〜ダイスケの部屋〜


 「良いもの」 

 





美容室を経営している、知り合いの美容師に聞いた話。その業界にも、
やはりと言うか、良いはさみがあるという。そして、それは高価かつ
希少であるが、すばらしい物だと言う。

美容師に限らず、上手い人なら道具を選ばなくても、と言う意見も聞いた
事があるが、大概の場合そんな事は無い。むしろ、上手い人になれば
なるほど道具を選ぶし、可能な範囲内で、お金を正当にかける。
#スタイルから入る人と表面上混同されやすいが、全く違う


良い道具は、人の思考やセンスまでも変えてしまう場合がある。他に
変えられない、超一流のものであればなおさらである。作業効率の問題
だけではない。
当然、入手しただけではダメだ。実際に使ってみないと分らない。
人から良さを聞いただけでは、その本質は理解できないのである。

その根本には必ず思想、設計(デザイン)があり、デザインを読み取る事が
出来る人には価値が分かると言える。もっとも、価値観は人それぞれで
あるし、価値が分かることに必ずしも意味があるわけではない。
#デザインは、物質などの表面的な形状のみを指している訳ではない
デザインなどがあるが故に、結果的に高価な物がある。
ブランドに寄りかかって高価に見せているものも存在するが、デザインが
無いものは一過性のものにしかならない場合が多い。高価なものに価値が
ある、と単純に考えている人のみが一時的に消費していくのである。

良い道具と言うのは、明確に誰にでも良さが分るわけではない。
分る人にだけ、ほんの少し良い、位の差しか認識できない事が多い。
分る人しか買わないので高価であり、高価で良いと言える。


良い道具を使い、思考やセンスを磨いた後であれば、凡百のものを
ある程度以上に使いこなす事が出来る。本質を知っているからである。

なんでも安いものを、と言う志向の場合、自分も安くなる。
武術で言えば、とりあえず数をこなせば、と言う考え方等が同様である。
#せめて、精度を上げるため、などという意識が必要
数をやるうちに力が抜けて、なんて言い方をする場合もあるが、そんな
ものは方便か嘘である。筋肉を疲労させ、関節を消耗させる単なる作業に
過ぎない。生み出すものは、自己満足の類だけである。
単なる反復練習で数をこなしている人を見てすごいな、とは思っても、
真似しようとは思えない。
#数稽古が不必要である、という意味ではない。むしろ必要である
再現性が無く、学習効果も無い反復練習は、単なる偶然による何かを
生むかもしれない、と期待する位しか出来ないからである。


良い師につく事を勧められる理由の一つがここにある。
良いものは実際に身近で見、感じ、体感しないと本当の理解は出来ない。
本や映像、伝聞などで身に付くのであれば、そんなものに価値は無い。
その程度のものだと見抜けない自分を、密かに後悔する事になるだろう。







 
                                
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