「最新技術と武術」
最新技術、という言い方が既に古い気がする今日この頃。
おニュー、なんかと同じ印象である。何につけても最新だらけなので、
最新とつけた瞬間には、既にそうで無い可能性があるからだろうか。
ほとんどのジャンルで、新しい物が要求され、古くなった物は破棄されていく。
定番となって残る物もあるが、それすら長いスパンで見たら定かではない。
古い物を守るのは、主にノスタルジィと余力である。
古武術はなぜか、古くから伝わる、と言う点に価値を見出す人が多い。
現代まで残った、数が少ないと言う意味では貴重だと思うが、その古さに
価値はあるのだろうか(浪漫だけではないのか、という意味)。
骨董品なら年代測定も出来るし、希少であるから貴重で、価値があると
いえる。同じものを作る技術は再生できても、古いものを作り出す事は
出来ない。古武術はそれに比べて、いろいろな面できちんと昔通りに
伝承されている保証は無いし、証明しようもない。人が媒介しているからだ。
#これからの伝承は、画像や映像が残せるのでほんの少しだけ精度が
#上がると考えられるが、気休め程度だろうとも思える
昔から伝わっているとされる稽古体系があった場合、当然スポーツ生理学
などは考慮されていない。スポーツなどでは記録が重視され、技術などの
新発見により、どんどん進化、改良されていく。怪我などもしづらく
なっていく。進歩は、ほとんど技術やスポーツ科学の問題になる。
技術力は努力を惜しまない限り、上がり続ける可能性が高い(歴史がそれを
証明している)訳で、そうなってくると、古武道よりも現代スポーツの方が
稽古(練習)体系が上なのでは、と言う説が出てきて当然だと感じる。
#実際には指向や前提条件が違うので、比較に意味はないが。。
しかしながら、スポーツ生理学などで出てくる新技術は、主に若い世代に
効果を発揮しやすい。技術の粋を集めた、オリンピックなどの出場選手の
ほとんどが若者である、と言う点がそれを証明している。
それに比べて、特定の武術では30、40代ですらヒヨッコ呼ばわりされる
事もある。この差はどこから来るのだろう。
まず考えられるのが経験の差だが、それだけでは説明出来ない部分が
ある。経験の差だけでは、若者の筋肉量や瞬発力から来る、速度や破壊力
などに抗する事は難しい。
観察していると、筋肉、関節、重心移動などの最適化が一番のポイントと
思われる。最適化がなされている場合、当たり前だがエネルギーロスが
最小限となって攻撃は効き、相手のエネルギーは微妙なベクトル変更
などで吸収、無効化される。初動が無いか、極めて少ないため、カウンター
(後の先)が自由自在に取れる。
これらを習得するには、今の所、昔から伝わっている稽古体系を信じる
しかない。しかし、それだけに依存してはいけないのではないか、と僕は
考えている。センスが良くて若くからやっている一部の人のみが特異な
能力を身につけるのであれば、そうでない人には何の救いも無い。
何とか、スポーツ生理学上の最新技術などをフィードバックして、現在の
稽古体系に隠されている、みんなが達人に近づけるようなカリキュラムを
発見したい物だ、と願っている。新しく何かを付与するのではなく、今ある
稽古の中で、無意識の部分を意識化していくような感じだろうか。
恐らくだが、関節の可動範囲、筋肉の脱力、呼吸と動作の一致などが
ポイントではないかと、今の僕は睨んでいる。
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