第三章 刻まれた記憶<4>
「それにしても、アリウスめ!」
宮殿内のオロデスの部屋である。オロデスとフラーテスは、椅子に身を投げ出し、憤懣やるかたないとでも言うように話していた。
「オロデス殿、お怒りはごもっとも、でもご心配はご無用でありましょう。着々と手はうっておりますから」
「それは重々承知しておる。しかし、解ってはおるんだが、実に忌々しいい奴だ。アリウスめ!」
オロデスは黒い顎髭をつかみながら話している。忌々しさと、屈辱に、褐色の眼光は殺気をおびていた。
「アリウス、あの男を含め、今の執政官会議の状況はなんとかせねばなりません。しかし、事を急ぐのだけは拙いです」
フラーテスはオロデスに、おもねるような声で言った。しかし、肉に埋もれた小さな両眼は、何を考えているのかわからない。
肥満した身体を椅子に乗せ、薄くなった頭髪から吹き出た汗をぬぐっている。
先ほど、終了した執政官会議の席上において、意見の対立がおこり、オロデスは論理の矛盾を、アリウスに鋭く追求されたのだった。
ウラノスは今回も出席しなかった。老齢でもあり、具合が悪いらしい。
「オロデス殿、来年にはアステュアゲス王子も二十歳におなりでしょう。執政官会議に臨むにあたっては、軍の全面的支持が欲しいものです」 「その件に関しての、準備はぬかりない。なんと云っても、いま軍は、パルコスの子飼に牛耳られておる。クレオン、ネストルがその中心だ・・・・・アケメネス家のほうは上手くいっておるのか?」
「ぬかりござらぬ。我らの仕業と解らぬよう、ネストルをパルサの地に追いやってみせましょうぞ、ホッホッホホ」
自身たっぷりに、フラーテスは、たるんだ頬の肉を揺らし、不気味に笑った。
「ネストルか? 奴は一見、扱い易そうに見えるが、なかなか一筋縄ではいかぬ」
オロデスもかなり落ち着いてきた。
「仰せの通りです」
とフラーテスは相づちを打った。
「クレオン、あの男は根っからの軍人だ、政治よりも戦闘にこだわる癖がある。今、第一軍管区の司令官として、リディア国境に駐屯している。あの男はある意味で使いやすくもある。しかし、奴はパルコス一辺倒なところが、どうにもならぬ」
オロデスの機嫌も幾分なおってきた。
「いずれにせよ、次期国王であらせられる、アステュアゲス王子の叔父である貴殿に天下の形勢が傾くのは、間違いないではありませぬか」
「そのときは、我らの天下だのう。フラーテス殿」
「いやいや、オロデス殿の天下です。私にはその野望はありませぬ」
「なぜだ! 言われるとおり、貴殿には、今以上の野望はないかに見える。以前から、聞いてみたいと思っていたのだが、執政官の地位を保つだけが望みといわれるのか?」
オロデスにも今ひとつフラーデスが解らない。自分に逆らうようなことは一切ないのだが、ある一定の距離を、自分とのあいだにおいている。
「今のままが一番良い。これ以上、何も求めるものはありませぬ。ただ、今の地位だけは絶対に、失いたくありません。それは、良いとしてアッシリアの残党の件。これだけは十分にご注意あれ。まかり間違えれば、我らの命取りになるやもしれませぬ」
小さな眼が異様な光をおび始めた。
「あいわかっておる。利用出来るだけ、利用してやろう。しかし、どうも気になることがある」
「と、言いますと」
「彼らは、何かを隠している。間違いなくなにかを・・・・・あるいは、絶えてしまったと云われている、アッシリア皇帝の血族がどこかに潜んでいるやもしれぬ」
「なんと、それは只ならぬことですぞ!」
フラーテスは身体を乗り出した。小さな眼が強く光った。
「いや、そうだと言うわけではないが、なぜかそのような気がする。彼らがあそこまで命懸けになるのは、とても個人的な欲得だけとも思えぬ。もしや、アッシリア帝国の再興を夢見ている・・・・・そんな馬鹿なこともあるまいが・・・・・」
「まさか、もしそう考えるなら、まさに夢です」
二人は同時に失笑をもらした。
「それはそうと、フラーテス殿、リディア王国の対策はうまくいっているのかな?」
「おまかせあれ。ダイダロス国王、一筋縄では行かぬ輩だが、騙されるフラーテスではありませぬ。クレオンの牽制には、絶対に欠くことの出来ぬ、必要な要因ですから」
二人の密談は、なおも続いていく。
ドアをノックする音が聞こえた。
オロデスはドアに向かって言った。
「何用だ!」
ドアの外から、返事が返ってきた。
「ご指示により、ただいま参上いたしました」
「おお! そうであった。入って参れ」
オロデスの言葉に、二人の男が部屋に入ってきた。
最敬礼を行うと、その内の一人が、口上を述べた。
「オロデス閣下、会議の結果、新たな命令が下されるとのことでした。承りたいとぞんじます」
「もうよい。今まで通りの職務を遂行しろ」
「それでは、新たな御指示は?」
「無い!」
「では、改めてご報告と、指示を仰ぎたい事が発生いたしました」
そのとき、重そうに身体を揺らしながら、フラーテスが立ち上がった。
「あー、お話の途中失礼いたす。オロデス殿、身共は所用もありますので、これにて失礼いたします」
「いや、ご苦労でした。では手はずどうりに」
オロデスも立ち上がって挨拶をした。
「いかにも、その点は、ご心配なきよう」
フラーテスはオロデスの部屋を後にし、長い回廊を歩き出した。
長い長い回廊であった。
階段のところまで来ると、後ろを振り返った。誰もいない。
階段には衛兵が四人立っていた。むろん、フラーテスは咎められることもなく、階段を昇りはじめた。
階上に用があるらしい。オロデスの部屋は三階にあり、部屋といっても執務室である。 一方四階から上は、王族の居室になっており、部屋の様相はまったくことなっていた。
回廊にしてから、フェルトが敷き詰められている。
とある部屋の前に着くと、フラーテスは小さくノックをした。
中から扉が開き、誘われるままに、フラーテスは部屋の中に入っていった。
彼を誘い入れたのは、若い青年だった。色白で、背はスラリと高く、腺病質そうだ。眼に険があり、暗い感じがする。
アステュアゲス王子だった。
キュアクサレス国王は王妃とのあいだに、四人の子どもを授かった。
上の三人が王女であり、最後が王子であった。
やっと授かった嫡男に国王は大喜びし、偏愛といっても良いくらいに大事に育てた。
「フラーテス、待ちかねていたぞ」
そう云うと、王子はソファーに横座りになった。
窓は、布で覆われ、陽の光は入ってこない。数本の、大きな蝋燭を立てた燭台の灯が、瞬いていた。
フラーテスも、王子の向かいに同じく腰をおろした。
「フラーテス、遅いではないか」
「只今、執政官会議が終わり、オロデス閣下と打ち合わせをしておりました。まず、そのご報告を申しましょう」
「それは、不要である。いずれ、叔父・・・・・いや、オロデス殿より話しがあろう。それよりも、フラーテス、解っておろう、早よう・・・・・」
フラーテスは、不敵に笑うと、もったいぶって、小さな壺を懐から取り出した。
「もってまいりました」
王子の眼に光が走った。彼は身を乗り出し、壺をフラーテスの手から奪うように取り上げると、壺に頬ずりをした。瞳の底から淫らな輝きが表面に現れたてきた。
「殿下、くれぐれも用いすぎないように、身体にさわります」
「わかっておる!」
イライラしながら答えると、ふるえる手で、もどかしそうに、壺の蓋を開けた。
王子の眼が妖しく輝いた。
「ふーッ・・・・・」
小さく息をもらし、王子は小指の先を唇で濡らすと、壺の中に入れた。
大事そうに、取り出した小指の先には、粉のようなものが付着しいていた。
アステュアゲス王子は小指を舌で舐め、口に含むと、大きく息を吸い込む。白い喉笛がヒクヒク蠕動している。
フラーテスの顔は歪み、口の両端を吊り上げ、異様な笑みをもらした。
「いかがです? 王子!」
王子は、返事をしない。
答える変わりに、小指を舐めながら、ウットリした眼を、フラーテスに向けた。
それは、麻薬であった、大麻より強烈な。芥子より作り出すという、マゴイの秘薬である。
マゴイの中でも、エクバタナに住むラオメドンは、秘薬の調合については、特に名を知られた存在である。
フラーテスの強い要望で、ラオメドンは王子の薬に、強力な催淫薬をも配合していた。
アステュアゲス王子は、小指を口から離すと、再び壺の中にいれた。
フラーテスは、肉に埋もれた両眼で、王子をじっと見つめている。
まどろんでいるような眼で、王子は愛おしそうに小指を見つめ、舌先で少し舐めた。
「ああ・・・・・」
深い溜息をもらすと、そのまま小指を口に含み、愛おしそうに、執拗に舐め続ける。
フラーテスは、血走った眼をして、横座りになった王子ににじり寄っていく。
彼は、王子の手首を握ると、口に含んでいた小指を強引に取り出した。
ニヤリと笑うと、細い小指を自らの口に含み、もてあそび始めた。
王子の細い小指と、白い手は、唾液でぬめり、燭台の光を照り返した。
フラーテスの小さな眼が、淫らな肉食獣のように、獲物を見つめている。
狙われた草食獣は、顎をあげ、のけぞるように白い喉を差し出した。
王子の虚ろな瞳は、妖しく誘いかけている。
肉食獣は、突然襲いかかった。
白い喉元に充血した唇をあて、舐めまわす。
よだれが滴り落ちる。
「ううッ・・・・・」
王子の口から呻きがもれた。
息づかいの荒くなった、フラ−テスの肥満した身体が、華奢な王子の身体を、組み敷いた。
「お前は、もう俺のものだ。もはや逃れることは出来ない」
フラーテスが王子の耳元でささやいた。
「ああッ」
王子の意識はすでに遙かな高みを目指しており、地上には無い。
フラーテスは、王子の薄い肩越しに、ドレーパリーに手をやると、一気に剥ぎ取った。
「ひィーッ」
微かな悲鳴があがった。媚びるような匂いが含まれている。
顕わになった、白く華奢な身体には、下帯は無かった。
燭台に照らされて、王子の長い手足が爬虫類のように蠢き、だぶついた肉塊をまさぐる。
細い呻きが、途絶えることなく洩れている。
肥満した肉塊に押し潰されるのを拒んでいるのか?
違う! 官能に犯された精神がもらす、悦楽の喘ぎだ!
押し拡げられた股間の高ぶりを、フラーテスのブヨブヨした手のひらが掴んだ。
「ひィーッ」
叫び声が、空気を引き裂いた。
催淫剤のもたらす、恍惚か?
体液にまみれた、妖しい肉と肉とがひしぎあう。
燭台の燈火に揺れる淫らな魂の交感は、果てること無く続いていった・・・・・。
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