第三章 刻まれた記憶<2>
「この店が、いいわ! おじさーん、四人よ・・・・・」
誰にことわるでもなく、ヤクシーは勝手に決めて店内に入っていく、今さら、止めろというわけにもいかない。しかし、あれ程、食べ物に対するこだわりの強い、ヤクシーの嗅覚が選んだ店である、まず間違いは無いはずだ。
「いらっしゃい。・・・・・これはこれは、なんとも美しい方々だ!」
「おじさん、ありがとう。この店の自慢の料理はなに?」
気が乗っているのか、あるいは浮かれていると言えばいいのか、とにかくヤクシーは積極的である。
「ここにあるもの、みんな旨いよ」
店の親父は、おおげさに両手を大きく拡げて云った。
他の客も、二人の掛け合いを楽しそうに眺めている。
ユイマにとって、こんな光景は生まれて初めてのことだろう。
食べ物屋が、軒を連ねるように、立ち並んでいることなど、おそらくステップ平原では想像することさえできないはずだ。
店内には、鶏、ブタ、羊の肉が吊されている。肉の薫製もある。
台の上には所狭しと、野菜、果物、魚の干物まで置いてあった。すべて、注文に応じて、調理することになっている。
「ねえ、なにが食べたい? ねえ、なににする?」
ヤクシーは、店員のように、皆の希望を聞き、注文を取りはじめた。
「ぼく、何でもいいよ」
「男の子は、欲しい物は、ハッキリいうものよ。ねー、サティー!」
「ユイマ君は、びっくりしてるのよ、ヤクシー、あなた選んであげなさい」
「うーん、・・・・・おじさん、串に刺してある、羊肉を四本焼いてね。それから、牛肉の薫製を薄く切ったものを、四人前。野菜は適当に盛り合わせてね。スープは豆を山羊の乳でにこんだもの、それに、酪も一皿・・・・・」
「お嬢さん、凄まじいね。こんなにいっぺんに注文する人も珍しいよ」
店の親父さんは、いくぶん呆気にとられた。
「まだあるのよ、葡萄酒と、パンも下さいな。取りあえずそんなところかな・・・・・」
と、言いながらもヤクシーは、食べ物の山を見回している。
まだ、注文したいらしい。
「あ! その、山桃・・・・・」
アリウスの顔は、だんだんうつむき加減になっていく。白い頬にうっすらと、紅が差した。恥ずかしくてたまらぬらしい。
一方、ユイマの蒼い瞳はキラキラ輝いている。見る物、聞く物が珍しくてたまらないと、言いたげに、あちこちに視線を移す。
「ユイマ君、どう、市場は言ったとおり、怖いことはないでしょう?」
サティーは、ユイマを連れ出すことには、多少の不安があったらしい。
ユイマには、市場という言葉に対する、怯えがまだ残っているのだろうか?
小さなテーブルには、置ききれないぐらいの皿が並んでいる。
ヤクシーの瞳は輝きを増した。
「さあー、食べましょうよ!」
アリウスは、食べたければことわることも無い。とでも言いたげな顔をした。
手を出しかねている、ユイマにサティーは言った。
「ユイマ君、食べなさい。羊肉の串刺し、美味しいわよ」
「ユイマ、串に気をつけろ!」
と、アリウスは言った。
ヤクシーが一番に口をつけた。
「うーん、美味しい・・・・・おじさん、旨いよ!」
「旨いのは当たり前だ。でもそう言ってもらえるのは、ありがたいね」
と、店の親父は嬉しそうに応えた。
「エクバタナの人は、よくこんなものを食べるの? ずいぶん贅沢だね。ぼくは、祭りの時ぐらいしか、こんなに凄いものは食べたことないよ。そういえば、さっきから思ってたんだけど、今日は祭りじゃないんでしょ?」
ユイマは前もって、市場のことを聞いていたからまだ良かった。ステップの少年にとっては、こんなに大勢の群衆を眼にする経験は無かっただろう。
「ユイマ、人が集まる、それだけで凄いことだぞ。人々が求める何かがここにはあるんだ。言い換えよう、何でも有るんだ。だから、人々は欲しい物を求めて、ここにやって来る。一人一人の欲望が社会を動かす原動力になる」
「アリウス様は、この国を良くするために、日々、一所懸命頑張って居られるではありませんか」
ユイマはアリウスが頑張るから、この国が良くなるのだと信じていた。
「私の仕事は、人々が思い切って力を出せるように方向を定め、障害を取り除くことである」
ヤクシーがアリウスを睨んだ。
「講義は、あとあと、今は食べるんだから、ユイマ君早く食べなさいよ」
ヤクシーにとっては、執政官も、ご主人も、あったものではない。とにかく、食べることがすべてに優先するらしい。
談笑しながらの食事は、楽しいものだ。
(なぜ、食べながら話すんだろう? 食べる時は、食べればよかろうに)
アリウスには不思議に思えてならない。決して、行儀が悪いとか、そういう訳ではなくいささか、理解に苦しむようだ。
酪を囓りながら、葡萄酒だけを飲んでいる。
「アリウス様、お肉、召し上がらないのですか? 新鮮な野菜も召し上がらないと身体によくありませんよ・・・・・」
サティーは、ユイマと同じように、アリウスにも細かな気をつかう。
ある意味でいえば、アリウスとユイマは同じレベルにあると、言えなくもない。
結局、アリウスは、酪とパンと葡萄酒、そして、サティーに言われて、少量の生野菜を食べたに過ぎなかった。
しかし、食卓の食べ物は、きれいに無くなっていた。
ヤクシーとユイマが、ほとんど平らげてしまったらしい。
食欲と生命力はどうやら比例するらしく思える。育ち盛りのユイマはともかく、ヤクシーの食欲には驚嘆させられた、アリウスであった。
「あー、美味しかった。どう、ユイマ君?」
と、ヤクシーは言った。
「うん、すごく美味しかった」
ユイマは満足そうな、微笑みをもらした。
「ユイマ、たくさん食べることは良いことだ」
ヤクシーが、またまたアリウスを睨んだ。
あたかも、(貴方が、そんなこと言えたぎり?)とでも言いたげに。
食べることは体力を使う。さすがのヤクシーも少し物静かになった。しばらく、もの憂げな休息の時間が流れた。
「お腹が一杯になったところで、衣服を買いに行きましょうね。ユイマ君はあり合わせの衣を着ているんだから。私が可愛いのを選んであげましょう」
サティーは楽しそうにユイマに言った。
「さー、そうと決まれば、早いほうがいいわ。おじさん、お勘定! 安くしてよね」
「あいよ、元気なおねえさん!」
「元気な?」
一瞬、ヤクシーは、ムッとした顔をした。
「あ! ごめんよ。綺麗なおねえさん」
親父は慌てて言い直した。
「ふん!」
食材売場、花売場、日用品、家具・・・・・それぞれ市場の中では、一画にまとめて配置されている。
衣類を商う店は、市場の中で一塊りになっている。
間口の大きい店はないが、小さな店舗が軒を連ねて並んでおり、ありとあらゆる色彩にあふれていた。
男物、女物から始まって、民族衣装など、色とりどりの衣装が吊され、台の上に山積になっていた。
「ハイ! いらっしゃい」
店員が寸法を計る棒を振り回しながら、客を呼び込む声を掛ける。
「へー、こんなにたくさん着る物があるの? 衣服は、お母さんに造ってもらうものだとばかり思ってた」
ユイマの表情に、翳りが走った。
サティーはユイマの表情の変化を見逃さない。
「ユイマ君、大人になったら、故郷に帰れるんだから。早く立派になろうね」
と、サティーは、励ますように言った。
「ぼくは、故郷には帰らない。みんな死んだ。いや、殺されたんだ・・・・・」
サティーは、瞬間、唖然とした。そして、次第に眼が潤んできた。ユイマを引き寄せると抱き締めた。
「私も・・・・・わたしも、君と同じよ・・・・・」
「え! サティーも?」
「そうよ・・・・・似たもの同志、がんばろうね」
サティーの眼から涙が一筋頬につたわった。
悲しそうな眼を見たユイマは、堪らなくなったように言った。
「うん、ぼくが、サティーをまもる。だから心配しないでね」
「ユイマ君、わたしは?」
「ヤクシーもまもるよ」
「あー、よかった。わたし仲間はずれかとおもっちゃった」
「私は、どうなるのだ?」
と、アリウスは言った。
「自分でまもるの! そして、みんなをまもるの! あたりまえじゃない」
ヤクシーの言葉はその場の空気を一変させた。皆の顔に微笑みが戻ってきた。
「まァ、こんなにたくさん・・・・・ユイマ君に似合う服をさがしましょうよ」
サティーは、とても嬉しそうだ。衣料を商う店が、軒を連ねている。各店頭には色とりどりの衣服が吊され、あるいは台の上の山となって積まれていた。
「いらっしゃい!」
と、彼方此方から声が掛かる。袖を引くものすら居る。
サティーがその中の一軒の前で足を止めた。気に入った物が眼に留まったのかもしれない。
「いらっしゃいませ!」
愛嬌がこぼれんばかりに、多少肥り気味の中年女性が挨拶をして来た。
「実は、この子の衣類を探しにきたんですよ」
と、サティーが言った。
「綺麗な子だね! 名前はなんていうの?」
「ユイマです」
「そう、ユイマ君ね。それにしても、皆さんそいろいも揃って、ほんとうにお綺麗ですわ」
女性は、改めて感心したように一人一人を見つめ直した。そして、アリウスに眼を止め、感心したように言った。
「男の人でも、こんなに綺麗な方がいるんだね! あッ! ごめんなさい、ユイマ君の服だったわね」
「おばさん、ボーとしてないで、商売しなきゃ」
と、ヤクシーが言った。
「おばさん?」
一瞬、女性はムッとしたが、そこは商売人、すぐに満面に笑顔をたくわえた。
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