エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(3)

 


 
 ミチさんはいつもの調子を取り戻してきた。
「やんだ雨は又、降り出します…」
「……」
 警官の目つきが変わってきた。バカにされていると思ったのかも知れない。慌てて私が引き取った。
「新潟県の直江津まで歩こうと思いまして」
「何のために?」
「別に目的はありませんが、日本海まで歩いてみたくなりまして」
「ふうん、しかし、あなたたち、そんな格好で夜中に歩いていると……。いま、爆弾事件で取り締まりが厳しいですからね」 
 警官は本音を吐いたようでもあり、他方、我々をその対象から外したようでもある。

 昭和47年に浅間山荘事件、連合赤軍による大量リンチ殺人事件、日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件で26人が死亡。
 昭和49年には、東アジア反日武装戦線が三菱重工ビル爆破事件を引き起こし、8人が死亡、376人が重軽傷を負うという状態で、物騒な世の中であった。
 逼塞した世の中のガス抜きのために、マスコミは、我々の変な行動に興味を持ったのかも知れない。

 私はすかさずリュックのポケットから、T新聞を取り出し、
「ここに書かれてある通りです。嘘ではありません」
 とたたみかけた。警官はその新聞に眼を通し、
「なるほど…」
 とうなずく。
 とどめを刺すように、マサさんが名刺を取り出し渡した。弁護士である彼の名刺はこういう場合は極めて便利だ。
「あ、そうですか、これは頂いてよろしいでしょうか?」
 と警官。
「いや、一枚しか手持ちがないので…またこういう場合も考えられますから…」
「いや、その時は青山一丁目の交番で荷物は開いて見せたと行って下さい。私は○×と申します。電話を戴いても説明致します…」
 荷物を検査しないのにそんなことを言い出した。そのくせ名刺は彼のポケットの中に入って行った。おもしろおかしく日誌を付ける為か、同僚と酒の肴にでもするつもりだろう。ついでに、T新聞の記事も素知らぬ顔をしてポケットに入れた。私には、彼の行動は不快には感じられなかった。
「気を付けて行って下さい」
 という言葉を受けて、我々は再び新宿に向かって歩き始めた。雨の夜中に雨合羽を着込み、大きな荷物を背負った不審人物の旅は始まったばかりである。

 
 新宿に着いたのは、午前2時40分であった。さすがにこの街は不夜城である。こんな時間でも歌舞伎町界隈は人であふれかえっている。雨をものともせずに酔っぱらいが騒ぐ。勤め帰りのホステス、あてもなくさまよう若者の集団。進行を阻まれたタクシーが列をなし、やみくもにクラクションを鳴らす。
 我々は、雑踏の中を縫うようにして、区役所通り裏のバー「N」に入る。すでに閉店後の店内で、ネクタイに黒いチョッキ姿のマネージャーと、和服を着た新宿の美女が我々を迎い入れてくれる。新宿に着いたら必ず立ち寄ると約束していたのだ。
 さっそく前途を祝して、水割りで乾杯。疲れた身体にウイスキーがしみ渡る。口も滑らかだが、水割りも滑らかに喉を通る。四十代半ばのマネージャー氏はにこやかに相手をしてくれる。高級クラブを引けた後の、新宿の美女もすこぶる御機嫌だ。
 これでは、我々の機嫌が悪いはずはない。徒歩旅行の途中であるという感覚は無くなっていく。ようはいつもの飲んだくれの状態に陥っておだをあげる。
「旅は、これでなくっちゃ!」
 などと、ミチさんが勝手なことをほざく。
 このまま沈没してしまうのではないかと、心配になった私が何度も促すが、なかなか二人は神輿を挙げない。

 何度かめのとき、渋々二人は立ち上がった。
 マネージャー氏は、
「途中でやって下さい」
 と、ウイスキー、レモンなどの差し入れを頂いた。この時は、彼がなぜレモンを差し入れたのかよく分からなかったが、あとで、その効果をしみじみと味わうことになる。普段は、レモンなどまず口にしない私だったが、疲労の極に達すると、レモンがじつに旨いのである。彼は登山の経験があったのかも知れない。
 ともあれ、ウイスキーのラベルに、“完歩・道無照会”とマジックで書き込んであるのが憎い。
 いやいやながら、三人は歩き始めた。酒はかなり回っている。店を出た五人、つまりマネージャー氏と新宿の美女も一緒に歩く。同行二人と云うのは四国のお遍路だが、我々はいささか下劣な三人と、善意な二人であった。
 京王プラザホテルの前で記念撮影。マネージャー氏とはそこで別れた。このマネージャー氏は、いま思いだしてもかなりの人物である。水商売でこんなに品のよい人はまれだ。なまじの客では太刀打ちできないだろう。
 美女の方は、さらに一緒に歩いて送ってくれるという。蛇の目傘に高下駄。着物のすそを片手で持ち上げて夜更けの街を闊歩するさまは、女ながらも勇ましく、じつに絵になっている。
 雨の中を三十分は歩いた頃、彼女と別れることにした。気を遣いタクシーを拾おうとすると、彼女は敢然と拒絶する。
「送りに来たのに、送られるのはいやだ!」
 と云って駄々をこねる。結局、根負けした三人は、女性ひとりを真夜中の路上に残して立ち去ったが、彼女の頑固さは筋が通っている。彼女は八丁堀の生まれ、家は代々職人という生粋の江戸っ子のせいだろうか。
江戸は武士と職人、、京都は公家、大阪は商人の町、とはよく言われる言葉だが、現代でもなるほどと納得させられるところがある。確かにそんな感じがする。ちなみに私の住んでいる横浜は港町である。
“三代住まなきゃ江戸っ子じゃない”という言葉がある。それに対し“三日住んだら浜っ子”と言われる。これも両方の町の特徴を掴んでいる気がする。
 
 私と新宿の美女とは、現在でも付き合いがある。今では、彼女も六十代半ばの老女になったが、凛として自立しているところは見事である。まず姿勢が良い。背筋が真っ直ぐで隙がない。さらに和服が格好いい!
 ある意味で彼女は私の先生でもあった。“男たる者は”などと言われて教えも受けた。私は、彼女の弟子としては結構いけていると思うのだが?
「テルさん、財布を見せてごらんなさい」
 何かの話題の時に彼女はそう言った。私は内ポケットから財布を差し出した。
「こんなんじゃ、駄目ね!」
 私はムッとした。確かに財布の中には2〜3万の金とクレジットカードしか入っていない。でも、当時の私の月給は7〜8万だったと思う。
「あんたの、ご贔屓五ひいき筋と一緒にしてもらっては困る。俺は堅気のサラリーマンなんだ!」
 彼女は高級クラブのホステスで、馴染みのお客は、私も新聞などで名前を知っている人達であった。自前で飲みに行けるようなクラブではなかった。
「いい、よく聞きなさい。財布の中には最低でも20〜30万円はつねに入れておきなさい。五年、十年それを続けたら、あんたはいっぱしの男になれる。お金が無ければ借金してでも入れておきなさい。使う必要はない、ただ常に持っているだけで良いの。男は磨かなくっちゃだめよ……私が言うんだから間違いはない……騙されたと思ってやってみなさい」
 素直な私は、それから二十数年その言いつけを守った。騙されたと思ってやってみた結果は…今の自分である。  
 最近の7〜8年は、二十代半ばの頃と同じくポケットの中には2〜3万の金しか入っていない。でも、ポケットというところがミソである。2〜3万の金を財布に入れて持つことは、恥ずかしくて私には出来ないのだ。まあ、彼女の言いつけを守った結果の自覚は、これしかないが……。

 ともあれ、連載3回目にしてまだ、新宿をうろついているのである。こんな有様ではたしてこの連載エッセイが、日本海に到達するところまで書けるのだろうか?
 あらかじめ申しておきます。5〜6回目で突然、直江津に着いたりするやも知れません。その時は、どうかご勘弁を。


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