ペペの店<2>
ミゲールは二十代半ば、後の四人は二十歳そこそこ。どういう仕事をしに行くのか聞くが、ニヤニヤ笑うばかりで答えない。
犯罪に関係しているのでは? と思ったりもするが、少なくとも私に対してはすごく良い人たちである。かといって、まともな仕事人とも思えない。不思議な連中であった。
「谷、日本語教えてくれないか? 俺は、『ミゲール』と言う。これは、スペイン語だ、英語だと『マイケル』になる。日本語だとなんと言うんだ?」
私は困ってしまった。
「日本語だと『ミゲール』とも言い『マイケル』ともいう、どちらも有りだ」
「・・・・・?」
ミゲールは怪訝そうな顔をする。それもそのはず、言ってる本人がよく解っておらず、又、込み入った内容を伝える言語能力もない。
仕方ないので、紙を取り出しカタカナで、ミゲールと書き、
「これがミゲール」
同じようにして、
「これがマイケル、これが日本語だ」
「・・・・・?」
ミゲールは解らぬながら、自分の名の書かれた紙片を大事そうに胸ポケットに入れた。 この件に関しては、日本語でも良く説明できない。
「周恩来」は日本語でシュウオンライと発音するが、中国語では違う呼び方になる。そのように捉えているのだが、合っている自信は全くない。
ミゲールとそのような会話をしているとき、仲間の一人が駆け込んできた。
興奮して何か話しているが、私には良く理解できない。男に急かされるようにミゲールは部屋を出ていき、私も後に続いた。
甲板の隅で、若い男女の集団が、一触即発の状態にあった。男たちの手にはナイフが光っている。サンドラが気丈にも、掴み掛からんばかりに、相手を罵っていた。
ミゲールは、素手で悠然と相手に向かっていく。彼が一声を発した。サンドラが黙って最後尾にさがった。私はミゲールの側にピタリと貼り付き、敵に向かって歩を進めた。
私のナイフは、リュックの中だ。素手ではあったが、恐怖心は起こらなかった。敵のナイフが動いたその刹那、躊躇せず行動できる戦闘態勢にあった。
ミゲールが歩を止め、敵を見渡した。ボスを探しているらしいが、それに該当する奴は見当たらない。ミゲールが何か話しだした、踏んだ修羅場、人間の格が違うのだろう、明らかに相手を圧倒している。
私は、敵の数本のナイフに注視していた。それが、動いたときは相手が死ぬか、自分が死ぬときだと、覚悟を決めていた。心は冷静で恐怖感はなかった。
話しが着いたのだろう、敵も味方もナイフを収めた。その場の空気が和やかなものに変わった。私も戦闘態勢をといた。ホッとすると同時に恐怖心が湧いてきた。
皆がそれぞれ和解の握手を交わした。むろんその中に私も入っている。相手が私に何か声をかけて来る。どうやら私の勇気を称えてくれているような気がした。
ミゲールが、「日本人だ!」と言った。
途端に、日露戦争を賞賛する言葉が、彼らの口を突いて出た。次は第二次世界大戦である。
彼らにとって、日本人は勇気ある民族というイメージがあるらしい。少なくとも三十年前はそうだった。スペイン? 第二次大戦では、フランコ独裁体制のもと、数少ない中立国だったはずだ。
フランコ体制? ピカソの「ゲルニカ」、ヘミングウエイの義勇兵、ナチスの暗躍が脳裡を走った。
話しが飛んで申し訳ないが、書いていくうちに、色んなことが思い出される。「ペペの店」から外れて行くがまあ仕方ないか。
当時、私の訪ねた南欧、北アフリカ諸国の人々の日本人に対するイメージは、日露戦争、第二次大戦の勇気ある民族というものであった。
アルジェリアの「カスバ」では、危険な人たちに連帯を求められた。
「我々は、白人を決して信用しない。アメリカ、ヨーロッパと戦う、アラブにとって味方と頼めるのは、中国と日本だ。日露戦争において・・・・・」
同じ言葉を幾度言われたことだろう。
サンタクルス・デ・テネリフェで彼ら五人は下船した。
私も波止場まで降り、見送った。
「グッドラック」
結構楽しい交流であった。少なくとも彼ら五人は日本人に対して良い印象を持ってくれたと思う。別れるときサンドラは頬にキスまでしてくれた。
敵対した集団も下船し、ミゲールに従うような素振りだった。彼らとの争いの発端は、彼らがサンドラをからかったという、他愛ないことであったらしい。彼らも別れを惜しんでくれた。
ミゲールは一緒に来ないかと誘ってくれたが、私は固辞した。
日本人と殆ど交流のない人々の間に放り出された時、私は完全に愛国者となった。行動規範が、日本人の代表者としてのそれであった。
卑怯、怯懦、見苦しいまねは決して出来ない。日本人全体の恥になってしまうぐらいの気負った気持ちであった。
気負いすぎて、かなり危うい立場に追いやられてしまうことにもなった。もしかしたらその顛末を、このエッセイに書くことがあるやも知れない。
何れにせよ、幸いに愛国者としては全うできた。恥ずべき行為は、無かったと三十年後の今も思っている。
だだし、例外はあります。対女性に関しては除いて下さい。この件に関しては書く予定はありません。
テネリフェを出港して、三〜四時間後、目的地、ラスパルマス・デ・グランカナリアの波止場に、リュックを下ろすと、私は大きく背伸びをした。潮風と磯の香りを胸一杯に吸い込んだ。
過ぎ去った過去は夢である、新たに始まる現実に私は身震いした。
平成十五年、今現在の、社会、法律に保護され、飼い慣らされたふやけた精神とは異なり、当時の私は研ぎ澄まされた刃物であった。
全身を巡る神経が体表より確実に数十センチ飛び出しており、異変を察知し機敏に反応する。眼からは針のような視線が対象物を貫いた。
男だった。男が男でなければ存在できない世界に、自らを放り込んだ若者だった。
私の武器は空手だけだった。ナイフ、太刀、銃器類の扱いを鍛錬する必要を強く感じていた。
波止場の私の方に、歩いてくる男が眼に入った。三十歳前だろう、久しぶりに見た東洋人だった。
私は、親しげに声を掛けた。
「こんにちわ!」
男は困ったような顔をした。
「ノー、アイアム、コーリア」
何故か私は、感激してしまい、困惑する男に手を延べ握手を強要してしまった。同じ東洋人の風貌に接し、私の精神の緊張感が幾分緩んだ。
私は男に、今から尋ねるべき知人の職場を聞いた。訪ねる知人は、大手漁業会社の駐在員として、ラスパルマスに赴任しているはずだ。
男は親切に会社まで私を案内してくれ、私は礼をして男と別れた。
知人は、江島さんと言い、四十を過ぎの日本人らしからぬ大らかな男であった。
「いやー、職場の女の子を孕ませちまって、生むだの生まないだの、女房を巻き込んだ大騒ぎになってしまった。上司から『頭を冷やせ!』と言われて、この通り島流しの身の上だよ。ハッハハハ」
何処まで本当か解らないが、まんざら嘘ではない感じの男だ。ラスパルマスの独身生活を満喫していることは間違いない。おかげで私の緊張した精神は楽になった、少なくともこの地では、生存を脅かされることは無いと安心した。
二週間ばかり、彼の部屋に居候をさせて貰い、私は自由に行動をした。
「とにかく、解らないことがあったら、この男に聞け」
と言って紹介されたのが、ペペである。
映画「望郷」のジャン・ギャバン扮する「ペペルモコ」よりも格好いい、美丈夫であり、日本人との交流が長いのだろう、かなり流ちょうに日本語が喋れる。
とにかく私は、ペペの情報をもとに自由貿易港の島中を見て回った。市場、リゾート、北欧からの観光客が太陽の光を求めて大勢押し掛けている。
「谷、旅行者は開放的になっている。一時の恋路を楽しむなら○×に行き、○×すれば上手くいく、相手もそれを求めているのだから。ただし、性病には気をつけろ」
と言うと、ペペはウインクした。
お節介な奴である。
「ペペもよく、○×に行くのか?」
「時には行くが、女房が怖いのであまり行けない」
そう言うと、またもや私にウインクした。
ペペが私に好意を持っていることは間違いなかった。
「ペペ、実はカジスからの船中で知り合った五人組、テネリフェで下船したんだが・・・・・・・・・・」
どうも気になったので、ミゲールたちのことを詳しく話し、どんな仕事があるのか聞いてみた。
ペペはニヤリと笑い、私の耳元で小さくいった。
「ハッシッシ・・・・・」
ペペには裏の顔があるようだ。 →<3>へ
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