〜ダイスケの部屋〜


 「パーソナルエリア」 
 
 



心理学の概念的空間で、自己と他を分けたときの、自分を中心とした範囲の
事らしい。専門でないので詳しくは知らないが、感覚的には分る。

大きさは常に変動しており、視覚等に影響される事が多い。形は真円、
真球ではない。個人で形、大きさは違う。また、空間上の上下に関しては
センシティブな人と、そうでない人が居るように思う。

また、他人のパーソナルエリアを測るのは非常に難しく、間を詰めすぎる人、
なかなか間を詰めない人、間を考えないようにして簡易化する人など
様々である。


デバイスの多様化(例えば電話以外に、メール等)によって、コミュニ
ケーションの手段が多岐に渡り、本来簡単に単一人格化出来ているはずの
人が、あたかも多重人格化したように観測される場合がある。
#多重人格に関しては詳しく論じないが、単一人格よりは普通であると思う。
##少なくとも、文字と言うデバイスは人格が変化したかのような誤解を
##生じやすいように感じる。
その場合、当然人格に応じてパーソナルエリアも異なるわけで、困惑する
ことも無いとは言えない。個人的には面白く観察させていただいている。

また、通常の会話において気さくな印象を受ける人は、本当にパーソナル
エリアが狭い場合と、パーソナルエリアが広くて確たる物があり、それを
守るために気さくな人格をキープしたり、偽装したりしている場合がある。
判別には観察力が必要である。


武術でも、他者の、上記に似た空間を感じる場合がある。ここからここまで、
などと他者へ明確な示唆が出来る訳ではないが、ある。
特に武器が異なる場合、相手が本気の場合、相手が圧倒的に自分より強い
場合などに強く感じられる。
圧倒的に相手が強い場合などは他者のエリアが広く感じられ、自分の
エリアが著しく小さくなったように感じる。少し違うかもしれないが、
圧迫感、という奴かもしれない。攻撃圏内とは異なるので誤差修正が
必要である。
武術的には、このエリアを意識的に変化させる術があるとも言うが、
一歩間違えると宗教的な臭いがしてくる場合があり、嫌う人もいる。


「個」を大事にする世の中に遷移してきているので、パーソナルエリアの
類の問題が、よりデリケートになって来ている。僕では考えられないような
部分で違和感、反発心を抱いていたりして、ビックリしたりする。

大体、個人競技の性質が強いもの程我が強く、自己を過大評価気味と
なる事が多いため、武術は反発心を生みやすいのかもしれない。
また、その過大評価の反動で、何かの経験から過小評価に振れてしまう
場合もある。
#要するに、鼻っ柱を折られる、と言う奴である。


「他人より強い」「本気を出せば」なんて考えているタイプに下手な
アドバイスはしない方が良い。アドバイスをされる事で「他人より上である」
と言うプライドのようなものに傷が付くため、理詰めで説明しても
反発して、回り道をしたりするのだ。
考えを尊重してあげるのが無難であるし、他者との優位点を挙げてあげたり
すると喜ぶかもしれない。ある意味「個」を尊重してあげるわけだ。

上位者にならないと言動では判断が付きにくいが、例えばシャイであるとか、
地味な服装をしているとか、妙に明るい時があるとか、かみ締める様に
ゆっくり喋るとか、何らかの複合的特徴から「そうではないか」と判別の
材料とする事は可能だ。
#判別して何になるのか、という点に意味は見出せないが


書き方を毎回少しずつ変えて、飽きられないように工夫をしているつもり
だが、話題が予想よりまとまらない。かと言って書き直すかというと、
そのまま出してしまう辺りが、僕の性格的特長を物語っている。すなわち、
本来は他人のパーソナルエリアや思考にほとんど興味は無く、実害さえ
なければどうでもいい、と言うお気楽さである。
こういう人間のパーソナルエリアが測定できるなら、見てみたいものだ。





 
                                
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