〜ダイスケの部屋〜


 「強さ」 
 
 


 


武術の本質部分で、強さへの憧れというものがある。特に、目に見える
物理的な強さ、試合での勝利など、分りやすいものに対する憧れは、
武術をしていない人にもあるようだ。メディア主導の総合格闘技ブーム
などもそれであろう。
#コスプレ的な要素に憧れを持っている場合もあるので一概には。。

特に、(稽古や試合などを除いて)実際に術を行使する事がない現代に
おいては、生き残りへの執着に憧れると言う事は少なくなり、分りやすい
強さに惹かれるのは当たり前と言える。
ポイントを稼いでの判定勝利や、お互いカウンタを狙っての膠着状態
より、自爆覚悟の一発KO狙いの方が(観客には)評価が高いのも、そう
いった事だろう。

武士道の捉え方、と言うのもポイントの一つのように感じる。
ただ、思想としての武士道は、「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、
下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、
富貴よりも名誉を以て貴しとなす」なんて事はない。
本来のものは、二君に仕えずなんて事はないし、とにかくどんな手を
使ってでも勝てば良い、負けそうなら逃げても卑怯ではないなど、
非常に泥臭いものだ。

一般にイメージされている武士道は、近代以降に創られたものである。
こちらは実はリアリティに欠けるのだが、とにかく格好良い。時代小説や
時代劇などで刷り込まれた人も多く、また惹かれる人が多い。
偽悪趣味などの例外を除けば、心の拠り所となるのも分る。


強さとして見える部分の中に、洗練さ、と言うものも存在する。
形武術においての洗練は、どちらかと言うとオプションパーツをたくさん
つけていると言うよりは、余計な物が無いという感じである。
洗練された動きの人が結果的に強いため、高く評価されるのかもしれない。

洗練さの習得の過程で、精度の高さが問題となる。個々の技、術の
精度を高める事は常に要求される。筋力でのカバーを要求される事は
少ない。裏を返せば、精度さえ高めれば、筋力はなくても形はうまく
使う事が出来ると言えるかもしれない。
精度の高さも強さの指標となりうるが、全てではない。少しでもそれが
身についてくると、それが見えてくる。

そういった意味では、コレクタよりも職人気質の方が、強くなる要素が
あると言えよう。形をいくら覚えたところで強くはなれないが、一つの
事でも精度を高める事で強くなれる可能性があるからだ。

しかし、流派を選ぶ時などでは、形数が多い方が評価されがちだったり
するのは面白い。形数が少ない方が、一つ一つが実践的で、習得しやすく、
奥が深いと僕は思うが、一般的にはそう思われないようだ。


強さを求める人の中には、万能、オールラウンダーを目指す人もいるが、
そのままを貫き通せる人はあまりいない。ある程度出来ても、器用貧乏と
言うか、どれも達せず、みたいになる事が多い。十徳ナイフみたいなものだ。

むしろ、堤防なんかと一緒で、ウィーケストリンクがあるように設計して、
内容を絞った稽古をしていった方が伸びは早い。弱い部分を補強して完璧を
目指すこと自体が労力、時間が無駄にかかるのは自明である。永遠に生きる
ことも出来ないし。
状態、状況などを常に把握して、緊急時にはカバーできる何かを用意して
おけば、ウィーケストリンクがあること自体はあまり問題にならない。






 
                                
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