第一章 朱色の獅子 <9>
「パルコス閣下にお尋ねします。アッシリア戦における勝因は、何辺に存在するとお考えでしょうか?」
アリウスの薄水色の双眸が、探るような煌めきを放ち、パルコスに問いかけた。
『こやつ、値踏みをしてきたな』
パルコスは心の内でニンマリしながらも、表面にはおくびにも出すことはない。気負うこともなく、自然に言葉が漏れるかのごとく答えた。
「うーん、相手が滅びるべくして、滅んだ・・・・・そんなところか・・・・・」
「・・・・・!」
予期せぬ答えに、アリウスは一瞬だったが、動揺したらしい。それは、彼が初めて見せた戸惑いの色であった。
キュアクサレスの驚きは、さらに大きいものがあった。
「パルコス、それはどういう意味だ!」
パルコスが、対アッシリア戦に命を削り、心血を注いだことを誰よりも知っているのは、彼だった。戦略を一人で孤独のうちに練り上げ、一切の指揮を執った。
賞賛の誉れは、彼一人に帰すといっても、過言とはいえないとすら思っている、キュアクサレスであったのだ。
パルコスは、注視するキュアクサレスの視線を、柔らかく受けとめながら、
「陛下、自分は軍人であり、戦略、戦術には、多少なりとも誇るところはあり申す。しかし、思考を言葉にして説明するのは不得手であります。できうれば、アリウス殿、貴殿の考えを承りたい」
そういうと、パルコスはアリウスに視線をうつした。
こんどは、パルコスが値踏みを始める。
アリウスは、細い指で、白金の髪を掻き上げると、おごそかに口を開いた。
「あらゆる国、すべての組織が崩壊するのは、常に内部にその原因がある。アッシリア帝国もその例外ではない。原因は数多く考えられるが、中でも一番の要因は、領土の広大さにある。建国当時の軍隊は、連帯感を持った、練度の高い自作農を以て構成されていた。しかるに度重なる戦いに、勝利することにより、版図を維持する兵員の不足をきたした。では、兵員の補充はいかになされたか? 将軍、貴方のお考えは・・・・・」
アリウスは、言葉を矢にして、パルコスに放った。
「捕虜と傭兵に頼った」
パルコスは端的に結論のみを言った。
テーブルを白く細い指がリズムを伴って打突する。
アリウスが僅かに含み笑いをしたのを、パルコスは見逃さなかった。
『この男は、何だ? 仕官を望む者には、数多く対面した。自らの知識を、そして、能力を売り込む者は、あまた見てきた。しかし、この男は、わしに挑んでいるようにみえる。陛下のことは、数度の会談を重ね見切ったとでも言うのか・・・・・? わしの、器量をはかろうとするが如く思える』
あたかも、パルコスの言葉を引き繋いだごとく、アリウスは論を進めた。
「将軍は『捕虜と傭兵に頼った』と言われた。私もそう思う。他に選択肢はなかった。しかし、傭兵と捕虜ではいかに訓練し洗脳しようとも、連帯感を維持することは出来ない。さらに拡大する領土を支配するため、官僚制度を強化し、強権をもって部族、民族単位の強制移住も行った。それは、昔より連綿と受け継がれた慣習に反するものであった。即ち属州、版図に加えても、民族の自治までも奪うことのは無い不文律に反したのだった。苛政に対する怨嗟の声は帝国内に満ちあふれた。その失政の著しかったのが、エジプト、バビロニア・・・・・」 ここまで話すと、アリウスは無言でパルコスを見つめた。
パルコスの心の動きを探る、アリウスの朱い唇は、先ほどよりその色を濃くし、薄水色の双眸は輝きを増している。
パルコスは泰然としている。決して、心の動きを悟られことを警戒するのでも、体面を繕うために無理にそうしているわけでもない。
アリウスの才走った論の展開は、小気味良いものに感じている。しかし、気になるのは、彼が纏う雰囲気である。
微風がアリウスの白金の髪を撫でた。鬢の毛がハラリと蒼白い頬にかかった。
「感服いたした。素晴らしい分析といえる。貴殿は学芸のみならず、経略、戦略の才、これまた見上げたものである」
パルコスの発言に、アリウスは皮肉っぽく微笑んだ。
「将軍、お戯れを。伝説の『朱の獅子の爆走』、そのものが、今、私が発言をした内容を、当然の基礎として成り立っていたのでは・・・・・?」
「それは買い被りというもの。わしは一介の武人に過ぎぬ、論は、文人に属するものであろう」
「最高の武人は、精密な頭脳を持たねばならない。これは当然のことと考える。一切の妥協を許さず、緻密に組み立てられた論理。あたかも、それは塔を建造する建築家のごとき厳密さを要求されるだろう。人間の命、民族の命が論理にかかわってくるであるから。『朱の獅子の爆走』世人は、武勇に驚嘆し崇める。しかし、実にそれは、厳密さと冷徹によって、組み立てられた完璧な論理であった。偉大なり! パルコス将軍!」
アリウスは、初めてパルコスに敬意を表した。
今まで聞くばかりであった、キュアサクレスが、おもむろに会話に割って入った。
「アリウス、我がメディア王国は、富みに於いてはアッシリア帝国に及ばないが、版図においては、それを凌いでおる。国家統冶の方策の要点はいかに?」
王の質問は、当初のアリウス招聘の目的から、ずれてきている。
「二点ございます、まず第一に通信手段の確立です。王の命令が速やかに広大なる国土隅々に迄、行き渡ること、逆に各地の消息が迅速に王の手元に届くこと、これなくして、統冶は不可能でありまする」
「うーん、首肯できるぞ! して、もう一点とは?」
キュアクサレスは身を乗り出してきた。
「連帯感の確立です。メディア国全体の求心力がひつようです、アッシリア帝国は、これに失敗しました。・ギリシャのポリスに於いては、神殿がその役目を果たしております。ミレトスにおきましては、アフロデッテの神殿です。小さなポリスでは可能ですが、メディアに於いては、広大な国土、多数の人口、そして、多くの民族・・・・・今の段階で、確信をもって述べることは、かないません」
パルコスの脳裏に疑問の影がさしてきた。
『この男は行政官であるか、それも、極めて優秀な? この男の知識は半端なものではない。政治に強い意欲と野望があるとみた・・・・・違う、違うぞ! この男の本性は別だ! 隠すな、わしの前に拡げて見せろ!』
唐突にパルコスは、刃を突きつたかのごとく、アリウスの胸を指さした。
「貴殿のそれは何だ、あまり眼にすることもないが?」
アリウスは一瞬身を引き、うろたえるように、白い指で、それを握りしめた。
それは、丁度手のひらに収まる大きさの、琥珀であった。
黄金の鎖に繋がれ、金色に縁取りをされた琥珀。首からぶら下がり、白いドレーパリーと絶妙なコントラストをなしている。
アリウスは心の動揺から立ち直るのに、しばし時間を必要としたようである。
佇まいを直すと、薄水色の双眸で遠くを見つめ、言葉をもらした。
「琥珀と申します。遙か北の果て、氷と夜の闇に、一年の大半を閉ざされる世界がございます。その地中に、気の遠くなる年月、閉じこめられた樹脂の骸です」
キュアクサレスにとって、聞いたこともない世界である。
『一年の大半を、氷と夜の闇に閉ざされる世界だと! はたして人が住めるのであろうか? 氷は解る。半年以上、陽が昇ることがないだと・・・・・そのような地があるのか?』
氷雪に覆われた、荒涼とした原野がキュアクサレスの脳裏にうかんできた。
「アリウス、その地は、なんと申す!」
「定かではありませぬが、『スカンジナビア』と、聞き及んでおります」
「その琥珀とやらは、いかにして手に入れたものだ・・・・・?」
キュアクサレスには、宝石に対する嗜好があることは間違いない。今も黄金に縁取られた金剛石のブレスレットをしている。
「カルタゴの交易商人より買い入れたものです。彼等の交易ルートは、地中海をいでて、ガリアの北岸に迄及んでいます。そのさらに北方より、金属と琥珀を商う交易商人がおり、彼等が『スカンジナビア』でござります。森の民、水の民とも、呼称されておるようであります」
パルコスは、アリウスの薄水色の瞳を刺すように見つめ言葉を吐いた。
「アリウス、貴殿は『スカンジナビア』であろう?」
「・・・・・・・・・・」
「白金の髪、薄水色の瞳、透ける白い肌、何れも、ギリシャ、イオニア、アナトリアで見かけることは希だ、答えるには及ばぬ、たんなる直感でさしたる意味はない」
「・・・・・・・・・・」
アリウスの眼が大きく見開かれた。明らかに視点が定まっていない。身体が小刻みに震え、ドレーパリーが大きくはだけて、むき出しになっている右肩に手を添えた。
彼は、強いショックを受けたようであった。
それは、パルコスにとっても驚きであった。
『何故、何故それほど、うろたえるのだ・・・・・この感性・・・・・傷つきやすい、脆弱さ!』
アリウスは会見を終え、別邸の門外に控えている馬車までの道を、白いドレーパリーの裾をなびかせ歩いている。
裾からみえ隠れする、編み上げの、革のサンダルは、まるで白く細い足を、縛めているかのようである。
微風がプラチナブロンドの毛髪を揺らめかす。
歩道は湖に沿って造られていた。そこから見える光景は、絶景といえるものであったが、アリウスの網膜には単に写るのみで、脳内に入ることは決してなかっただろう。
そつなく終わりを告げた会見であったが、彼には、後半の議論の記憶も無いだろう。
パルコスの放った『スカンジナビア』という言葉が、彼の魂の深淵を射抜いてしまったのだ。
今日の三人の会見、そして、アリウスの今後の活動は、人類の歴史を揺るがす大事件に発展するとは、この時点、いやその後も、気づく者は誰もいなかった。
広域国家統冶の為の連帯感の確立、それは、地縁、血縁、民族、言語を止揚した観念に成らざるを得ないだろう。
あらゆる人間を包括する連帯感の確立とは、普遍的真実を標榜する観念によらざるを得ない。
絶対的観念(絶対者)は、現実の場で証明出来ない限り、狂信を生む(信ずるしか無いのだから)。
狂信は狂気と隣り合わせであり、狂気は、おぞましい妄想を育て、そして、オカルティズムの温床になる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、イデオロギー、これらは、普遍的真実を標榜する観念ではあるまいか・・・・・・・・・・?
アリウスは、パンドラの箱を開ける運命にある。
遙か、紀元二十一世紀に迄も強い影響及ぼす、人間性の闇を解き放つのだ。
作者はこれを、『アリウスの呪縛』と名付ける。
アリウスは夢遊病者のように、門の外の馬車にたどりついた。
想念の極楽? いや地獄から、現実世界にまだ帰って来ていないようである。
馬車は、アリウスを乗せて何処かへと走り去っていった。
その時、物陰に隠れていた男が姿を顕わし、ニタリと笑った。
男の、右頬には深い傷が刻み込まれていた。
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