「奥義と期待」
11月某日
ネットは便利な検索の道具にもなる。特にこの数年はblog等の道具も増え、情報量が半端ではない。それは古武術関係であっても例外ではない。
これまで図書館や古書屋等で探し回ってやっと見つけたような資料がネットで公開されていたり、人の縁が無いと見つからないようなものまですんなり見つかったりする。ありがたい時代だ。
それに比例して、探していないもの、間違った情報にも当たりやすくなった。
特に古武術関連はゲームや漫画等に使われることが多いらしく、肝心の情報になかなか当らなかったり、よくよく読んだら創作だった、なんてこともままあったりする。これはこれで面白かったりする。
更にそれに比例するかのように、一部の見学者の言動も変わって来た様に思う。
こちらとしては少しでも興味を持ってもらおうと変わった事を合間にしたりするのだが、
「それは発勁ですか?」「それは〜〜流の奥義と同じ概念ですね」
等と言われる事がある。返答に困って適当に誤魔化すのに苦労する。
嘘を言う訳にはいかないし、かといって正論を言って引かれてしまったら、、、等と姑息にも考えているのである。
期待を裏切るのは申し訳ないが、一番最初に習った基本、型や動作が奥義や秘伝に直結することは多い(注2)。しかも、派手な技などほとんどないのだ。
変わった技は変わった技に過ぎず、出来ても特定の条件下の旦那芸にしかならない。
いくら奇をてらった技が得意でも、基本をみっちりやっている人には逆立ちしても敵わないのである。
さらに動作だけでは意味が無く、そこに「意」があって始めて術となったりもするのだが、「意」が師範によってマチマチだったりするし。伝わりにくいし。
そもそも無かったり、変わったりもするし。
こうなってくると、(古武術は特に)外見でやっている事の難易度も分らないし、興味も持ちにくいのではないだろうか、などと考えてしまう。
驚天動地の必殺技を求めて来ている人の期待には、少なくとも私は応えようが無い。
意味合いとシチュエーションが少し違うが、
「杖ってみじめったらしい。刀に敵うはずがないのにああでもない、こうでも
ない理屈ばっかりこねてカワイくない」
等と言った意見ももっともで、出てきて然るべしである。
いやはや、情報量が多い体験希望者の期待に応えるのは骨が折れるものである。
注2) 必ずしもそうでない場合があります。特に暗殺技や上意の際に必勝
を期して意表をつく技や、修験道、密教に類するものが含まれている
など、最初に習うものからかけ離れているものもあります。
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