エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(23)

 


 
 うとうとするばかりで、よく眠れないうちに朝が来た。寒くて堪らぬのでシュラフから出て身体を動かす。小刻みにそこらあたりを駆ける。吐く息が白い。時間は四時だった。
 しだいに夜が明けてくる。谷を挟んだ対岸は土が削れて緑の中をそこだけが白い地肌を見せている。昨夜の崖崩れの跡だ。谷底に流れている川は白砂川という。
 湯を沸かしコーヒーを飲む。身体の細胞が生き返るようだ。地図を広げて現在位置を確認する。この道を少し下ったところに脇道がある。その道を進めば、駒沢川にぶつかる。駒沢川沿いの道を進めば暮坂峠を越えて沢渡りへ至ることになる。
 我々は、暮坂峠への道を行く誘惑にかられたが、あまりに寄り道になるので断念した。

 大正十一年に若山牧水が上州路を旅したときの作品に「枯野の旅」と題する詩編がある。

 …… …… ……
…… …… ……
長かりしけふの山路
楽しかりしけふの山路
残りたる紅葉は照りて
餌に餓うる鷹もぞ啼きし

 上野の草津の湯より
沢渡の湯に越ゆる路
名も寂し暮坂峠

 季節こそ異なるが、そのとき牧水は草鞋がけでこの道を歩いたに違いない。当時に比べればたしょう道は良くなったであろうが、周囲の自然環境はそれほど変わっていないのではないかと思う。
 尚、吾妻郡暮坂峠には、台上に牧水の旅姿の像を据え、この詩を刻んだ詩碑がある。


 しばらく歩くと身体が温まってくる。寒さで眠れなかった大気を、ひんやりとして心地よく感ずる。白砂川の渓谷沿いをどのくらい歩いただろうか、谷底に近いところに露天風呂と宿の屋根が望まれた。昨夜はこの道を一人で歩いたのだが、当然気づかなかった。
「湯の平温泉」といって、地図にはちゃんと載っているが、宿は一軒しかない。うっそうと茂る木々の間から、湯けむりが立ちのぼっているの図はなかなか乙なものである。ちなみにここの温泉には芸能人がよくお忍びで訪れると、麓で聞いた。三人とも機会があったら是非お忍びで来たいものだと語り合う。さて誰と来るかが問題だ。ぜひとも“温泉水滑らかにして凝脂を洗う”と、いきたいものである。
 湯の平温泉の少し北にはもう一カ所、温泉の印があるが、そこには宿屋すらない。宿がなければ、しとねでしっとり、というわけにはいかない。シュラフなんてまっぴらである。
  
道はますます険しくなっていく、思えば今回の日本列島横断にあたりどうしても避けては通れぬ山場にさしかかった訳である。この先には、こんな生易しいものではなく、さらに険しい山を登る場面もあるはずだ。
 やがて遙か前方に雪を抱いた山々が姿を現した。それは突然出現したのだった。口々に「おお!」と感嘆の声を上げた。「美しい」とか「すばらしい」という月並みな言葉で表現できるものではない絶景だった。しばらくは神々しい光景に見とれて虚脱する有様であった。
 この時は、まさかその雪山で遭難しかかって、九死に一生を得る羽目になるとは想像だにしなかった。

 野営地を出発しておおよそ三時間半、草津に到着したのは八時半頃だった。まず、市営駐車場に行き、水筒、地図、カメラなど必要最小限のものだけを残し、大部分の装備を車に積め込んだ。山道に備えて肉体的な負担を少しでも軽くするためである。
 ところで今日はいったいどこまで歩けるのだろうか。渋峠までは少なくとも行きたい。無理をすれば湯田中あたりまで行けそうな気がするが、車を置いている関係上、必ずここまで戻って来なければならない。あまり無理は出来ないだろう。

 とりあえず朝飯でも食べながら作戦を練ることにした。夜の湯の町というのなら聞いただけでも情緒があるが、朝の湯の町はまったくいただけない。強者どもが夢の跡とでも言おうか、町全体に虚脱感がただよって、何だか気が抜けた感じだ。店を開いているのは土産物屋か、地元の人が利用する雑貨屋くらいで、食べ物屋はまず営業していない。しかたがないから朝飯は温泉饅頭で代用し、昼食用に食糧を仕入れていくことにした。

“元祖、温泉饅頭”という看板の店が眼に入った。中からおばさんが、
「お茶が入っていますよ。どうぞ、どうぞ」
 と笑顔で勧誘する。
 感じの良いおばさんで、どうせ食べるならば“元祖”がよかろうと店に入った。奥の方で白衣を着た親父が饅頭をふかしている最中である。
「できたてのを下さい」と言うと、
「それでは、できるまで少し待っていて下さいね」
 と言って、おばさんが、お茶と一緒に味見用の饅頭を盆にのせて運んできた。
 昔は饅頭を並べたセイロを釜の上に何段も重ね、感でもって下から順番に取り出したものだそうだが、今ではすべてがオートメ化され、温度も適度に調節されて饅頭が出来上がったらブザーが鳴る仕組みになっていると、おばさんは打ち明け話をする。作り方を聞いていると大して熟練はいらないような気がしてきた。

 やがておばさんが湯気の立つ、それこそ出来たてホヤホヤの饅頭を皿に盛って運んできた。別の皿には白菜の漬け物が山のように盛られている。饅頭もさることながら、漬け物の味が抜群だ。これが無料サービスというのだから気前のいい話しである。おかげで腹一杯になった。朝食としては十分過ぎるくらいである。
「いくらですか?」と聞くと、
「ええと、饅頭が十五個ですから、三百四十円です」
 ずいぶん安いなと思う。それもその筈、サンプルから始まってお茶は飲み放題。白菜の漬け物は食べ放題、しかもそれらはすべてサービスなのである。なんだか悪いような気がするが言われた通りに支払いを済ませて店を出た。

 店を出てすぐだった。斜め向かい側の看板が眼にとまった。
“本家、温泉饅頭”となっている。元祖と本家の違いを考えながら歩いていたとき目に飛び込んできたのは、“総本家、温泉饅頭”という看板であった。
 こうなると私の悪い頭はますます混乱してくる。総本家の店頭で、穏やかそうなおばさんと目があった。
「あのー……」
 私の口から声が出た。
「なんでしょう?」
 おばさんが微笑む。その笑顔に誘われるように、失礼なことを私は口走ってしまった。「元祖があって、本家があって、こちらは総本家……と言うことはこちらが老舗なんですか?」
「ええ、まあ、そうかも知れませんね?」
 と、おばさんは否定も肯定もしない。
「こんなに近くで店を構え、張り合っているんじゃ大変へんですね」
 おばさんは、ニッコリ笑って、
「私は雇われ人ですが、ここらの饅頭屋さんは、皆さんとても仲がいいんですよ。ご主人様だけでなく、奥様どうしも……」
 私は思った。どうやら、草津の温泉饅頭を食べ続ければ人間が練れてくるらしい。
 
ここで脇道にそれる。
 武道の世界でも、元祖、本家、総本家がある。呼び名は違うが、宗家、師範家、免許、皆伝と大騒動である。あっちは偽物こっちが本物と誹謗中傷が渦巻いているのが現実でもある。
 武道家の皆さん、お願いですから草津の饅頭屋さんを見習って下さい。

 ふと気づくと、ミチさんが道端に屈んで、手に持った木ぎれで地面に何かを書いている。近づいてみると数字が並んでいた。
「おい、どうした?」
 マサさんが声を掛ける。
「いや、どうしても納得できないんだ」
 よく見ると、掛け算や割り算をしているのだった。
「饅頭十五個で、どうして三百四十円になるのだ? 分からない!」
 と、ぶつくさ言っている。私とマサさんも饅頭の不思議解明に加わった。
「白菜の漬け物はただだったよな」
「そう聞いた。お茶も、試食用の饅頭も…」
「席料があるんじゃないか?」
「まさか、クラブじゃあるまいし」
「早朝割引…モーニングサービスというのはどうだ」
 結局、疑問は解決できなかった。かといって聞きに帰るのも変だ。さらに「間違えました六百円です」なんて言われたひには悲劇である。

 
 
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