「下関の思い出(その3)」
杖術は東京に上位者が何人もいて、教えてくれる人がいないとか、少ないという事は
なかったが、居合に関しては残念ながらほとんど居なかった。
#実は藤代さんなど一部の人は、東杖連の結成前に居合をやっていたが、
#杖の団体結成後は、居合は事実上やっていなかった
そういう意味では、当時会が出来るまで、東京で無外流を抜いていた人は、
他団体を除くと片手で足りるほども居なかったと言える。極論を言えば、
常時抜いている人は居なかったと言えるだろう。
実際、刀剣市などに行って流派名を言うと驚かれたものだ。
「やってらっしゃる方、まだいらっしゃったんですね」といった事は
何度か言われた記憶がある。
一通りの動きを教わった後、渡された一本のビデオ。
Nさんが下関で稽古していた時代に撮影された物だと言う。
塩川先生の道場で、ポンタルさん、里富さん、ダイさんが(鏡に向いて)
写っているビデオである。当然塩川先生も一緒に写っている。
特にポンタルさんの精度が高い、と感じた。
実はこのビデオこそが、東京の会の術の始まりであり、基本であり、
ほとんど全てである。空手と同じで、隠すものは何もないし、その内容は
今でも古臭くなってはいない。
居合を始めて半年ほどして桜の時期、Nさんから提案を受けた。当時、
居合や杖のプロモーションビデオを作る話が持ち上がっていて、和さんと
二人で下関に行き、福岡も含めて色々と撮影して来い、との話だ。
#ちなみに、このプロモーションビデオは完成を見なかった
塩川先生の所で稽古が出来る手はずも整えるから、細かい部分を
習ってこいとのオイシイ話つきである。一も二も無く、二人で
引き受けた。直接指導が受けられるなんて夢にも思っていなかった。
旅慣れた和さんと東京駅で待ち合わせ、大丸の地下で崎陽軒のシュウマイ
弁当とアルコールを買い込む。そして夜行バス「ふくふく号」に乗り込む。
夜寝られなくなるから、乗車直後は弁当を食べつつ雑談などで過ごす。
11時も回った頃に二人でアルコールを飲み、一気に寝る作戦である。
朝起きると、もう少しで下関に到着する所だった。
到着するなり、まずはお約束のふく天ぷらうどん。冗談半分で「今回は
豪勢に、玉子入りにしようか」なんて言いながら、生玉子も入れてもらった
事や、一味ともカイエンヌペッパーとも違う、赤い唐辛子のような
ものを入れて食べた記憶などは鮮明に残っている。
確か、当時は生玉子を入れても400円しなかったと思う。
彦島までバスに乗り、用意してもらった造船所の人たち向けの宿に
チェックイン。その後、道場に向かう。道は完全に覚えてしまっていた。
当然、道場の前に来て、大声で「失礼します!」と言うのは忘れなかった。
そこには、塩川先生の他にもう一人いらっしゃっていた。里富さんだ。
塩川先生との稽古に付き合ってくれた上で、塩川先生がビールを飲みに
行ってしまった後でも、理合や先生ごとの違い等を詳細に教えてくれた。
#実は当時、山口でも居合をやっている人は少なかった
#過去にやっていた、と言う人は沢山いたようだ
そういった意味では、業は塩川先生に、理を里富さんに教えてもらったと
言える。里富さんがもし居なければ、表面的な動きだけで慢心して終わって
いたかもしれない。僕は非常に感謝している。初心者も上級者も納得できる
理を残してくれていて、かつ親切に、全て伝えてくれた人だ。
間違いなく、無外流のキーマンの一人である。
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