「若さ」
武術で、ある程度以上の実力を身につけるには、始める時期が肝心である、
と言う人は多い。遅くとも二十歳くらい、出来れば一桁くらいの年齢から
始めるのが理想と言われる。スポーツ、音楽などでも同様の事が言われる。
スポーツなどでは、その通りと言わざるを得ない。少なくとも感覚を
養ったり、筋力の発達が技術の伸びよりも要求されるものであれば、
間違いなく若い時の方が良いだろう。記憶力の差も大きい。
ただし、武術においては全面的にそれを納得してはいない。体を使うという
意味で類似しているスポーツの世界は、本質的に争いを模している場合が
多いと感じるが、これは若いうちしか活躍できない物が非常に多い。
それに比べて武術は、争いそのものから要素を抽出したにも関わらず、
年をとって経験を積んだ方が明らかに若者より強い場合がある。
例えば、何らかの塗装を伴う作業をしたとする。簡単な例で言えば、
プラモデルなどだ。色分けをしたりする関係で、塗ってはいけない
場所を保護する、マスキングと呼ばれる作業が必要となる。
また、意図している色を出すためなどの理由で、サーフェイサと呼ばれる
下地塗りをしたり、色を重ね塗りしたり、最後にクリアを塗って保護
したりする。
様々な準備、(乾燥などの)待機時間に比べ、塗装自体にかかる時間は
ほんのわずかだ。主目的の塗装に対し、それ以外の作業の方がはるかに
時間も労力もかかると言って良い。
各種の環境、状況で似たような事がある。様々な要因による影響を
シミュレーションし、それに対する準備、対策をする事に一番労力が
かかる。逆に言えば、そういった物を一切考慮に入れずに主目的の作業
のみを突っ走ってしまった場合、驚くほど短時間で、ほとんど労力を
使わずに同じ事が出来る(と本人は評価するだろう)。
塗装で例えれば、スプレー缶を買ってきて、何の準備もなくいきなり
吹き付けて、後は気に入らないところを修正する感じだ。
#この場合、壁の落書きレベルの物が出力できるであろう
これが若さと言われる、一見エネルギッシュな様子の主要因だ。能力の
高さではないし、勢いですべてが片付く訳でもない。
過剰なパワーの消費(浪費)が歓迎される環境は、極めて少ないと想像される。
はっきり言って準備不足、経験不足であり、一人でやるなら二度手間、
三度手間となり、複数人でやるなら(頼まれていない)周りの優しさで
労力を補われる事となる。本人にはフォローされている意識は無い
事が多い。
情報は思考を限定する。情報があふれかえっている、煩雑な状態を嫌って
特定の情報を入手し、面倒な思考を回避するのだ。
唯一絶対の真実しかない、理想気体のような世界であればそれでも
良いかもしれないが、現実的ではない。現実との差異を認識した場合、
新たな情報を取りに行くか、自分の殻に閉じこもるか、の二択となる。
そういった意味で、武術には思考の柔軟さ、若さは必要な気がする。
思考が柔軟でありさえすれば、肉体的な衰えは他のものでカバー出来る。
#まだ若造呼ばわりされる年だが、ずっと、そう信じている
思考が固定化された場合、若さによる暴走と似た結果を出す場合がある。
若さの最大の弱点は、その可能性(と本人が思い込んでいるもの)にある。
大概過大評価しているが、過小評価の場合もある。適正な自己評価
こそが一番難しいと言える。
他の物に興味を抱き、可能性を信じて進んでしまったり、あるいは
可能性があるのに絶望して別の道に進んでしまった場合、もう元の
道には戻ってこない。若さの持つパワーと、何かを持続するパワーと
言うのは、速筋繊維と遅筋繊維のような関係らしい。
ただし、速筋繊維は準備なしの暴走はしない。
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