エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(12)

 


 
 間違えた地点から再出発する。すでに東京の通勤圏内を抜けて、緑の色まで違う気がしてならない。桑の若芽を摘んで食べてみる。想像とは異なり噛んでも葉の苦渋は広がらず、結構いけるのだ。蚕は旨い物を食べて入るんだ。天ぷらにすると美味いかも知れないとあらぬ事を考える。
 中学の頃、地理の時間に群馬県は生糸の産地であると教わった。その後、合成繊維に押され生糸業は衰退していくという物語があるが、実際の所は、蚕の世話と、桑の栽培には手が掛かりすぎ、もっと有利な換金作物に耕地面積を奪われたらしいのだ。現に日本は生糸の最大の輸入国あるという。その群馬県もそう遠くない。

 余談を一つ。
中学、高校時代に学校で教わった事実は大きく変貌している。USスチールという巨大企業があった。その一社の鉄鋼生産高は、日本全体の鉄鋼生産額を凌いでいた。さらに、メサビ鉱山という世界的に有望な鉱山を五大湖周辺に所有しているというのだ。しかし、現在、USスチールという巨大企業は跡形もなく消えてしまっている。
 ゼネラルモータース、すなわちGMという巨大企業の年間売上高を、トヨタ自動車が追い越すというニュースを最近聞いた。しかるに、当時学校で習ったのは、GMの売上高は日本の全自動社産業の売り上げを遙かに凌ぎ、GMの年間純利益にすらトヨタの総売上高が及ばなかったのが事実である。
 世界一の航空会社、あのパンアメリカンですら倒産している。総資産世界一だった、米国電信電話会社は現在どうなっているのだろうか?
 このよれよれ三人旅からも、三十年経っている。廻りの風景、道路事情、人々や店舗の有り様も大きく変わっているはずだ。簡単に言えば、コンビニと携帯電話があれば、遙かに楽な旅になったであろう事は間違いない。

 寄居市内に入ったが、市街地は避ける方針なので食堂はありそうもない。今夜は又もパン、牛乳、ベビーハム、さばの水煮といったいつもの献立である。味にすこぶるうるさいマサさんも、毎回文句を言わずに食べるから不思議だ。屋外で食べるとこれが結構いけるのである。
 七時近くになるとさすがにあたりは暗くなる。今夜の寝場所を探さねばならないのだ。明るい内に寝場所を確保すると言うことは、野営の鉄則だと言うことはじゅうじゅう承知であるが、なかなかそうはいかない。予定通りの距離が出ないために、ついつい暗くなるまで歩いてしまうのだ。
 しばらく歩くと神社があった。ここにしようかと相談をする。
「ここは、いいですね」
 とH氏喜ぶ。彼はまだいい写真を撮ろうと粘っているのだ。フラッシュを使うと夜の感じが出ないとかで、車のライトをしきりに使う。彼は仕事だからまだいいとして奥方は大変である。一日を完全に潰して夫の仕事を手伝っているのだ。子供は、おじいさんとおばあさんにあずけたという。
「本当に大変ですね」
 一心に夫の手伝いをする奥方に私は声を掛けた。
「いえ、私は車に乗っていますから楽ですが、歩くのは大変ですね」
 と言ってくれる。我々は好きで歩いているのである。彼女も夫の仕事を好きで手伝っているのかも知れない。
「それにしても、こうやって歩きながら自然に親しむのはとても素晴らしいことですね」 とまで言ってくれる。しかし、この言葉に私はお世辞の匂いを感じた。自然と親しむ。確かにそうかも知れないが、現実は、雨に打たれ泥だらけに成りながら疲れた足を引きずる有り様である。

 いずれにせよ彼女の夫に対する態度にただ感心するばかり。M新聞は彼女に日当を払うべきだと心底思った。マサさんは、やはり西国の女は違う! 東京の女ではこうはいかないと、彼特有の地域別人情論を持ち出す。そもそも彼女が西国出身かどうかは聞いてはおらぬ。でも初対面の相手の出身地を当てるのは彼の特技である。バーに飲みに行っても、少し話していると相手の出身地をピタリと言い当てる。
「前もって知っていたんでしょう!」
 と、ホステス嬢は驚く。マサさんに判別の理由を聞くと、アクセントなど一般人には気づかない程度のほんのわずかな特徴、相手に対する反応の仕方、あるいは発想の違いを見るらしい。現実に、
「あなたは山形県出身で、それも鶴岡近辺の都市部でしょう」
 とピタリと言い当てて、相手を驚かせた場に立ち会った事がある。何故そこまでマサさんは感覚を磨く必要があったのか? 単なる興味だけとは言えず、本音は女性を口説く切っ掛けのために修行を積んだのだと私は断言する。

 話しを元に戻そう。渉外担当のミチさんがいないので、私が交渉の役を引き受けた。社務所は奥まった少し分かりにくいところにあった。玄関の戸を開け奥へ声を掛けた。しかし、反応がない。電気がついているので不在のはずはない。マサさんも一緒になって声を掛ける。出てきたのは耳の遠いおばあさんであった。怪訝そうな顔つきをして我々をみる。たしかに、風采からして普通とは言えない。
 寝場所に境内を貸してくれないかと頼んだが、あるじが出かけているのでよく分からないとう。この先にもう一つ神社があるから、そちらへ行ってみてはと体よく断られてしまった。
 こういう時、ミチさんがいないのは辛い。彼はこういう場合なんとかOKをとる才能を持っている。相手を煙に巻き、うまく丸め込むといった感じなのだが、やりすぎてあいての頭がおかしくなりかけた事すらあるくらいだ。(実話です。後のフォローは、なんとか私がしました)  

 仕方なく、そこをあきらめて、またトボトボと歩き始めた。寝る場所だけは車で探してみては、とH氏夫妻が言ってくれるが、それだけは断る。かなり歩いたのだが、おばあさんの教えてくれた神社は見つからない。
 マサさんと相談の結果、川の橋下か河原で野宿と言うことになった。現在のルートから小道に入り、一気に川に出ることにする。車は入らないのでH夫妻には、遠回りして橋のところまで行ってもらう。
 真っ暗な道を懐中電灯の光を頼りに歩き出す。木々が鬱そうと茂り、頭上に覆い被さる。昼間なら最高の道だろうが夜は困る。一寸先の状態がさっぱり解らないのだ。こんな所で道を間違えればまさに絶望的である。桑畑に出、あぜ道を枝を避けながら歩く。何本にも分かれた道を、せめて方角だけは間違えないようにコンパスでしばしば確認しながら進む。 川の水音が聞こえてきた! 方角は間違っていなかった。急に足取りが軽くなる。ちょうど橋のたもとに出た。H氏の車は先に到着して待っていた。

 ホッとしたのもつかの間、車のライトに照らし出された川原は浚渫工事のためか、堤防作りか、あるいは族議員による公共事業の利益供与のためか、いずれにせよ土を掘り返し、風が吹けばあたり一面に土ぼこりがもうもうと広がるていたらく。諦めて重い足を引きずりながら対岸に行った。こちらはゴロタ石の上に流木があちらこちらに散乱し、まだ土ぼこりの方がましだと思えるほどだった。
 ふと見ると近くにモーテルの看板がある。矢印の方向には灯りのついたそれらしき建物も見える。疲労困憊で足を引きずる二人を見るに見かねたのか、H氏は言った。
「今夜はあそこに泊まったらどうですか。私の方の写真は今まで撮ったので十分ですから」 H氏の言うとおり、モーテルに泊まりたいのは山々である。そもそもこの旅の目的は日本海まで歩いていくのであって、野営、苦行難行をすることではない。しかし、いい写真を撮るために夜の九時までも頑張っている夫婦の熱意に対しても、今夜は野営をしなければならないのだ。H氏は、決して仕事を打ち切りたくて「泊まったら」と言ったのではないことは明白だ。見るに見かねて出た言葉であった。これを、やらせと言うなら、勝手に言えばよい!

 ほとんど祈るような気持ちで地図を出し、野営地探しを始める。近くに寺の印がある。何とかそこに頼み込んで、境内の片隅を使わして貰おうと言うことになった。
「マサさん、この暗さで見つかるだろうか?」
「うーん、他にしようがないだろうが」
 と小声でマサさんは、私に言いながらH氏に視線を移す。私は大きく頷いた。
 足はとうに限界を超え、ただ惰性で前後に動かしているだけだ。精神的にもかなり参っている。心の支えは、H氏夫妻の熱意と雨が降っていないことである。

 どのぐらい歩いただろうか、私もマサさんも薄々気づいていた。寺を見落としていたことを。しかし、そのことを口に出しては言えず。
「あれは違うか?」
 とマサさんがこんもり茂った森を指さす。あたりは真っ暗で道のすぐ側でないかぎり、寺だと分かりようがないのだ。年が若く体力的にも余裕があると客観的には見なされる私が、道を離れて確かめに行き、ションボリと足を引きずって帰って来ることも一度や二度ではなかった。
    
 
 
              
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