エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(16)

 


 
 やはりルートを間違えていた。しかし、この時点でそれを確認できたことは不幸中の幸いであった。まだ、引き返さずに軌道修正の出来る範囲内だ。
 それにしても雨は一向に止まない。ブーツを振り分け荷物のようにして肩に掛けて歩く。新しく買った安物の運動靴はなかなか調子がよい。足の痛が歩行を困難にすることはなかった。
 我々は最悪の場合を考えて、川沿いの道を選ぶことにした。夜になって疲れ果てたら橋の下に寝ればいいからである。橋の下は昔の乞食の指定席になっていたようだが、その訳がよく分かる。空き家に潜り込んでいればドロボーと間違われるだろうし、人家の軒先に寝ていようものなら追い払われてしまうだろう。その点、河川敷の橋の下は誰の持ちものでもないから気兼ねが入らない。


 余談になってしまうが、日本国中の土地は必ず誰かの所有物である。個人、法人、自治体、国家と所有者は異なるが、誰のものでもないという土地はあり得ない。極めてあたりまえのことだが、ホームレスのような旅をしているとそのことが身に染みてくる。
 土地の所有権を侵害するような行為があるとすぐに排除される。所有権の不可侵制度は、近代社会を成立させているもっとも基本的な権利であることは承知している。これが揺らぐと、社会秩序は崩壊するであろう。人の生殺与奪の権を握る、最高の権力主体である国家ですら、公共の利益などの特別の場合を除き所有権を侵害することは許されない。
 その中で比較的排除の論理がはたらかず、緩やかなのが河川敷と海岸である。長期滞在でなければテントを張り雨露を凌ぐのは文句を言われない。ただし、最近は海岸についてはそうとも言えなくなった。キャンプ村など海岸を営利目的に使う漁業組合から文句が出るそうだ。リゾートホテルなどは漁業組合と結託し浜辺を占有している。
 さらに、大企業は海岸を占拠し一般人の立ち入りを禁ずる。石油コンビナートや発電所は人々の生活に欠かせない公共性があることは分かっているが、せめて釣り人の入場ぐらいは許して欲しいものだ。


 無茶苦茶、横道にそれて暴言を吐いてしまいました。どうかオヤジの戯言としてお許しあれ。
 やがて国道十七号線に出た。川沿いの道は十七号線に平行していたのである。さすがにこの道路は立派だ。あたりはすでに暗くなっているというのに、両側は豪華なレストランやドライブインが軒を連ねている。
 左右のきらびやかさに見とれて歩いているうちに、どうやら十七号線をどんどん北上し前橋に向かっていると気づいた。これはいけない! 予定のコースでは高崎から北西に進路を取り、下室田、三ノ倉、権田と榛名山の西側を巻くようにして川原湯あたりに出るつもりだったのだから、全く逆の方向に進んでいることになる。

 時計の針はすでに七時を指そうとしていた。毎度のことながら何故毎回、暗くなるまで歩くのだろうか? 宿泊はともかく、腹がへったので二階建てのレストランに入った。一階はパチンコ屋である。立派な絨毯の上をドロ靴で歩くのだから、ウエイターが不快な顔をするのも仕方がない。店が終わった後には彼等が清掃しなくてはならないのだろう。そんなことは意に介さず、焼き肉を注文した。身体が栄養価の高いものを欲しているようだ。
 食べながら、これからの行動を話し合った。現在位置が微妙で、こうすべきだという結論が簡単に下せない。迷ったときは地元の人に道を聞くに限る。本来ならウエイターを呼んで聞けば良いのだが、招かれざる客が入ったせいか、店内はすこし剣呑な空気に包まれている。私は地図を片手にカウンターの方に歩いていった。
 不審な目を向ける若者にニッコリ微笑んで話しかけた。簡単に、東京から新潟まで歩いている途中だと説明すると、彼の不信感が和らいだのが分かった。すかさず私は地図を広げ現在位置の確認と行き先の様子を聞いた。

「渋川へ行こう」
 席に帰るなり私は二人に言った。予定の榛名山西回りのコースを取るにはあまりに北上しすぎているのだ。とにかく、一直線で渋川まで行けるコースが分かったのは大収穫だった。あとは、どうにかなるだろうと出発した。
 雨の夜道を歩くのは危険だ。しかも、ウエイターに教わった道は、昔からの旧道らしく巾が狭い上に大型トラックの往き来も多く、歩道など当然の如くない。よほど注意して歩かないと大変なことになりかねない。
 我々は各々懐中電灯を大きく振りながら歩くことにした。すぐ側を走り抜ける車が、泥水の跳ねを浴びせるが、そんなことを一々気にしている余裕はない。

 行けども行けども、この道は際限なく続いている感じだ。古い街道特有の両側によく似た佇まいの商店やしもた屋が並んでいる。しかも、夜のこととてどこも戸を閉めて灯りを消している。しばらく行くとまた同じような建物が並んでいる。身体の疲労のせいか、いつまでも同じ所を歩いているような錯覚に陥ってしまう。
 ときおり現れるバス停の表示を、懐中電灯で確認し地図と照らし合わせる。進行速度の遅さに、さらに気持ちが落ち込んでいく。
 疲労もそろそろ頂点に達しそうだ。一刻も早くしかるべき場所で眠りたい。時刻は九時を過ぎている。前夜の無理は必ず翌日の行動に影響することは分かっているから、何としてでも寝場所を確保しなければならない。
 閉店後のガソリンスタンドや猫の額ほどの公園、あげくの果てには家と家との間の狭い空間まで、雨がしのげれば何処でも良いからと物色するのだが、適当な場所が見あたらない。無言のまま、トボトボと足だけは前に進んでいく。

「おっ!」
 三人が同時に声をあげ、眼を合わせる。棟高というところで、ズバリこれ以上ないという格好の宿泊場所を発見した。道路に面した農家の納屋である。横道に入り、のぞき込んでみると奥の方が二段になっていて下にはムシロが積み上げており、二階には藁が積まれていた。あの藁の上で寝ることができたなら申し分ない。ついにやったぞ、という感じである。
 しかし、無断で忍び込むのは気がとがめる。納屋の所有者に断りたいのだが、どこの誰のものか判断しかねる。路地を隔てた右側の大きな家がいちばん近いので、そうではないかと思うのだが、すでに灯りは消えていて寝静まっているという感じである。農家は朝も早いが、夜も早い。
 いったん元の道路に出てみるとスナック風の飲み屋の看板を見つけた。暗い通りにポツンとそこだけに明かりがともっている。

 自分の出番だとばかりに、ミチさんはドアを開けて入っていった。薄汚いのが三人も入ると迷惑だろうと、マサさんと私は外で待つことにした。しかし、待てどもなかなか出てこない。「なに、話し込んでいるんだ!」
 とマサさんはすこしイライラしている。
 そのうち、どうもどうもと、手を挙げながらミチさんは朗らかに出てきた。
「どうだった?」
 と私。
「思った通り、あの大きな家のものだ。橋爪さんというらしい」
「どうでも良いけど、道を聞くのにずいぶん時間がかかったな」
 とマサさん。
「いやなーに、店の中には、ママさんと客が二人いたんだが、突然入っていったもので眼を剥いて驚いたんだ。あの納屋の持ち主を聞いても、ポカンとして返事もしてくれないんだ。仕方ないんでもう一度繰り返したら、やっとなにを言っているか理解できたらしい」「雨の夜に、顔見知りばかりだろうこんな田舎で、見知らぬ男がずぶぬれになってヌーと顔を出したら、そりゃー驚くよ」
 私は、スナックの人に同情した。
「俺もそう思ったんで、決して怪しい者ではありませんと行ったんだ」
 怪しい者では有りません、この言葉はミチさんの得意な言葉だ。
「ばか、それじゃあますます怪しまれるに決まっている」
「そうなんだ、ますます不審な目つきになっていったんで、歩いて旅をしていると簡単に説明した。『そうすると今流行のヒッチハイクというやつか?』と言われたんで、まあそんなものですと返事をして、適当に話を切り換え持ち主を聞き出した、ところが…」
「ところがどうした?」
「客の一人が、この間の新聞に東京から新潟まで歩く人の記事が出ていたが……と言いだしたので、長居は無用と適当に切り上げて出てきた」
 どうやらミチさんは、我々が待っていることを気にして出てきたに違いない。
「ミチさん、本当は腰を据えて飲みたいんじゃないの?」
 と私。
「おっ、そうしようか?」
 案の定である。
「ばか、言うんじゃない。寝床の確保だ!」
 マサさんは冷静に宿泊場所を確保することを選択する。

 田舎の大きな家は、庭が広く門構えがしっかりしていて外から呼んだぐらいでは聞こえそうもない。表門はしっかり鍵が掛かっていて押しても引いても開きはしない。しかたがないので裏に回る。裏門も立派なものだが、木戸をなんとかこじ開けて屋敷の中に入った。 さすがに私は心配になる。我々は泥棒と同じことをしているのではなかろうか? 私の心配をよそに、マサさんはガラス戸をたたき出した。思わずミチさんと顔を見合わせる。彼も同じ気持ちらしい。
「こんばんわ、こんばんわ…」
 裏から庭に忍び込んでガラス戸をたたく。いいのだろうか? 私の心配を見透かしたようにマサさんは言った。
「緊急避難だ!」
 こういう時は、弁護士は役に立つ。

 もしかしたら留守なのかも知れないと思いつつ、私も軽くガラス戸を叩く。さらに戸を叩いていると、突然、
「なにか人の声がすると思ったら裏の方だったのか」
 と、この家の主人らしき人が顔を出した。なかなか肝っ玉の据わった人物であるに違いない。ちょっと考えればすぐ分かる。寝静まった夜中に、薄汚れた男三人が裏木戸から侵入して、ガラス戸を叩いているのだ。それで動揺した風がないというのは信じがたいことであった。
 例によって、ミチさんが「怪しい者ではありません…」という言葉を連発する。あまりと言えばあまりに芸がない。そもそも、怪しいか怪しくないかは相手が判断することである。こういう時は、むしろマサさんの方が頼りになる。簡潔に自己紹介をし、現在の状況を話し、一晩納屋を拝借したいむねを依頼した。
私は、「お願いします」と大きく頭を下げた。我ながら「怪しい者ではありません」よりよほど気が利いていると思うのだが?

 事情を聞いたご主人は
「泊まることは結構だが、あんな汚いところでいいのかね。もしなんなら、もう少しちゃんとした場所を提供してもいいが……」
 と親切に言ってくれる。しかし、これ以上の好意に甘えてはいけない。ものには限度というものがある。最悪の場合、雨さえしのげない所で、横になることも出来ずに夜を明かさねばならなかったかもしれないのである。
「いえ、とんでもありません。あそこなら申し分ないのです。明朝は早く出発します。どうかよろしくお願いします」
 三人揃って頭を下げた。

 納屋の二階はまさに天国であった。ムシロも藁もふんだんにある。シュラフを使う必要もないくらいだ。さっそくウイスキーで乾杯し、自動シャッターで記念撮影をして就寝。 たちまちミチさんが高いびきである。この男は横になったら五分以内に眠れるという特技の持ち主だ。一方私は、眠れないままに今日一日を振り返った。
 朝方の絶好の天気に恵まれての快ペース。午後からは厭な雨と、私の足の故障というアクシデントもあって泣きたくなるような悪戦苦闘。そして最後に巡り会った願ってもない宿泊地。これは神の思し召しとしか思わずにはいられない。

 
 

                             次へ


目次へ