エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(8)

 


 
 未舗装の自然道は長時間歩いても疲れない。ほとんど車の行き来がなく、路傍の草花と景観は心を和ませる。最近では農道もほとんどが舗装されている。当時歩いた自然道も、たぶん今では舗装されていることだろう。
 現在、私は横浜から六本木に通勤している。その間、未舗装の道を歩くことは無い。舗装されたコンクリートの上を歩いている。したがって雨の日も足下が気にならず、ゴム長を履いたことは何十年も無い。(作業の場合は別)
未舗装の道を歩きたくなったら、私は近所の自然公園に行くことにしている。私にとって土を踏む感触は心地よいものである。
 
歩きやすく気持ちのいい自然道だが、一つ大きな問題があった。町と町を結ぶ街道と違って、集落と集落を結んでいる。あるいは集落の生活道路や農道なので、曲がりくねり枝分かれしている。とんでもないところで行き止まりになったりする。
 我々は、煩雑に五万分の一の地図とコンパスで現在位置を確認した。あまりに、度々点検したため、特に私は現在位置の確認に関しては、熟練者となった。
 自動車に乗ってドライブしていて道に迷った場合も、地図さえあれば走行しながらの助手席ですぐに現在地点を探し出し、間違いなく指摘できるほどになったのだ。この技術は車外の山の形と地図上の等高線を読むことであった。むろんこのテクニックは山の多い日本ならではである。サハラ砂漠では無理に決まっている。

 地図ともう一つ道に迷わない秘訣は、人に道を聞くことである。当たり前のようだがこれにもテクニックがいる。まず、第一に女性に道を聞くのは避けた方が無難である。どうせ聞くなら、若くて可愛い娘さんがいい、などというよこしまな考えは捨てるべきである。 以前読んだ本に、女性は方向音痴で地図に弱いということが書いてあった気がする。むろん女性蔑視ではなく、男性は記憶力において女性に遙かに劣るという性別の比較論であった。
 これは実感としてよく判る。女房及び職場の女性に叱責されることは度々あるが、驚くのは彼女達の記憶力である。えっ! そんなこと? あった気が……! 私は脱帽するしか無い。世の男性諸君、女性と口げんかをしては駄目ですぞ! 負けるに決まっているのですから…。

話しが横道にそれたが、実際にこんなことがあった。その土地に生まれ、嫁に来て四十年以上生活したと思われる主婦が、自分の家の裏山に向かう小道が、街道へ通ずることを知らなかったのだ。四十年間そちらには用もないし興味もなかったのだろう。
 彼女が行き止まりだと言った道を、我々は街道へ通じると信じて突き進んだ。なぜなら五万分の一の地図には道として載っていたのだ。さらにかなりの近道であった。結果は我々の判断が勝利した。ただし、そこは、もとの道であった。放置されたもとの道。これほど歩きにくい道はまず無い。道なき山を歩く方が遙かに楽である。考えてみて下さい。山の木はまがりながらも上に向かって生えている。しかし、“もと道”の雑木は、横に向かって生え、路肩から下に向かって生えている始末である。もし、お疑いなら一度、“もと道”を歩いてみて下さい。

 そうじて男性には、そんなことは少なかった。ここで、もう一つの注意事項。頭の悪い人に道を聞くと大変な目に遭うことがある。頭の善し悪しは、外見からは判断できないから困る。本人はよく知っているのだが、知らない相手に教えることが不得手なのだ。つまり、知識のない相手に分かるように説明するという能力の問題だ。分子生物学が解るとか、理論物理学が出来るかという頭の良さではない。偉大な学者にも多く見られる頭の悪さである。
 一方、こちらもあり偉そうなことは言えない。懇切丁寧な説明を聞いているうちに分かったような気がしてくるのだ。そして、曖昧な感じで「どうもありがとうございました」なんて言って歩き出して愕然とする。実は全く分かっていないのだ。これは認知障害と言えるかも知れない。なんだ、世の中頭の悪い奴ばかりかよ!
 自分たちの頭の悪さを嘆いても始まらない。またもや地図とコンパスによる苦闘が始まることになる。これで何とかなれば良しとしよう。しかし、自分たちの判断まで間違えば、親切に教えてくれた人に罵詈雑言を吐き、その場に座り込んで中休止という結果になってしまう。やはり人間という種は、救いがたいように出来ているらしい。

 話しを元に戻そう。所沢郊外の地主の教えてくれた道を我々は、川越へ向かって歩いていた。彼は頭の良い男だったらしく、道は正確だった。しかし、事態は彼の頭をしても判断できない場面に遭遇した。
 突然、我々の行く手を、大きな水たまりが塞いでいたのである。一昨日以来の雨のせいであることは明白だ。どこまで雨に祟られればすむのだろう。
 右側は高速道路の崖、左側は有刺鉄線を張り巡らした果樹園で直進するしかないのである。
 実証的精神の旺盛なマサさんが石を投げて水深を測る。
「間違いなく、膝上まである」
 何個か石を投げたマサさんが、確信を持ってそう言った。
仕方なしに我々は、重いリュックを背負った身で、有刺鉄線を乗り越えて果樹園に侵入した。ところが何と果樹園の土も水を含んで、靴は泥だらけ、水が靴の中にまで侵入する嵌めに陥ってしまった。
「これぐらいで済んでよかった!」
 とマサさんが負け惜しみを言う。ところが、一緒に果樹園に踏み込んだ我々の同伴者はすこぶる機嫌がいいらしく、尾っぽをふって喜んでいる。
 同伴者? そう、今朝の出立からどこからともなく現れた子犬が一緒に歩いてくれているのだった。ヨタヨタとおぼつかない足取りで、つかず離れずどこまでも付いてくる。
 薄茶の短い毛、耳は垂れ下がり何とも可愛い日本犬(雑種?)だった。小さな首輪を付けているところをみると、間違いなく家出した飼い犬である。馬鹿な三人に仲間意識を感じているらしい子犬は、馬鹿な犬に違いない。
 ここで、餌でも与えたら本当に離れなくなると、危惧しながらも我々は小休止の時に、堪らなくなって糧秣を彼に差し出した。しかし、よほど口が奢っているのか、決して食べようとはしない。可愛い顔をして水くさい奴であった。

 彼とは、二時間ばかり一緒に歩いて、小休止した三芳町のドライブインで別れた。というよりはぐれてしまったのである。ドライブインには大勢の人間がいたものだから、彼は有頂天になってあちこちと走り回っていたが、そのうち見えなくなった。我々も探し回る気力も体力もないので、そのまま出発してしまった。おそらく気に入った誰かが、車に乗せて連れ去ったのではなかろうかと思う。そのぐらい愛嬌のある子犬だった。


 この朝出発の時から天気は曇っていた。なんとか持って欲しいと願いながら歩いた。ときおり小雨に見舞われることもあり、なんとか昼頃には川越に入りたいと懸命に歩いた。リュックの重さが肩に食い込む。なにせ、野宿の用意のためテント他一式を背負っているのだ。
 二日目にしてすでに三人とも足の豆はつぶれ、足腰の関節の痛みを訴える。そう、確かにまだ二日目だ、竹芝桟橋を零時過ぎに出発して一泊したのは昨夜の川べりと言うことになる。しかし、我々の疲労の度合いはとてもそんなものではない。まともに社会生活を送っていた日々が遠い世界に思える。苦難はまだ始まったばかりなのだった。
 疲労の度合いには個人差があった。もっとも参っているのはミチさんだ。彼はやけ気味になっている。心配したふりをして私が、
「だいじょうぶ?」
 と聞くと、
「足の筋が骨折した!」
 と頭までおかしくなったような返事をする。
 一方、マサさんは、しきりに腰の関節の痛みを訴える。かれに言わせると
「足のマメなんぞ痛いうちに入らない。間接の痛さに比べればむしろ快感だ!」
 とのこと。
 何と言っても、若い私が一番元気であった。あくまで体力を比較しての話しで、打ちのめされているのは同じである。
 かくして、川越を前に我々は文字通り「よれよれ三人旅」になってしまったのだ。
 


 
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