「呼吸、姿勢、歩法」
武術に限らず、スポーツ、勉強、その他諸々に共通して言えることだが、
毎日少しずつ続けた方が効率が良く、より高水準の結果が得られる。
何かの直前に集中して稽古をしたりするのは、達成感や爽快感は
あるかもしれないが、単なる準備不足である。その程度の事で
質が変わる何かであれば、すぐに失われる。また、急ごしらえである事を
師範に見抜かれたりする。テスト勉強の一夜漬け等がこれに近い。
#直前の努力を高く評価するタイプの師範を否定する訳ではない
武術を本業としていない場合、必ずしも毎日稽古出来ない状況も考えうる。
極端な例だが、過労死寸前まで仕事をしている場合や、労働出来ない状況が
切迫している場合(クビや倒産などが迫っている状況などが考えられる)
は、稽古をしている場合ではない。
#例外的に、ストレス解消や生きがいなどの意味で、そういった条件下
#でも稽古をするケースは考えられる
その場合、当然のことながら体力、技術などが(少しずつではあるが)
失われていく。自覚出来るには少し時間がかかるが、自覚できた頃には
著しく失われた後である。元に戻すにはかなりの時間が必要となるし、
そのまま失われて元に戻らない場合すらある。
そういった状況でも、何とか退化(?)を最小限に止める方法が
ないだろうか。無理にでも時間を作る、仕事を辞める、と言った
方法を使わずに、日常生活でなんとかならないだろうか。
一つの方法として、普段の動作そのものをコントロールすることで
稽古の代わりとしてしまう、という事が考えられる。
#プラットホームでゴルフスイングとか、電車でつま先立ちして
#鍛錬するとか、見ただけで普段の動作で無いと分る物は指していない
単純に言うと、呼吸、姿勢、歩行など一般生活において無意識に
しているものを意識する事で鍛錬に変えると言うことである。
やろうと思えば、寝ている時間以外はすべて鍛錬する事が可能だ。
稽古そのものにはならないが、土台作りというか、準備にはなる。
取ろうと思えば時間が長く取れるだけに、やらないよりはやった方が
相当の違いが出てくる。稽古をしているようには見えないのにあまり
衰えない人や、独特の雰囲気を出している人などは、意識の有無に
関わらず、姿勢などがよかったりするものだ。
#呼吸、姿勢、歩法などが違うから、雰囲気が出ているとも言える
逆に、呼吸、姿勢、歩法などを乱せば、自分をより下手に見せることも
可能である。下手に見せることに意味は見出せないが。
呼吸法、姿勢制御、歩法は鍛錬だけでなく、意が加わる事で
隠されている技に到達する場合もあるらしい。中拳(中国の各拳法)
では特にその特徴が顕著だそうだ。
#伝聞なので本当かどうか知らない
具体的な方法はここでは論じない。あえて言えるとすれば、自分の師匠
からきちんと習うべきである。下手な聞きかじりや調査で分った鍛錬法
は、自流派では意味が無かったり、最悪修行の成果がリセットされて
しまったり、単なる悪癖となってしまう場合すらある。
僕がやっているかって?。そんな疑問を投げかける暇があったら、
自分の稽古をする事を薦める(笑)。
次へ
|