エッセイ<随筆>




 ペペの店<3>

 



 「ペペ、この前たしか女房が怖いと言ったね。江島さんに聞いたら独身のはずだと言っていた。どっちが本当だい?」
 「ああ、俺は独身だ。谷、どっちでも良いことだろ。でも、日本人は誰でも『女房が怖い』と言うと喜ぶ、安心したように打ち解けてくれるんだ。不思議な人種だぜ!」
 「ペペ、日本人は嫌いかい?」
 「どういうわけか、その質問も日本人は良くする。俺は日本人は好きだ。特に船員は気のいい奴ばかりだ。ただし、領事館の日本人、外交官と言うのか、奴らはクズだ」
 ペペの個人的な偏見だとは思えなかった。実は私もそう思っていたのだ、行く先々の大使館、領事館で経験してきたことだった。
 見知らぬ外国を一人旅するとき、情報の取得は極めて大切で、時には生死に関わることもある。普通、旅行者が情報を得ようとするとまず脳裡をよぎるのは、大使館、領事館である。ところが、まず門前払い。情報を教えるなど煩わしいだけで、高貴な自分たちはもっと大切な仕事が在ると言いたげだった。
 頼りになったのは、日本企業の海外駐在所であった。例外なく親切に情報を教えてくれた。旅行者に情報を伝えるのは彼らの仕事ではないはずだが、マスコミで、エコノミックアニマルと揶揄された彼らは、使命感に燃える戦士であった。
 とくに、親切だったのは、日本航空の駐在事務所であった。今はどうか、あまり自信がないが、まず間違いは無いだろう。
 『海外で本当に困ったら、日本企業の出先を頼れ!』
 三十年経ちましたが、この場を借りて感謝の意を表させて戴きます。その節は、まことにありがとうございました。

 「谷、じつはフランス人の学生旅行者で、金に困ってるのがいる。グラマーでいい女だぞ、お前どうか?」
 「俺も、金に困っている」
 「それなら、四十過ぎのドイツ人の男がいる。金持ちの旅行者だ、小遣い稼ぎにどうだ?」
 「そちらは、お前にまかせる」
 「ハッハハハ」
 ペペは腹を抱えて笑い出した。
 よほど私の返答が、気に入ったのか抱きついて来る始末だった。その後、彼は私にビールを奢ると言って店へ案内した。
 スペインによくある、カウンター越しにガラスケースが置いてあり、海産物が並べてある店だった。 
 「とりあえず、日本のサムライにセルベッサ(ビール)!」
 と、大声で注文した。
 乾杯の後、テーブルに山と積まれた生牡蠣が出てきた。レモンを絞って、殻のまま口に持っていくのだ。旨い!
 「ペペ、あんた、手広く商売をしてるんだな?」
 「ああ、売れるものは何でも売るさ」
 「女、そして男もか?」
 「まあな」
 「もしかして、ハッシッシもか?」
 「ノォーッ」
 ペペは大仰に首をふった。しかし、眼は明らかに肯定している。
 『こやつ、薬まで扱っているのか!』 

 「谷、何処を旅して来たのか? これから何処へ行くのか?」
 「アルジェリア、モロッコのアラブ世界を廻ってきた。これから、セネガル、マリの、ブラック・アフリカに行こうと思う」 
 「セネガルのダカールには、俺の組織と繋がりのある奴らがいる。なんなら紹介しようか?」
 ペペは私の顔をのぞき込み、真面目そうに言った。
 「ありがとう、感謝する。でも結構だ、今まで一人で何とかしてきた。これからもそうしようと思う」
 「まあ、お前なら大丈夫だろう。しかし、日本人旅行者の呑気さには呆れるぜ、ツアーでない自由な旅も良いだろうよ、でも、もう少し警戒しなきゃあな。とくに、今のアラブ世界はヤバイ」
 「そんなにヤバイとは、思わなかったが」
 「お前は、大丈夫だ、まず手を出されないだろうよ」
 「どうしてだ?」
 「なんか、覚悟というか、厳しい雰囲気をかもし出している」
 ラスパルマスに来て以来、緊張感の緩んでいた私だったが。
 「女の場合よくあるのは、案内すると親切に声を掛けられ、のこのこ付いていく、ケースだ。結果、アジトに連れ込まれ手込めにされる。そして、パスポートを取り上げられ売り飛ばされる。二度と日の目を見ることなく、消えてしまうことになる。決してまれではないぞ、日本で話題にならないのか?」
 「いや、聞いたことはない」
 「そうか・・・・・そうだろうな。男の場合も数は少ないが同じことがある。アラブ人は、ヨーロッパ人に負けないぐらいホモセクシュアルが多いからな。何故、日本人には少ないんだ?」
 「何故と言われても、解らない」
 「お前はどうなんだ?」
 ペペはドキリとすることを言った。
 「たぶんその気は、無いと思うのだが?」
 「その返答、お前は正直なやつだ」
 ペペは完全に私のことを信用してくれたようだった。 

 「男の場合、危険はほかにもある。日本人は親しげな相手の機嫌を損なうのを嫌う癖があるからな」
 ペペの言うことを、掻い摘むとこうだ。
 バーで酒を飲んでいると、親しそうに声を掛けられる。決まって、初老の人の良さそうな小男だ、何だかんだと話しをして、書類を出し署名を求められる。
 相手の気持ちを損ねたくもなく、言葉の解らない日本人は、迂闊にサインしてしまう。初老の小男は、フランス外人部隊のスカウトで、サインは入隊契約書という段取りになっている。
 泣いても喚いても終わりだ、契約期間を外人部隊の隊員として過ごす他はない。
 その話しを聞いたとき思った。『心ならずも外人部隊に入隊した同胞よ、勇敢であれ、日本男児の心意気を示せ』と、とても日本にいては湧いてこないであろう感想だった。

外人部隊と言えば、映画「モロッコ」だろう、ゲーリー・クーパーとマレーネ・デートリッヒの悲恋物語。
 外人部隊にはある種の憧れがあった。
 サハラ砂漠の地平線に向かう兵士の後ろ姿、蜃気楼に歪む姿は朧に消えていく、俗世間に、後ろ髪を引かれる思いを残しながら、永遠に消滅してしまう。
 残念なことに、私にはデートリッヒがいない。
 むろん、外人部隊の現実は、ロマンチックな想いなど入り込む余地のない過酷なものであることは間違いなかろう。
 でも、この若者の想いも、また一つの現実の様相とは言えまいか。

 話しが途切れ間が空いた。ペペは牡蠣に手を延ばす。
 この男の住んでいる世界の全貌はどうなっているのだろう。
 付き合いのある、日本社会に見せているのは、あくまで表の顔だ。
 すぐに去っていく、気にいった若い旅行者に、裏の一部を垣間見せたのだろうか?
冷たいビールが喉を通る。じつに旨い。→<4>へ


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