エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(4)

 


 
 いよいよ、本格的な三人旅が始まった。次の目的地は石神井公園である。我々のルートは中野経由になっていた。マサさんが、ああだこうだと蘊蓄を傾け一人前にルートだけはそれらしく決めているが、雨は止まず気分は最悪。話すこともなく黙々と歩いていると、屋台のラーメン屋が眼に入った。飲んだ後はラーメンが欲しくなるのは酔っぱらいの常である。まさに、我々は単なる酔っぱらいが歩いていたのだった。
 暖簾をくぐる。無愛想な親父だった。「ラーメン!」と言っても返事もせず作業にかかる。湯切りをした麺を丼に移しながら、親父がささやいた。
「山かね?」
「いや、歩きだよ」
 とミチさんが返事をした。
「どこまで?」
「新潟まで」
「まいったな!」
 と言ったきり親父は再び口をきこうとはしなかった。
 ラーメンに口を付ける。‘まいったな’と言いたくなったのは私の方である。ふつう屋台のラーメンとは、そこそこの味であるはずだが…。

 中野駅あたりで、雨脚が強くなった。午前5時頃だったと思う。心は陰鬱、疲労は激しいという案配である。それもその筈、昨日は残業仕事をこなし、竹芝桟橋に集合した後、そのまま歩き続けているのだ。いやもとえ、途中でしこたま酒も呑んでいるのだ。眠くてしかたがないのは当たり前の話しである。しかも、締めくくりの不味いラーメンも腹に入っている。飯を食べると眠ると言うのが私の体内リズムでもある。
 中野ブロードウエイが見えてくる。雨宿りを兼ねて飛び込む。雨露を防げるということはこれほど幸せなんだと感激するまもなく、フラフラと一番奥まったところに行き、シャッターの前に座り込んだ。しばらく体力の回復を待つと、疲れた身体に鞭打ち、私はリュックからグランドシートを取り出し床に敷く。年が若く体力的には一番強い私は、自らに課した義務を果たした。三人は靴を脱ぎシートの上に座り込んだ。話しをする元気は残っていない。 
 胡座をかき、三人は頭を垂れる。言葉交わす元気もない。ただ黙って俯いている。ミチさんが微かに寝息を立て始めた。何時何処ででも、すぐに眠ってしまえるのは彼の特技だ。私はぼんやりと視線を前に移す。座り込んだ三人の目の前に、靴が揃えて置かれている。靴に小銭が飛んできかねない、乞食そのままの姿であった。早朝のブロードウエイにも疎らだが歩く人はいる。怪訝そうに三人を眺めながら通り過ぎていく。

 あたりが何となく騒がしくなる。何処かに行くためにブロードウエイを歩くのとは異なった足音が響いてくる。仕事師の機敏な足音である。牛乳屋さんであった。パン屋さんもいる。彼等は小売店に商品を届けているのだった。溌剌とした若者だ。フーテンの寅さんの言う「働く青少年諸君!」である。
 彼等は、シャッターの降りた店の前に牛乳やパンを、無造作に箱ごと積み上げていく。盗まれたりはしないのだろうか? と他人ごとながら気にかかる。ところがどうやら彼等が気にしているのは、当の我々のようであった。
「何をしているんですか?」
 向かいの店先に荷を降ろした牛乳屋の若者が声を掛けてきた。軽い牽制球を投げるつもりなのであろう。
「疲れたから休んでんだよ」
 不機嫌そうにマサさんが返事をする。
「なぜ、疲れたんですか?」
 聞いてどうするつもりなんだろう? 彼は余り意味の分からない質問をする。
「雨の中を歩いてきたんだ」
 そう言うと、マサさんは金輪際口をきくもんかと、そっぽを向いた。肝腎の広報部長ことミチさんは寝息をたてている始末だ。
 三人の中で一番若い私が尻拭いをする羽目になる。パン屋の若者も近寄ってきて聞き耳を立てている。

「じつは、連休を利用して太平洋から日本海まで歩こうとしているんだ。夜中の12時に竹芝桟橋を出発して歩いてきたんだが、この雨だろ、疲れて雨宿りという分けなんだ」
 何のことはない、私は怪しい者ではないと言い訳をしていたのだった。
「昨日の12時から歩いて、まだここなんですか?」
 と若者は痛いところを突いてくる。
「雨、雨…すべては雨のせいなんだ」
 とても新宿で飲んだくれていたとは言えない。何とか嫌疑は晴れたようで、牛乳屋とパン屋は去っていった。本当に嫌疑は晴れたのだろうか? 単に次の仕事が迫っていると言った方が間違いないだろう。
 しかし、彼等が去っていったおかげで少しは休めると思ったのもつかの間。ガラガラと音をたてて背後のシャッターが昇っていく。万事休す。いくら何でも起きあがらない訳にはいかなくなった。かくして我々は、追われるように雨の中を出立することになる。

 不愉快極まりない。何故こんな目に遭わなければならないのかと、腹も立つのだが、自分たちで好きに決めたことなので、他人に文句の持って行きようがない。
 言葉を交わす余裕もなく黙々と歩く。しかし、ルートを間違えてはならない。時々、立ち止まり、マサさんは五万分の一の地図を取り出す。そして現在地を確認する。そのたびに彼は同意を求めるのだが、私は、うん、うんと、適当に相づちを打つ。ミチさんに至ってはどうにでもしてくれとばかりに開き直って返事もしない。
 当時、ロードマップも有ったと思うが、あまり一般的ではなかった。マサさんのこだわりは、そんないい加減なものは信用できないとばかりに、国土地理院発行の地図に我らの運命を託していたのだった。地図の折り畳み方は、自衛隊の指導を受けるというふうに、マサさんは変な所にこだわりを持つ男であった。あくまで自己満足の域を出ないのだが。

 そんなとき、私はあり得るはずのない光景を目にして、突然、驚きの声を発した。
「あっ、あれは!」
 無意識に私は指さした。なんとそこには2時間前に通過した、中野サンプラザが立ちふさがっているではないか!
 ナビゲーターのマサさんは、国土地理院発行の五万分の一の地図を取り出し、無言のまま睨んでいる。やおや顔を上げた彼は言い放つ。
「俺たちは決して間違っていない」
 自信たっぷりなところが許し難い。
「それじゃあ、サンプラザがなぜ目の前にあるのか!」
 と私は詰問するが、マサさんは平然としている。ミチさんはものを言う元気もなく、ただ黙ったままだ。
「それは、現実が間違っているのだ!」
 確信を持って言い放った。
「いいか、ここでこう行っただろ…そして、ここはこうした……」
 と地図を指さしながら、意味もない解釈をする。言い訳は弁護士の職業病であり、論理とは言い訳の別称でもある。しかし、現実が間違っている! と言い放った彼の論理に私は圧倒されてしまった。
 百歩譲って現実が間違っていたとしようか…しかし、悲しいかな我々は現実の上に生きなければならないのだ。神の恩寵を期待して、無為に過ごすことは解決にならない。泣きたい気持ちでまた歩き出すしかないのだ。マスコミにおおぼらを吹いた手前、やーめた、と言うわけにはいかないのだった。

 大休止予定の石神井公園はまだ遠い。依然として降り止まぬ雨の中、互いに励まし合いがら歩く。昼近くまで掛かってようやく石神井公園にたどり着いた。
 その頃には、憎らしい雨もようやくあがり、雲の切れ間から青空さえのぞいている。さっそく買い込んだパンと牛乳で簡単な昼食を済ませた。誤解しないで欲しい、買ったのである。断じて中野ブロードウエイから、くすねてきたものではない。
何と言っても大休止である。1時間に10分の小休止とは訳が違う。三人はバラバラにお花畑のベンチに駆け寄り大の字になった。約一時間熟眠した。
 約三十時間ぶりの睡眠である。わずか一時間と言えども、その効果はてきめんだった。体力的にはむろん、何と言っても気力の回復が著しい。
 死んだように疲れ切っていたミチさんは、冗談を飛ばす。雨上がりの空気は清々しい。足も軽く次なる目的地の大泉学園を目指した。



                                     次へ



目次へ