第一章 朱色の獅子 <6>
「オーッ! パルコス。やっと来てくれたか。待ちかねたぞ」
キュアクサレス王は、笑みを満面に浮かべ、パルコスを迎えた。ここは、アナトリア(現代の小アジア)のリディア王国の首都サルデスであった。
「あの戦いが終わってからのお前は、エクバタナの屋敷に、引きこもったままではないか! お前の力を借りたいことは、幾らでもある。今回、来てもらったのは、はぜひお前に、会ってもらいたい者がいるからだ」
「陛下、わしは、自分の役目は終わったと、そう思っておりまする」
「お前が、自ら行うことはない。お前に期待するのは、後継者の育成にかんしてだ。我が国は新しく、まだ不安定である。今こそ、確固とした礎を築かねばならぬ」
キュアクサレスは、新たな国家建設に燃えている。アッシリアの属国という、くびきを解き放たれたのである。いまや遮るものは無い。自分の思うまま国家を建設出来るのだ。
外交、内政、軍事、財政・・・・・矢継ぎ早に人材を集め、まさに建設の途上にあった。
軍事に関しては、パルコスの推挙もあり、クレオンが将軍として、すべてを掌握する地位に着いていた。
「陛下、どうも自分は燃え尽きたようです。人にはそれぞれ役割と器が、決められているかと考えます。ときどき、頭の芯から言葉が伝わって来るように感じるのです」
キュアクサレスは、話しを聞くのに熱中したときの癖である、顎髭を掻いている。
「ホー、頭の芯から、言葉か・・・・・?」
「左様。『ご苦労だった。お前の役目は終わったぞ! 後は葡萄酒でも呑んで一生を終わっていいぞ!』という言葉なのですわ、フハハハ・・・・・」
そういうと、パルコスは、大げさに顎髭を掻きだした。
一瞬、間が空いたが、つぎの瞬間二人は大声で笑い出した。
長年、頭脳を酷使した後遺症とでもいうのか、あるいは困難な仕事を終えた後の、虚脱感からか、パルコスは気持ちの緊張がゆるみ、思考を集中ことが、出来なくなったのを感じていた。
再三にわたっての、王の招聘を断りきれず、サルデスまでやって来たのだが、どうも、気分がすぐれない。
宮殿の迎賓の間で、パルコスを迎えたのは、キュアクサレスだけではない。
リディア国王ダイダロス他、数人の側近が彼を迎えたのである。
建築途上の宮殿の中で、迎賓の間はすでに完成されていた。高い天井に贅をこらした床と壁面。室内は多くの燭台で驚くばかりに明るい。
ダイダロス王は、驚喜しパルコスに駆け寄ると、並べられた、豪華な椅子の一つに彼を 導いた。パルコスは、リディアでも英雄であった。なにしろ、あの強大なアッシリア帝国を滅ぼした『朱の獅子』である。
リディア王国は属国として、アッシリア帝国に、長年に渡って搾取され続け、存亡をかけた戦いを挑み、そして敗北した。
その直後に、『朱の獅子』ことパルコスが、憎むべき相手を粉砕してくれたのである。
パルコスは、駆け寄よって彼の手を握り、今にも抱きつかんばかりの、ダイオロス王に、嫌悪を感じた。ブヨブヨと脂肪におおわれた手。短躯に狡そうな眼は、尊大さを秘めているようにおもえた。
『少なくとも、武人ではない』
ダイダロス王はパルコスの手を取り、大げさに歓待の意をあらわすのだった。
「いやー見事でした。川の対岸に布陣し、決して攻め込むことなく、攻めて来た敵を撃退する。そして、新バビロニア軍が、背後を突いたと見ると、一気に攻め込み、別働隊をニネベの城門へ向け、入場をこばむなど、並の作戦ではない」
そう言うと、ダイダロス王は、同席している側近を見回し、眼であいづちを求めているような素振りをみせた。
「陛下の申される通りであります。パルコス将軍の作戦は、長く用兵の手本となることでしょう」
陪臣の言葉は、ダイダロスの意に添うものであったらしく、彼は言葉を引き継ぐように続けた。
「戦場を離脱し、逃亡したアッシュル・ウバルト二世は、エジプトを取り込み、再起を図ろうとしたが、我らが主力となって倒した。そして、アッシリア帝国は滅んだ・・・・・・・・・・・・・・・」
ダイダロスの長々とした、演説もどきの言葉は終わらない。
『アッシリア帝国を滅ぼしたのは、ダイダロス王、貴方の手柄で結構です』
パルコスはまったく興味を失い、ボーと燭台の光を眺めていた。
隣の、キュアクサレス王は、相づちを打ちながら聞いている。
『これが、外交的儀礼というものか? 少なくとも、俺のいる場所ではないな・・・・・』
演説はさらに続いている。
『腹がへった! 葡萄酒は出ないのか?』
『護衛兵の中では、あの男が強そうだな・・・・・クレオンと戦わせてみたらどうだろう・・・・・素手、剣、槍・・・・・どれがいいだろうか?』
あらぬ事を考えながら、パルコスは時間を潰している。こういう潰しかたも決して悪くないと思いながら。
「ところで、ダイダロス国王陛下、この地の葡萄酒は、旨いものであると伺っておりますが?」
話しの腰を折るようなかたちで、パルコスは突然、発言をした。
腰を折られた、ダイダロスは、一瞬その顔に不快感を浮かべたが、すぐに歪んだ笑顔に戻った。
「いやー、これは失礼を申し上げた」
と言い、手を叩き近侍を呼びつけると、小声で何ごとか指示を与えた。
「気が付きませんで、イオニア産の旨い葡萄酒があります。どうぞこちらへ」
ダイダロスは、胸を張り尊大な素振りで二人の賓客を案内するのだった。
「おーい、親爺! 葡萄酒、この店にある一番旨いやつを持ってこい」
店の親爺は、テーブルに座り込んだ、巨漢の外国人に怯えを感じていたのか、何となくそわそわしていたが、その男の発した大声は、場の空気を包み込むような包容力に溢れており、安堵に胸をなで下ろしたらしく見えた。
親爺だけでは無い、緊張していた酒場の雰囲気も和らいでいった。
「はーい、少しお待ちを」
大男はパルコスであった。
飲み屋は、大衆的ではあったが、それほどの場末とはいえなく、適当に清潔だった。
場所はサルデスの繁華街、夜でも、燭台の明かりが消えることのない一画である。
パルコスは、宮殿の寝室を抜けだし、昼間見当を付けていた、この界隈を明かりを頼りに探し出したのだ。
夜の繁華街は光と人にあふれていた。着飾った女性も通りを行き交う。優雅に音曲の響きが、通りまで漏れている。
リディア王国の首都サルデス。この町は、オリエント世界屈指の都会であった。ヒッタイト王国の遺産を引き継いで、既に貨幣経済の中にあった。
最初の貨幣は古代バビロニアで使用されていたが、金属片を用いたものであり、鋳造貨幣の最初は、この当時から遡ること百年前、リディアのギュゲス王が造ったとされている。
今のパルコスは、音曲と美女に気を引かれることは無かった。宮殿の宴席にいささか食傷ぎみだった。
「お待たせしました! これが最高です」
親爺はこういうと、陶器製の壺とコップを、パルコスのテーブルの上に置いた。
パルコスの座ったテーブルは決して小さなものではなく、椅子も四脚付いたいたが、彼が座っていると、まるで一人用に見えた。
パルコスはゆっくりと壺から、コップに葡萄酒を注ぐと、口に含んだ。
「旨い・・・・・!」
親爺の顔が、一瞬にゆるんで笑顔がこぼれた。
「そうでしょう! これは、最高ですよ」
多少、カタコトではあるが言葉は通ずる。
「親爺、お前も呑むか?」
店の親爺だけではない、店中の客がパルコスに強い興味を覚えたいた。店内は広く二十人以上の客がいた。
「いただきます・・・・・」
親爺は、駆け戻ってコップを持ち出すと、パルコスの前に腰を降ろした。パルコスはニッコリ笑いながら、葡萄酒を注いだ。
「親爺、この葡萄酒、イオニア産か?」
パルコスの質問が、店内を笑いに包んだ。親爺は笑いながら答えた。
「お客さん、この近くのブドウ園で、造られたものですよ」
客の一人が話しに加わった。
「外人さん、イオニア産の葡萄酒は、こんな店に在るものですか! 在るとしたら、王宮の酒蔵ぐらいなもんですよ」
「おい、こんな店で悪かったな! しかし、死ぬ前に一度ぐらい呑んでみたいもんだな」
パルコスは、今、呑んでいる葡萄酒はじつに旨いと思っていた。宮殿で呑んだイオニア産よりもはるかに。
「イオニア産が旨いとは、必ずしも言えるものではない」
店の隅から、落ち着いた声が、全員の耳に入った。大きな声ではなかったが、一瞬の間隙を突いた声は、澄みきり凛乎とした響きを持っていた。
パルコスも含め、全員の視線が声の方をむいた。視線の先には一人の男が座っていた。ゆったりとした、純白のドレーパリーに身を包んで背筋を延ばし、顔を隠すように白いフードを目深に被り、葡萄酒を呑んでいる。
みんなは、あとに続く言葉を待ったが、その男は黙り込んだままである。どうも、仲間に入る気は無いらしい。
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