「下関の思い出(その1)」
ライトな切り口で、となると、やはり思考、思想ではなく出来事を書くのが
良いように思う。十数年前、杖道の段を取る前後の頃の話である。
人名は、基本的に当時の呼び名通りに書こうと思う。
今は僕以外全員、立派な師範となっている(当時から師範だった人もいる)。
1回目の下関訪問は、まだ5級か4級の頃だったように思う。左貫で僕の
心の師匠、原島さんの突きがいつまでたっても捌けず、毎回突かれていた
頃だと記憶している。まだ全日本の偉い先生方のことは知らず、東京の
仲間内の指導員も半分くらいしか知らなかったと思う。
全国大会が下関で行われていたため、参加しに行ったのだ。
東京は五六段の部は強かったものの、それ以外の部は地元下関、あるいは
当時特に初ニ段の部くらいまで強かった大阪が勝っていたように思う。
覚えているのは、大会前に緊張をほぐそうと思ったのか、ほとんど
面識が無かった藤代さんが通りすがりに小太刀でいきなり突いてきた事だ。
なんとか片手で捌いたのを見て、笑って去っていく藤代さん。
そんな記憶しかない。ひどい師範である。
2回目の下関訪問は、初段を取ってから。当時の師匠、Nさんの車で東京から
出かけた。月曜日の稽古後に出発し、Nさん、吉田君、僕の三名で
運転を交代しながら下関にほぼノンストップで走り、朝方下関に着いた。
到着直後に教えてもらった駅構内の「ふく天ぷらうどん」は、今でも
下関に行くたびに食べている。
大会前、前々日位から前乗りしていたので、まずは塩川先生の道場、
拳聖館にご挨拶に伺った。この時、塩川先生とは初対面である。
Nさんが「お前ら、見ておけ。真似するんだぞ。」と言ってから、道場の
扉の前で「失礼します!。」と叫び、それに対して中から「おう、入れ!。」
との返事があった。慌てて吉田君と僕が同じく大声で「失礼します!。」と
叫んだことは今でも忘れない。
今でも拳聖館に顔を出した時は必ずしているし、新しく連れて行く仲間などの
前で見せるプロトコルである。
この時、事前にお願いしておいた居合刀を受け取った。身長と予算を
事前に塩川先生に伝えておいてもらい、先生行きつけの武道具店で
バランスの良いものを選んでいただいておいたのだ。
当時、東京で講習会を行うと、下関から呼んだ先生が口々に「東京は太刀が
下手だ」と言っていた。個人的に言われているのではないが、やはり気になる。
自分たちの太刀技の評価を自分たちで出来るわけも無く、飲み会の席で
Nさんに相談したところ、まずは抜き納め、素振りが肝心であり、木刀でも
良いが、居合刀があった方が良いので買うか、という話になった。
そこで、吉田君と二人でお願いし、買っておいて貰ったのである。
切れこそしないが、自分の初めての刀である。すぐに道場で振ってみた。
二人とも樋が入った普通の居合刀であったが、吉田君がすぐにひゅんひゅんと
音を立てて振るのに対し、自分の刀はなかなか鳴らなかった。
刃筋、と言うものを認識していなかったので、当たり前と言えば
当たり前である。一瞬、物のせいにして欠陥品ではないか、なんて思ったりも
したが、今となっては恥ずかしい記憶である。
東京と違い、夜はすぐに真っ暗になって娯楽も少ないため、夜になって
宿の外で素振りをした。刃鳴りはすぐするようになった。刀を振るのが
一番楽しかった時期かもしれない。
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