「弱くなると楽しい」
これは個性に入るのだろうが、極めるとか1位になる為に努力するとかは苦手
である。興味が無いと言っても過言ではない。武術は自分の投影も含めた
仮想敵に、相対的に勝つ為に努力をする。結果的に出来るだけ極めようと
する。これは自分のお気楽なスタンスと相反している。
人にスタンスを押し付けないから無害であり、幸い放置されている寸法だ。
無害仲間とつるんでいる事が多い。立場があまりないので、放言もほとんど
黙認(?)されている。楽この上ない。
8年間杖を握っていなかった。これは誇張ではなく、累計でも数日しか杖に
触っていない。当たり前だが、術を忘れ、精度が下がった。速度も落ちた。
単純に言って弱くなったのだ。
休んでいた間に病気をしたせいもあり、まずは体力を戻すために運動を始めた。
その頃見た人は、「あの人は稽古の途中から来て、道場の隅で杖を振ったり
謎の運動をしたりして、後はニコニコしているけれど、何者か?。」と思って
いたそうだ。さもありなん。
その後、型を始めたら、これは案外スムースに行った。そして、何より
楽しかった。何故か。術が思った通り出来ないからである。
表面的な動きはともかく、術は(天才を除き)経験しないと出ない。
術の威力は筋力よりも練度によるものだ。この双方が上手くいかない。
元来好奇心は旺盛だし、新しい事を覚えるのは好きだ。
覚えていたはずの事が出来ないと、新しく習得するよりもある意味難しい。
引き出しに詰め込むのではなく、どの引き出しか捜して取り出し、さらに
出したものを現状に合わせて作り変え、再度しまう。これが楽しい。
恐らく、新しい事を覚えるのに似ているのであろう。しかも、少し
トリッキーだ。身体感覚と記憶の同時整理である。
昔の動きを知っている人に、遅くなったとか弱くなったとか言われた。
Y師範には、指導員講習会の際に、一番ひどい動きをしているとまで言われた。
当たり前なのでショックも受けないし、過剰な反応もしなかった。
ここで、Y師範はどこが悪いか丁寧に直してくれた。ある意味、続けていた
時より丁寧にだ。
どうも、出戻りの方が親切にしてもらえるらしい(誇張あり)。
他の師範も何故か覚えていてくれたし、以前と変わらず良くしてくれる。
知識が現状に合っていない事もあり、以前より師範達に質問を良くする。
技が変わった部分も、自分が覚え違いをしていた部分もある。
師範が変わった部分もある。普遍で不変、かつ不偏な物などない。
最近は落ち着いてきて、楽しい事が減ってきている。残念だ。
自分の弱さを自覚できるのが、以前と違うところか。
一番楽しいと感じていた頃、弱くなると楽しくなると言う持論を飲みの席で
言った事がある。他の楽しいと感じない人にもお勧めする、とまで言った。
その時相手(年輩だ)に、「ダイスケさんはまだ若いし良いでしょうけど、
私は年齢も上だし、時間も限られています。弱くなるなんてとんでもない。」
と言われた。
非常にもっともで、筋が通っている。反省することにしよう。
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