身 辺 雑 事

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 呼び名(接尾語)

  
 
 
 

 ここで述べるのは、武道の世界における相手に対する呼びかけの言葉です。かしこまったものでは有りません。単なる比較の問題ですが、序列に厳しい団体も有るようです。しかし、塩川一門にはあまりそれが感じられません。

 このHPの掲示板にダイスケが、岡崎さんと書きました。彼にとっっては、ごく自然の呼びかけで何らの不自然なことは有りません。しかし、皆様ご承知の通り、岡崎先生は極真館の師範であり、居合道の宗家でもあります。彼の門下の人にとっては奇異な言葉かも知れませんが、ダイスケにとってはごく自然なことなのです。十数年前は一緒に稽古をしていた仲間であり、最近は会ったことがないのですから、他にいい様がないとも言えます。
 かくいう私も岡崎さんのことを岡崎先生と言い始めたのはこの二、三年のことです。恐れ多くも岡崎先生が私のことを先生と言い出したからです。最近はやっと自然に先生と言えるようになりました。

 ダイスケは、某流派の御宗家のことも、Nさんと言います。現在、杖道の指導を受けているF教士七段のこともFさんと言います。考えてみればダイスケが自然に先生と言っているのは、塩川先生、岩目地先生のご両人だけのようです。
 私は、N先生、F先生と言います。平成10年の初めに私が、東京に出てきた時にお二方は、錬士六段以上だったからです。そうです、一応、塩川門下にも、錬士六段以上は先生と呼ぶ慣習が有るのです。(あくまで居合道と杖道の場合においてであり、空手道の場合は初段でも指導員に対しては先生と言います)
 簡単に言ってしまえば、習慣の問題でしょう。人が言っているから同じように呼んでしまうだけのことです。

 ところが、ところがです。今は寶祥会の相談役であるM範士九段のことを、古武道を始めたばかりの私は、Mさんと呼んでいたのです。当時、M先生は教士7段でした。これって何なんでしょう? Y範士八段もYさんと呼んでいました。現在はさすがにお二方のことを先生と呼んでいます。理由は明らかです。塩川先生がM、Y、と呼び捨てにしており、岩目地先生が、「さん」と呼ばれていたからです。
 私と極めて仲の良い杖道教士七段、居合道錬士六段の、S先生のことを先生と呼び出したのも最近のことです。恐れ多くも彼が先に谷先生と言い出したからであります。

 では、私がそこそこの段位かというと全然そんなことはありません。昭和17年発行の「塩川照成八十年の歩み」という本に写真入りで私が記載されていますが、そこには、「谷照之、空手道師範、杖道教士、居合道教士」と紹介されています。
 空手道師範はともかく、杖道は4段であり、居合道は3段です。教士なんてとんでも有りません。すべて、塩川先生の捏造です。本を見たとき私はビックリして、あちらこちらに否定の電話を掛けまくりました。放っておいたら、少なくとも下関の街を歩けないではありませんか!

かくいう私も塩川先生、岩目地先生のお二方は昔から先生と呼んでいました。期せずして、ダイスケと同じです。岩目地先生は私のことを、谷さんと言ってくれるから良いんですが、塩川先生に至っては、私の職場や家庭に電話を掛けて来られるときに、
「塩川といいますが、谷大先生をお願いします」
 と仰るのです。冗談もいい加減にして欲しい!
 大…ダイはないでしょう。からかわれているのは承知の上ですが、もしかして、塩川先生が大先生と呼びかけるのは私だけかも知れません。乙藤先生、紙本先生に対しても、単に先生でしたから。十数年前のことですが、塩川先生が、
「いま、自分が素直に先生と呼べるのは、このお二方だけだ」
と仰っていました。
 からかわれているのは言わずもがなですが、塩川先生から大先生と呼びかけて戴けるのは、親愛の情の表れだと勝手に解釈することにします。
 
 「不動地古武道の会」という団体が有ります。そこを主催しておられる、教士7段の小林師範を私はカズさんと呼んでいます。カズさんも谷さんと言ってくれます。これって、友達感覚になって気分が良いんです。
 ついでに、私がダイスケのことを呼び捨てにするのも習慣です。カズさんや、N先生、F先生が言っていたので自然にそうなりました。
 居合道5段のダイスケから私は、居合道の指導を受け始めました。彼は杖道4段ですが、空手道は一級です。空手道一級の彼が、私を先生と呼ばない限り、呼び捨てを続けてやろうと思っております。
 ダイスケ、くれぐれも誤解するなよ、これは私の親愛の情の表れなんだから。  





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