「段位の概念と、その内包するもの(その2)」
12月某日
文章が長くなってしまったので2分化した。巻物の話の続きである。
ここで問題となるのは、巻物がどの段階でどのように出るか、という事
だ。当たり前の事だが、師範以上の評価によるものだ。恐らく試験の類
も伴ったりしたであろうが、それだけの評価ではない。それまでの修行の
姿勢や、場合によっては心理的要素(好ましいかどうか)も加味される。
これは合議制にしようが多数決制にしようが、個人の判断であり客観的な
ものではない。最終的に個人が個人に対して出すのだから、客観的である
必要も無い。同じ段階(巻物)でも、強さに差があってしかるべしである。
#当然出しやすい師、出しにくい師が出てくる訳で、誰から貰ったか、
#と言う点に価値が出てくるのも容易に想像できる。
こういった個人の結びつきでは、他流派や多くの師範が合わさって出来た団体
では評価基準がバラバラになりすぎる。こういった事で出来たのが段位である。
#現在では、古武術でも段位が巻物と伴って存在する場合がある。
#当然、巻物と段位の分化は明確には行われない(行いようが無い)。
#段位が個人(個人名に非ず)から出る場合もあり、もはやカオスというか。。
では、強さの絶対的(あるいは客観的)評価基準として段位は成立して
いるのか。これは現在の所Noである。
上記の巻物のシステムを引きずっており、かつ既得権的要素がある以上、
これは(限りなく近づけることは出来ても)強さの基準にはなりえない。
#なりえる、と言う人も居るだろうけれど、議論する気は無い。
##昇段審査に○mを□秒以内、なんて類の物があったら面白いけれど、
##数値化は全くもって武道っぽくないと感じる。
と言うことは、自分が段位に見合っているかどうかと悩むこと自体には
意味が無い。他人の自分に対する評価である、位に割り切れば良いのだ。
#段位に見合おうとする努力や切磋琢磨を否定する意味はない。
自分に対する評価に重きを置く人も、置かない人もいるだろう。
ところが、である。Duthie, Hope, and Barker(1978)が上級者はより
独立的で、自信があり、熱心に働く、と結論付けたり、Richman and
Rehberg(1986)が有段者に比べて、初心者の自尊心(self-esteem)が
低いと結論付けるなど、武道において段位は、自己概念に影響を及ぼす
可能性が高い。単純に言うと、客観的要素の有無に関わらず、自分を
強いと思い、強さというステータスに魅力を感じるということだ。
一歩間違えると万能感を持ったり、下位に対して優位性を証明することで
自分の位置を相対的にアピールしたりする。しかも、下位は上位に対して
下克上がし辛い構造上、スポーツ等に比べて優位性を証明しやすい。
#教わっている人は教えている人を心理的に倒しにくい、という事(笑)。
文字数も増えてきたのではしょるが(これ以上書くとまずいとも言う)、
段位が上がっても自分が強くなったと思わない方が無難だ。
所詮段位は相対的でもあり、客観的な基準ではない。下位に対しても実力を
見せつけようとアピールする必要は無く、せいぜい出来るのは
経験量の差から来るアドバイス位と思っていれば良い。
他人や他流派を批判するなんてもっての外だ。
なんて偉そうな事を書いたが、この結論自体もアドバイスに過ぎない。
異論があってしかるべし。ご自由に(笑)。
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