よれよれ三人旅(2)
私が竹芝桟橋に到着したのは、集合時間の10分前だった。さっそく、雨合羽の男が私に駆け寄って来た。
「直江津まで歩く人ですね?」
彼はそう言った。念を押す必要はない。こんな時間にこの場所でこんな格好をした男だから間違いようが無いではないか。
「ハ、ハイそうです」
私の声は多少上ずっている。
「Nテレビ記者の○×です」
彼は簡単に自己紹介をする。ライトが近寄る。数台のカメラも近寄ってなんと私を撮影しているのだ。カメラを庇うように傘を差し掛ける人もいる。総勢十数人居ただろうか。その中にM新聞のI記者もいたが私は彼に面識が無く、ミチさんに紹介されるまでは知らなかった。後に、彼はこの旅に大きな影響を与えるのだったが、無論この時は分かるはずがない。
数人に簡単に取材を受けたのだが、私に記憶は無い。ただ、時計を見ながら渉外部長の到着を今や遅しと待つばかり。
12時になった。タクシーに乗ってマサさんが駆けつけて来た。取材陣は彼の方に行く。私はホッとした。
「Nテレビの者ですが、出発風景を…」
「あぁ、そうですか…」
会話が洩れ聞こえる。
ミチさんがやって来たのは、12時を10分も過ぎた頃だった。我々に遅れた詫びも入れずに「ヤア、ヤア…」とばかりに、報道陣に挨拶を始めた。この男は遅刻の常習犯である。この当時、待ち合わせをすると、彼は必ず10分遅れて来ていた。正確に10分遅れで来るなど、よほど気を使い計算をしないと出来ないはずだ。しかし、彼は必ず遅れる。いくら非難してもニヤニヤ笑うばかりで懲りない男であった。ついでにマサさんは、ドンぴしゃの時間に来る。私は何時も10分前には約束の場所に到着し、彼らを待っていた。それぞれが他愛のない強い拘りを持っているのに違いないが、これは3人の性格の違いによるとしか言いようがないだろう。
私とマサさんは、取りあえず屋根のあるところへ行き、雨合羽を着込むなど身支度を始めるも、ミチさんはマスコミのお相手が忙しい。どうやら、テレビ局はNテレビだけではないようだ。
「よーし、出発!」
発案者のマサさんが声を挙げた。自然に彼がリーダーとなっていた。
昭和50年4月27日、日曜日、午前0時30分、多くのテレビカメラのライトに照らされて3人は出発した。日本海沿岸の直江津に向かって。(現在、直江津という市はあるのだろうか? 町村合併とやらで何がなにやら分からなくなった)
なんとも珍妙な気持ちであった。確かに私は興奮していた。テレビカメラの前に立つのは生まれて初めての経験だったのだ。歩き出したのだが何となく足が地につかない感じがする。
「あの船は、停泊中である!」
沖合に停泊中の船を指さし、ミチさんが、突然口走った。
「えっ!」
私は思わず声を発した。マサさんも怪訝そうな顔をする。気配を察したミチさんが近寄り、小声でささやいた。
「テレビへのサービスだ! 猿のケツはまっ赤だと云っても同じことなんだ!」
渉外部長は乗りすぎだ! 何がサービスなんだ? 視聴者をバカにしていることにはなるまいか? もっとも放映されたらの話しではあるが。
M新聞社のI記者が近寄りさり気なく
「じゃあ、頑張って」
と声を掛けてくれる。こうなったら、厭になったから旅は止めた! と言えない事態に立ち至った事は、さすがの私にも理解は出来た。自分たちの意志で、自分たちのしたいようにする筈であったのでは? 思えばこれが不幸の始まりだった。
そもそも何故、午前0時に出発しなければならないのだろう? 26日(土)に仕事を終えて竹芝桟橋に集合、出発という羽目に陥ったんだ?
夜通し歩き続けるなんて絶対変だ。27、28、29、30日の連休を利用して、行けるところまで行って。次の3、4、5日の連休で日本海を見ようと計画は分かるが、本来なら朝6時頃に出発するのが順当であり、それでこそペースが守られる事は、子供でも分かるはずである。
ところが、マスコミにとっては、ゴールデンウィークの連休初日の朝、休暇を使って面白い過ごし方をするグループを紹介したかったに違いない。渉外広報部長を自認するミチさんは、この計画に乗った、いやむしろそそのかしたのではあるまいか?
そもそも打ち合わせでは、出発点は新宿だったはずだ。それをミチさんが出発間際になって急遽、竹芝桟橋にしたぞと通告してきたのだった。確かに竹芝の方が絵になることは間違いないが、合議を経ずして決定事項を変更することは許されるべきではなかった。しかし、渉外広報部長の顔を立てようとした我々も、騒ぎに飲み込まれた哀れな子羊であった。
とにかく最初に目指したのは、出発点であったはずの新宿だった。大門−六本木−青山−信濃町−新宿というルートを選んでいた。
歩き始めたばかりなのでペースは速い。新宿まで2時間もあれば到着しそうである。雨合羽にリュックの3人が六本木を歩いていく。さすがに、雨の深夜と言えども六本木は人通りが多い。たむろする人々が我々を見る眼は、不審感に満ちている。不思議なことに彼等が別世界の人間に見える。愚か者が集っているわい、と言う案配である。いつもなら我々は彼等の仲間のはずなのだが、立場が人間の思考を支配するのは間違いない。
彼等のバカにしたような視線を浴びながら我々は先を急いだ。本当に直江津まで歩くのだろうか?
一番若手の私が先頭を切っていた。青山一丁目の交差点に出た。信号で立ち止まる。向かい側に交番があるからではない。無人であろうとも私は交通ルールを守る男である。交番の中の警察官がすっくと立ち上がるのが見えた。ごく自然な感じで交番を出てきた。ごく自然な感じとは、言い換えれば自然な感じを装っているということである。足下を見つめ、靴で水たまりをピチャピチャさせる。雨なのに傘も差していない。絶対に変である。 職務に忠実な彼は、信号を渡ってくる我々を待っている。年の頃はわたしと同じぐらいの二十代半ばだろうか。彼は全身から警戒感を漂わせている。深夜の一時過ぎに、こんな所を、こんな格好で歩いているのだから不審に思わない方がおかしい。緊張を破ったのは私である。
「新宿はこちらですか?」
聞くまでもないことを、呟くように聞く。道を聞く場合は、普通は立ち止まって聞くものである。しかし、私は彼に興味は無い。足早に歩き去ろうとする。
「ん、なに?」
と警官。
「新宿へ行きたいのですが、この道でよろしいんでしょうか?」
ミチさんが、丁寧に立ち止まってあらためて尋ねた。渉外部長の役割を自覚しているらしい。彼は案外“お上”には弱いところがある。
「新宿から何処へ行こうとしているのですか?」
と質問には答えず、慇懃に、逆に質問を返してくる。新宿から何処へ行こうと勝手だろう。
「いや、新宿から先は分かっていますから、新宿まででいいんです」
新宿だって分かっている。
「じゃあ、新宿から電車に乗るのですか?」
「いいえ」
この警官の質問もおかしい。この時間では、さしもの夜更かしの地下鉄も国電も動いてはいない。(国電とは今で云うJRのことである)夜中の3時前に新宿から乗る電車など有りはしない。
警官は不審の念をますます強くする。
「ま、とにかくちょっと中に入って下さい」
彼は交番の中に連れ込もうとする。
「僕たちは決して怪しい者ではではありませんよ」
ミチさんは、疑われた者の台詞としてはまったく意味のないことを言う。
「まあ、まあ、ちょっと」
と任意同行を求める。ミチさんは、振り向いてマサさんを見た。マサさんは黙って頷く。中にはいると、警官はリュックを指さした。
「中身はなんですか? 開けて見せてくれませんか?」
べつに開けて困るようなことはないが、濡れたリュックを開けたり閉めるたりするのは厭である。これまで黙っていたマサさんが口を開いた。
「僕たちはこれから新潟まで行くんです」
と毅然と言い放った。彼は職業柄この手の対応には慣れている。
「それじゃ、やっぱり新宿から上野に行くんでしょうが。それにしても時間が早すぎるな」 と首を傾げる。
「いいえ、電車には乗らないんです」
警官はムッとした口調でになってくる。
「それじゃ、何でいくんです?」
横合いから、自分の役割に対する責任感に目覚めたミチさんが、質問に答える。
「歩いて行きます」
「歩いて? 何でこの雨の中を…?」
「雨はその内やむものです」
だんだん、禅問答になってくる。警官はますます不審の念を強くしたようであったが、犯罪の匂いを嗅いだときのそれとは違ってきた。一応素性は明らかにせねば、と言う態度に見えた。
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