エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(13)

 


 
 夜空には星一つ見えない。ひょっとすると夜中に雨が降るかも知れないという、不吉な予感が頭をよぎる。
「いざとなれば民家の軒先でも借りるか、それとも畑のあぜ道ででも寝ればいい。その決心がつくところまで追い込まれるのを俺は待っているのだ」
 とマサさんが言う。まんざら負け惜しみとは言えない。「貧すれば鈍す」「衣食足りて礼節を知る」の精神である。ようするに礼節を見失い、感覚を麻痺すればいいのだ。

「何かある!」
 マサさんが確信を持って言った。その指さす方向を見れば、今までの木々の連なりとは、あきらかに感じが違う。私は足を引きずりながらもかけ出していた。
 懐中電灯の光がお地蔵さんをとらえた。あたりを探ると、五、六個の墓石に囲まれて、八畳ほどの空き地がある。とって返すなり、私はマサさんに声を掛けた。
「オーケー。ただし墓場だ!」
 私の報告を聞くと、H氏が走り出した。
「絶好の場所だ!」
 と彼は大いに喜ぶ。彼がそう言うのに我々二人が異議を唱える訳がない。野営地の決定権はとうに彼に移っていた。しかし、いつの間にこういうことになってしまったのだろう?
 彼の仕事熱心さと、奥さんの熱意に感動すらも覚えていた我々は、ここまで来たら何とか彼にいい写真を撮って貰いたい。その為には彼の意志に従うのは当然だと思うようになっていたのだろう。また、マスコミに取り上げられるであろう思いもあった。だいたい、二人だけなら、とっくにモーテルに泊まっていたはずだ。

 すでに夜の十時は過ぎていた。墓場にグランドシートを敷き、夕食(夜食?)の用意に取りかかる。気付け薬の変わりにウイスキーを飲む。実に美味い! とにもかくにも寝る場所が決まると精神的に解放される。
 H氏はしばらくフラッシュで撮っていたが、やはり普通の光が欲しいらしく、墓場の入り口にまで車を乗り入れてきた。車のライトで写真を撮ろうというのだ。(車のライトの光は自然光とは思えないが)奥さんも助手としてこまめに動き回る。
「ごく普通に野営を始めて下さい」
 と言う彼の言葉に従い、マサさんと夕食を始めた。ウイスキー、牛乳、パン、ベビーハム、サバの水煮という毎度の献立である。 

 H氏は、この場所が気に入ったらしく動き回る。アングルを考え竹藪の中に入り込むかと思えば、墓石の上に登りかねない勢いで座石に乗り、パチリパチリとシャッターを押しまくる。真剣に働いている者の前で食事を取るのは何とも気まりが悪いものだ。
 食事が終わり、後かたづけをするとシュラフに潜り込んだ。シュラフで寝たポーズを撮影すると、H氏夫妻は帰っていった。時間は十一時を過ぎている。彼等は何処で食事をするのだろうかと変なことを考える。
 いずれにせよ、粘った甲斐があって、いい写真が撮れたらしくH氏は満足そうな顔であった。これほど熱心に仕事に打ち込むということは見事なものである。それに引きずられて、我々のペースが乱されたことも事実であるが……。あんがい奥さんもそうかも知れない……。

 実に静かだ。ときどき風が吹いて竹の葉擦れの音が聞こえる。シュラフに下半身を入れたまま、チビリチビリとマサさんとウイスキーを傾ける。側には大きな木が二本あり枝が頭上に被さっている。しかし、これとて雨が降ればたいして役にはたつまい。
「マサさんだいじょうぶかな? 夜中に降られたら堪ったもんじゃないよ」
「テル、その時はその時さ、今から屋根のあるところを探すか?」
「とんでもない。真っ平だ!」
「後は、野となれ山となれだ」
 最後まで諦めずにやり通すマサさんもお手上げのようだ。ちなみにこの場には居ないミチさんは、すぐに諦めて手を挙げる男である。
 我々にとって今日は何だったのか考えた。歩いた。ただそれだけ。残り少ないウイスキーを飲み干すとシュラフに潜り込む。疲れ切ってはいるがなかなか寝付かれない。このような時には、強い酒ではなく、弱いビールの方が眠気を誘うことは間違いない。
 そのうちに、墓石に囲まれ、まるで行きながら仏となったように眠り込んだ。取りあえずは一夜だけだが、永遠の眠りにつく日も、そう遠くない将来に訪れるだろう。

 朝眼を覚ますと、あたりは“もや”に包まれていた。幸いなことに雨は降っていない。さっそくシュラフをたたむ。いくらか湿気を帯びている。グランドシートをたたみ、ゴミを集めて袋に入れた。何はともあれ、一足先に旅立った先輩が眠っているのである。墓地は我々の使用前以上に綺麗にしなくてはならない。適当に雑草を抜きそれらしくする。作業が終わった後、お地蔵さんと墓の前に、手持ちの飴玉を一つずつ供え手を合わせる。残念ながらというか、当然に線香の用意をしていないのが悔やまれる。
 墓場を後にする。早朝は気持ちがいい。畑ではお百姓さんが、すでに野良仕事に精を出していた。枯れ草を燃やす煙が立ちのぼっている。当時はダイオキシンがどうのこうのなどという無粋な時代ではなく、草を燃やす光景に心が癒されたものである。

 もやが次第に霧雨になっていく。今日は列車で帰らねばならないのだ。明日から二日間は仕事が待っている。ミチさんの労組との団体交渉はどうなったのだろうか、などという娑婆っ気も芽生えて来る。とにかく夕方の五時までには、鉄道の駅に行かねばならない。よれよれ三人旅の第一次行程の終点はそこになるはずだ。
 横を車が走り抜ける道を、トボトボと歩いていく。相変わらずバスはマナーが悪く、幅寄せするような感じで排気ガスをまき散らしていく。それに反して、大型トラックは明らかに我々に気を遣ってくれている。たぶんに原始の感覚が目覚めてきている私には、運転手の気持ちが手に取るようにわかるのだ。
 国道を歩いているメリットは食堂を探すのには苦労しないことだ。昼近くなったのでドライブインに入ることにする。栄養のあるものを身体が欲しているのだ。おあつらいむきにホルモン料理、つまり焼き肉屋を見付けた。店内にはテーブル席の他に畳の部屋があったので、さっそく靴を脱いで座り込んだ。

 ジュージュー音をたてて焼けるホルモンをみているとビールを飲まずにはいられなくなった。
「マサさん、ビールを飲もうよ」
「しかし、ビールを飲むと疲れがどっと出るぞ」
「じゃ、このホルモンでメシを喰うの?」
「うーん、それも、ホルモンに対して申し訳ない気がするが…」
 今回の旅で、別に昼間から酒を飲んではいけないという決まりがあるわけではない。ただ世間一般の常識という奴が、何となく後ろめたい気を起こさせるのだ。まさに“お天とう様に申し訳ない”である。
「ビール二本お願いします!」
 私が悪者になってビールを注文した。気取ることはない。どうせ我々は飲み助なんだから。焼きながらビールとともに食べるホルモンの味は格別だ。とくにこの店の焼き肉は旨い。以後数回、焼き肉を食べたが、結果としてこの店が一番旨く、だんだんまずくなっていった。最低は草津で喰ったやつだ。まずい上に値段まで高いとくるから始末が悪い。
 
 ここまで来れば群馬藤岡はもうすぐだ。明日からはまた仕事に戻らねばならない。その為にも駅への道を急がねば。しばらく行ったところで地図を広げていたマサさんが近道を発見した。かなりはっきりした道だ。国道に辟易していた我々は躊躇なくその道を選ぶ。その道は農家の間を抜けて通る道だ。もちろん舗装はされていない。家々の庭先は、花や樹木で色彩にあふれている。くねくねと石垣の角を曲がりながらいい気分で歩く。
 こういう風情のある道を歩くと、心まで浮き浮きして話もはずむ。すでに雨はあがっており、雨に洗われた緑があざやかに輝いている。人間が歩く道はこうでなくてはならない。昔はこういう道ばかりだった筈である。

 順調に歩いて地図の通りに国道にでた。国道に沿って川が流れている。目指す群馬藤岡は川の対岸だ。橋を渡らなければならないのだが、かんじんの橋が見あたらない。地図ではこの辺に橋があるはずなのだが見あたらない。これはいったいどういう事なのだろう? いくら探し回っても橋は無い。一軒の民家に行って道を聞く。ミシンを踏んでいた娘さんが出てきた。余計なことだが民家の縁側で娘さんがミシンを踏む光景は、現在では見られない。廃れてしまった光景である。
「このあたりに橋はありません。この国道をずっと先まで歩いて行かなくては」
「しかし、地図にはちゃんと橋が…」 
 マサさんが地図を指し示す。娘さんはマサさんの指さすところに目を移したが、
「この地図が間違っています」
 と、にべもない。マサさんに習い「現実が間違っているんだ」と言いたくなった。しかし、残念ながら娘さんの断定が正しいことを承知した。
 娘さんの言うとおり歩き始めた。途中のガソリンスタンドで確認をするが、彼女の言うことは正しいようだ。いいかげんくたびれ果てた頃、ようやく橋を発見。

 川原は広く、あちこちで石を拾う人々が見られる。ゴロタ石を拾っているのだ。おそらく家の庭にでも敷くのだろう。一方、橋の上はスキー帰りか、ドライブ帰りの車が数珠つなぎになっている。歩いていると車に乗っている人がバカに見えて仕方がない。橋を渡って藤岡の町に入る。
 今回の行程はここまで。群馬藤岡の駅から八高線で高崎に出、特急電車で上野へ。所要時間は二時間。これが、四月二十七日から三十日まで、四日間かけて悪戦苦闘の末、歩いた距離であった。

 
 
                         次へ



目次へ