エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(18)

 


 
 箱崎というところで、疲れは頂点に達したので中休止とあいなった。ちょうど良い具合に公会堂がある。その軒下のコンクリートに、折良く見つけた乾いた段ボールを集めて敷き詰める。素足で座り込むと気持ちが良い。
 ここで中休止する切っ掛けとなったのは一枚の看板だった。
「あわてるな、昔はみんな歩いてた!」
 猛スピードで飛ばすドライバーへの警告であることは間違いがないが、我々に対する警告でもあった。そうである。焦って先を急ぐ必要得なんぞは全然ないのだ。猛反省する。しかし、これも休むための言い訳であることは三人とも承知していたに違いない。今夜もうろうろと夜中まで歩く予感はしていた。程よい時刻に適当な寝場所を確保すれば、翌日は朝早くから歩き始められ、距離を稼げるのは分かっているのだが、どうしてもそうはならない。
 そろそろ夕方になる。とにかく公会堂の中休止地点を後に歩き出した。相変わらず降ったり止んだりのハッキリしない空模様である。原、五町田、奥田と道は依然として登りの連続になる。おそらく山越えをして中之条へ下ることになるのだろう。

 左側は急な崖がそびえ、右側は谷。その向こうは幾重にも重なる山なみ。わずかな平野部を流れているのは利根川の上流であろう。川に沿った鉄道は国鉄(現在のJR)吾妻線に違いない。SLでも走らせれば、これほどピッタリする風景もあるまいと思えるが、当然、SLは走らず、ディーゼル車輌が走っている。
 世の中が進歩して便利になる過程では、惜しまれながらも姿を消していかねばならないものがある。SLはその代表的なものの一つであろう。こうして山の上から眼下に箱庭のような風景を見ていると、今にもポーッ!という、あの哀調を帯びた汽笛の音が聞こえてくるようだ……。
 とまあ、ここまでは良くありがちな感傷である。
 
 ところがどっこい、私は日常生活の交通機関としてSLを利用していた。実に蒸気機関車というやつは怨嗟の的であった。とにかくあの煤煙という奴がたまらない。白いシャツは黒ずんでくる、顔の皮膚がざらざらする。夏など暑くて窓を開けると(冷房車などという結構なものはない)飛び込んできた煤煙が眼に入る。涙を拭くハンカチもすぐに黒くなる。そして、あの匂い…。鉄道線路沿線に住む人々は外に洗濯物も干せなかった。
「もうすぐ、トンネルになります。車輌の窓をお閉め下さい」
 夏になると、必ず車輌内へ流されていたアナウンスである。客はあわてて窓を閉める。開けたままトンネルにはいるとどんな悲劇が起こるか分かっているのだ。
 現在の、網の目のように張り巡らされた都市部の路線すべてに、SLを走らせたら日本国中、公害なんて生易しいものではなく、地獄になってしまうであろう。地下鉄なんて拷問機械だ。

 高台から見下ろす盆地。里山と田園の風景が絵に描いたように飛び込んでくる。みどり豊かな風景は、人の心を和ませる。農村生まれではない私だが、故郷を感じてしまう。日本人共通の桃源郷という観念かも知れない。ベドゥイン族にとって、砂漠と太陽が故郷のように。
 盆地への坂道を下っていく、水田が間近になる。緑の稲穂がますます目に染みる。 
 ところが、フッと視点を変えてみるととんでもないことになる。水田はキチンと区切られ、水が流れないように精巧に築かれた土手に囲まれている。稲穂の高さは均一で、等間隔に植え付けられている。これって食料生産の工場ではないか! 
 おそらく縄文人がみたら、自然破壊そのものだ! と悲鳴を挙げて、山の神々に許しを請うであろう。 


 与太話はともかく、三人はどこまでも続く坂道を登っていく。峠とおぼしきところに一軒の茶屋があった。茶屋に客の姿はなく、肥満体の女主人がダンゴを焼いている。疲れ切った三人は、店先の床几に腰を降ろした。
 人里離れた山の中にポツンとある一軒の茶屋。そこに、濃い化粧をした女がひとりいるのも異なものである。もしかしたら、この女は狸かもしれない? そうするとこの焼きダンゴなる代物も安心してい食べていいのだろうか?
「ダンゴの原料はなんですか?」
 ミチさんが探りを入れる
「米の粉ですよ」
 との返事に一安心。
「それではタレは?」
 ミチさんは、彼女が焼き上がったダンゴにぬりたくっているドロドロした液体を指さす。「醤油と砂糖とミリン、このタレが秘伝なんですよ。とにかく食べてごらんなさい。見かけの割にはおいしいですよ」
 と、出来たての串ダンゴを皿にのせて床几の側のテーブルに置く。
 鉛筆ほどもある太い竹の串にダンゴが四つづつ突き刺してある。三人はそれを珍妙な顔で口へ運ぶ。旨くもなければ不味くもない。強いて感想を述べろと言われれば、フワフワして歯応えがないということになろうか。とにかく、別段怪しいものではないようだ。

「原町方面へ行くにはこの道を真っ直ぐにいくしか方法はないのでしょうか? かなり大回りしているようですが、近道はありませんかね?」
 ミチさんが道を尋ねた。
「五百メートルくらい先の左側にガソリンスタンドがあります。そのすぐ手前に左に入る下り坂の道がありますから、それをどんどん下って行けば、かなり近道になるはずです」 と、教えてくれた。
 これはありがたい。しかし、過去の失敗もある。マサさんが、すぐに五万分の一の地図を広げた。
「ない!」
 マサさんが小さな声でささやいた。そればかりか、マサさんが指さす地図を見てみれば、現在地点から続く道の左側はどこまで行っても山ばかりの筈である。うっかり迷い込んでしまったら遭難しかねない。三人はお互いの顔を見回した。
その目は、“女に道を聞くな!”
という、この旅で身にしみた格言を物語っていた。

「地図にそれらしい道は見あたりませんが、左折にまちがいありませんかね?」
 と、念を押すミチさんの問いに
「古くからある道ですから間違いありませんよ」
 女主人は自信たっぷりである。
 過去の経験から、五万分の一の地図も百パーセント信用できないことも確かだった。当然出ていなければならない道が欠けていることもあったし、現実にはない道が記されていたりもした。むろん、新しい町や道がどんどん建設されているから、改訂が間に合わないことも確かだろう。
「ちょっと、見せて」
 女主人が、マサさんの広げた地図をのぞき込んだ。不思議そうな顔をしているので、マサさんが説明を始めた。
「…ここが、あの後ろの山で…この峠はここです…見てごらんなさい、この先に左に折れる道はないでしょう」
「うーん…だめだめ、この地図は大間違い!」
 女主人は、国土地理院発行の地図をでたらめだと言い放ったのである。

 とにかく礼を述べて茶店を出る。茶店のあたりが峠のてっぺんであった。道はすぐに下り坂となった。ともかく近道を探そうという結論になって、左側に注意を払いながら歩く。
ところが行けども行けども左に折れる道はおろか、ガソリンスタンドすら存在しない。これはおかしいぞと思う。しかし、距離感覚は人によって差がある。実際はもっと先なのだろうと思いながら更に注意深く歩いたがついにそれらしい道も、ガソリンスタンドすら発見することが出来なかった。
 こんなことがあるのだろうか? 背筋をスーと冷や汗がつたった。三人の結論は、あの厚化粧の女主人は狸だったのだ! まかり間違えれば、山の中をあてもなくさまよう羽目に陥ったかも知れない。それにしても大の男三人をまとめて騙そうとするなんて、よほどの古狸に違いあるまい。
 昭和二十年代までは、山里には狸や狐が跋扈し、人間を騙して喜んでいた。騙されたという話しは珍しくもなく彼方此方で聞かされた。ところが昭和三十年代になると、狸や狐は人を騙さなくなってしまった。なぜなんだろう? さらに、どういう訳か騙されるのは男が多かった。
 おそらく、この山奥の古狸は、時代錯誤の大年増であったに違いない。

 時刻はすでに七時近い。どうやら今夜はこのあたりで野営するほかなさそうだが、雨は降ったり止んだりである。したがって、野営場所は洞穴でもよいから雨をしのげるところでなくてはならない。なぜなら、今回は背負う重量を軽くするために、テントを持ってきていなかったからだ。
 雨露をしのげる場所は容易に見つからない。すでに薄暗くなってきたので尚更発見しにくい。
やがて峠を完全に下って御園という村落に出た。もはやこの村に寝場所をもとめるほかにない。商店の軒先の明かりをたよりに、五万分の一の地図を広げてみるが、野営地らしいものは発見できない。
 私の右足は限界に達していた。無駄には一歩たりとも歩きたくはないのだが、とにかく歩かねば寝場所が見つかるはずがない。そのうちに道に迷ってしまった。先ほど通った道にまた出てしまう。事態は最悪であった。

 
 
                               次へ



目次へ