〜ダイスケの部屋〜


 「下関の思い出(その4)」 

 



塩川先生の道場での稽古は、今までやっていた稽古とは違っていた。
一面が鏡張りなのだが、その前に先生が座り、その後ろに自分たちが座る。
そこで、まず一通り一緒に抜いてくれる。と言うか、技を見せて貰い、
一緒に形を抜かせてくれる。視線は先生の背中ではなく、鏡に送る。
自然に、先生と自分の違いが見える。

その後に今度は自分たちだけで抜き、細かい部分を直して貰う。
しかし、他の先生と違い、直すのは顔や体の向き、姿勢、胸の張り
なんかだけだ。キーワードは「格好良い」「貫禄」である。
小難しい体の使い方や、術なんかに関しては何も言わない。

先生と一緒に、同じ形を抜けるだけで感激である。今思えば、空手の
形の指導と同じイメージだったのかもしれない。ただし、空手の形は
居合よりも丁寧で、細かい部分の分解なども教えてもらった。
#ちなみに、空手の形を見せて頂いた時も感激した


塩川先生、Nさん共に色々と手配をしてくれていて、夜は杖道の稽古
に行った。江ノ浦小学校の岩目地先生の場所や、新下関の嶋田先生の
所だ。もちろん塩川先生の道場でも稽古した。

日中ずっと居合をしていて、手のひらが異常に痛かったりしたけれど、
こんな機会は滅多に無い。何より、Nさんから「東京が馬鹿にされる
ような事だけはするな」「6段以上に対する時は、倒す気、殺す気で行け。
どうせお前たちくらいなら、それでもあしらわれるんだから。」等と
言われていたため、相当気合が入っていたと言える。
#気持ちの持ち方の話であり、杖術の理念から外れろ、と言う意味ではない
##当時を知っている谷大先生言わく「今と比べると、あの当時の
##方がキレがよかった」そうである

江ノ浦小学校では岩目地先生、松原先生、山田先生に、新下関では
嶋田先生に教わった。当時は東京と山口の術の差はだいぶあり、知識と
して若干は知っていたものの、カルチャーショックを受けた。


稽古場で一番印象に残ったのはなんと言っても山田先生である。
ルックスからしてスキンヘッドで、普段は柔和なのだが稽古となると
真剣で、かなり強面である。
まず、打太刀を正眼に構える。そして息吹のようなものと同時に顔面が
紅潮し、明らかに気合が乗ってくるのが分る。おもむろに八相となるが、
この際にも「ムン」あるいは「ヌン」といった低い気合いが入る。
正直、この時点でかなり怖い。こんな人は他に見たことがなかった。
漫画やゲームなどで、ラスボスの魔神に対しているような印象である(失礼)。

そして形が始まるのだが、いきなり「今切れた!」と言うのである。
#念のため書くが、この時太刀は振られていない
再度形をやっても、「今切れた!」ばかり。何度かやるうちに、「今は
切れなかった」とにこやかに言ってくれるのだが、いかんせんどこが悪くて
切れて、どこが良くなって切られなかったのかさっぱり分らない。
質問したくても、当時は怖くて聞けなかった(笑)。






 
                                
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