ料が全然入らない…」
と嘆いていたそうである。
なるほど、それでは別のヤクザ組織にとっても魅力はなく、縄張りが浸食されることはなかったのであろう。ではどうやって組を維持できていたのだろうか? 実に代貸し一人の手腕と力量に、おんぶに抱っこだったのである。
代貸しは、ごく普通の家に生まれ育った。しかし、人と変わったことに、とにかくヤクザが大好きだったのである。憧れていたのだ。それも尋常ではなく。
高校を卒業すると、大学に進学しろと言う(学校の成績は良かったらしい)周囲の大反対を押し切って、ヤクザの見習いになった。住み込みの見習いとして働く代貸しは毎日が楽しくて仕方がなかったと言う。
このマニアというかオタクの青年に一家は救われることになった。彼はそのうち異常な能力を発揮しだした。何とそれは、発明の才能だったのだ。
四十歳を少し廻った代貸は、金を生む特許を七つ持っていた。そのロイヤリティーで一家の経済が運営されていたのだ。そんなことがあるもんか! 嘘をつくんじゃない! 信じられないかも知れませんが真実なのです。
組員は言ったそうだ。
「とにかく、代貸しが興にのったら閉じこもったまま家から出てこない。一ヶ月でも二ヶ月でもそうだ。そうなったら親分でさえ邪魔は出来ない。ましてや私なんぞが……」
代貸しは発明に没頭するらしい。家というか、アジトというかに立て籠もって、発明を仕上げるまでは人との接触を断つそうである。不用意に代貸しの部屋に踏み込んだ子分が大怪我をしたという伝説もあるほどだ。
彼に研究施設と、整った環境を与えれば世の中に貢献する発明がたくさん出現するであろうと思うのは大間違い。彼に取って発明は、あくまでヤクザオタクの手慰みなのであるから。
ある時、彼がまたもや家に閉じこもってなにやら始めた。無論、一家にとっては米櫃だから彼の邪魔をする者は誰もいない。
組員は、それにしても今回は長いなと噂をしていた。三ヶ月が経過したある日、代貸しはダンビラを片手に家から出てきた。親分にダンビラを渡し彼は言った。
「日本刀は難しいや!」
紛れもなく、それは日本刀であった。いや、日本刀以外の何ものでもないのは分かるが、明らかに普通の日本刀とは異なっていた。
「もう刀を打つのはやめた!」
以来、彼が日本刀を打つことはなかった。
それ以前に彼は、刀に特別強い興味を示したことはなかったと言う。鉄はどういう物をどうやって入手したのか、又、どうやって鍛えたか彼が話さないので全く分からない。刀鍛冶の知り合いもなく、教えて貰う人はいないはずだ。おそらく書籍を読みながら制作に打ち込んだのであろうと想像するしかない。
その刀を私は見てみたい。以前、居合をやっていた私は、本身の刀を一振り所有している。しかし、私は刀に全く興味がない。でも、彼が鍛えた日本刀もどきなら出来れば購入したいと思う。無論、美術刀剣の登録など無理に決まっているが、私は秘蔵しますよ。
二十四、五年前の話しである。言うまでもないことですが、とっくに時効ですよ警察の皆さん。でも私はその日本刀の行く末が、妙に気に掛かって仕方がない。
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