第三章 刻まれた記憶<14>
ペリウスと別れ、アリウスは家路への道を歩いていた。
男、すなわち、パライモンが、この日も木陰にいた。
「やー、また会ったね!」
わざとらしい。かなり厚顔な男だ、とアリウスは思った。
「君は、マンドロス様から、哲学を教わっているよね」
マンドロスという名を聞いた時、アリウスの中で何かがはじけた。今まで抑えてきた胸の中に風穴があき、スーと風が通った。
「ええ、教わっています。文芸の方も・・・・・」
パライモンの瞳が輝いた。明らかに、今までのアリウスの反応とは違うと思ったらしい。 座っていた石から立ち上がると、息せき切って言った。
「文芸、いいね。実は私も興味があるんだ。ぜひ話したいね」
アリウスは、みな解っている。パライモンの気持ち、そして、自分の気持ちも。
パライモンが、さらに畳み掛けるように言った。
「ホメロスのイリアス、あれは最高だよね! こんなところでは、長話しも出来ない。家はすぐそこだ、一人で住んでいる。誰に気兼ねもいらない。行こう」
パライモンが強く促す。
背を押されるようにして、アリウスは歩き出した。歩きながらアリウスは、数刻後の自分を想像した。きっと間違いはないはずだ。自分に取っては初めての経験だ、恐れと不安に襲われ、アリウスは胸が締め付けられるように、苦しくなった。
パライモンが話しかけるが、相づちを打つのが精一杯だ。アリウスはどのような事がおこなわれるか想像をする。不安の中に期待も入り交じっている。気持ちの混乱にアリウスは、おののき始めた。
(そうだ! 確かに期待もあるのだ、今まで想像するだけだった事を経験することになるかもしれない。しかし、怖い! 何故だか怖いんだ・・・・・)
パライモンが、アリウスの細い腕を大きな手の平で掴み、放さない。何かを感づいているのだろ。パライモンの手の平は、ひどく汗を掻いている。
程なく着いたパライモン邸は、典型的なイオニア方式の瀟洒な建物であった。白い大理で造られた入り口の柱は、真っ直ぐ上に延び、屋根を支える部分で優雅な曲線を描き、渦を巻いたようになっている。
いかにも、パライモンに似つかわしい好みだと、アリウスは感じた。館には、用人が二人いたが、アリウスは別に紹介されはしなかった。
案内されたパライモンの部屋には、人間よりかなり大きいアフロデッテの、白い大理石で造られた像が鎮座していた。アフロデッテは愛と美の女神とされ、ミレトス神殿の御神体になっている。アフロデッテの像が飾りとして置かれていることは、別に珍しいことではない。
アリウスはアフロデッテの女神に別の思いを託していた。愛と美の象徴の女神ではなく、愛と美を渇望する、満たされることのない妄執の女神だと。だからこそ、永遠の美しさを保ち続けていられるのだ。
窓は大きく中庭に向かって開かれ、白い大理石の壁を背に、花壇に咲き誇る紅薔薇が、アリウスの眼に飛び込んできた。陽射しが強く照りつける。
何処かで見た光景だとアリウスは瞬間感じた。彼の心の中で、抑えることの出来ない何ものかが蠢きだした。膝が微かに震える。期待と不安を悟られてはならぬと、アリウスは平静を保つのに必死だ。
パライモンが、窓辺に立ち、腕を高く上げ庇を掴んでいる。頭髪と同じ金色の産毛が光を照り返しキラキラ光る。ドレーパリーから剥き出しにされた肩の筋肉は盛り上がり、健康的な、彫りの深い顔立ちをしている。笑ったときに白い歯が光った。
アリウスには、すべてが計算された演技に見えた。パライモンは、自らの容貌に自身たっぷりのようだ。
「そこの長椅子に腰掛けなよ」
パライモンがニッコリ笑いながら言った。白い歯がキラリと光った。
アリウスは言われた通り長椅子に腰を下ろした。スーと、身体が沈み込むような柔らかい椅子だ。
椅子の思わぬ柔らかさが、アリウスを不安にした。イリアスの話しを始めるかと思うのだが、パライモンが話を出す気配は、一向にない。
「今日は、熱いや。君も脱ぐといい」
そう言うと、パライモンがドレーパリーを肩から外した。そして、下帯だけの姿になった。均整の取れた肉体の金色の産毛が光る。
「緊張してるみたいだな、楽にしなよ」
アリウスの肩を馴れ馴れしく掴みながら、パライモンは、アリウスの座る長椅子に並んで腰掛けてきた。二人の重みで座はさらに沈み込んだ。白いドレーパリーを通してパライモンの太ももの体温が伝わってくる。
「君はディオニュソスの祭りに参加したことがないだろう?」
「いえ、ありません」
アリウスは、当惑げに返事をした。彼自身はディオニュソス(バッカス)の祭りに強く心を引かれていたが、参加する切っ掛けがどうしても掴めなかったのだ。
「あの祭りで君と出会えるのを心待ちにしていたのだが、出会うことは叶わなかった。もっとも、君を狙っている男は多くいたから、むしろ、参加しなくて良かったかな。他の男の愛人になっていたかもしれないから」
豊穣と葡萄酒の神ディオニュソス祭事は毎年春に開催され、陶酔がもたらす性の解放に満ちあふれ、乱交の場と化するのだった。参加者は老若男女、既婚未婚を問わず参加でき、ルールは唯一つ、誘われれば拒否できないというものであった。別段奇異な祭りではなく、あらゆる民族どの時代にも例はある。
「あの祭りはいい。人はあらゆる社会的束縛から解放される。貴賤も地位も関係ない。既婚という、ある種のいじましい所有権も無くなる。唯、情欲のおもむくままに振る舞えるのだ。だれからも咎められることない。アリウス、君はそう思わないか」
そう言うと、パライモンは、アリウスの眼を覗き込んだ。アリウスの反応を伺っているのだ。
「情念を解放することは、悪いことだとは思いません。そういう場が年に一回催されるのも良いと思います。しかし、自分が参加してみようと思ったことは有りません」
アリウスは、自分の気持ちを悟れれないように答えた。
「君はマンドロス家の者だからな。マンドロス様は偉大な人だが、一つだけ欠点がある。人の、情欲、性欲を深くは理解しないようだ」
「マンドロス様は、理解しないのではなく、ご自身の興味の対象ではないと思います」 「君は、どうなんだ? 情念の解放は良いことだと言ったよな」
そう言う、パライモンの手が、微かにアリウスの膝に触れた。明らかに意識的な行為である。アリウスの下肢がビクリと反応した。
「えッ、・・・・・」
誰にも言えないことだが、アリウスにとって、ディオニュソス祭事のことを想像するのは、興奮を引き起こす、淫靡な習慣にまでなっていた。
顔の解らない黒い巨大な影が、アリウスの前に現れ、があらがうことの出来ない強い力で組み敷かれ、無惨に犯される自分を妄想するのだった。
パライモンの手の動きがしだいに大胆になってきた。身を固くしたアリウスの膝を、パライモンの手が撫で始めた。アリウスの感覚は鋭敏になり、おぞましい快感が電流となって背筋を走る。
パライモンが何かと話しかけてくるが、期待と不安におののいているアリウスの耳には入らない。上の空で返事をする。アリウスの呼吸が苦しくなった。
「アリウス、分かっているだろ・・・・・」
と言うと、突然、パライモンがアリウスの腕を掴んで引き寄せた。
アリウスは本能的に身を固くし拒んだ。しかし、パライモンがそれを上回る力で、抱き寄せる。彼の息が耳をくすぐり、手がアリウスの肌の上を優しくまさぐる。
アリウスの頭に、カーッと血が逆流した。
「いやッ! やめてッ!」
アリウスの喉から鋭い悲鳴が洩れた。
アリウスは、首を振りながら、手を強く突っ張りパライモンの胸を突く、しかし、パライモンが動じ留素振りはない。余裕があるとでも言いたげに笑い、その眼は情欲に犯された光を放っている。
抵抗も虚しく、強い力で、抱き締められてしまった。パライモンの唇が、喉から耳にかけて這い回る。アリウスの両腕が虚し空を掴む。
「やめてッ! お願い!」
アリウスの挙げた悲鳴は、涙が混じっていたが、逆にパライモンの行為の炎に脂を注ぐことになった。アリウスのプラチナブロンドの髪が、パライモンの太い指で鷲掴みにされた。
喘ぎながら顎を挙げたアリウスの唇が、パライモンの唇に塞がれた。アリウスは固く歯を噛みしめ、ぬめった舌の侵入を拒否する。パライモンの厚い唇が、アリウスの唇を貪り尽くす。
拒もうとするのだが、パライモンの唇の粘膜に覆われくぐもって声が出ない。アリウスは、必死に恐怖と戦っていた。パライモンの愛撫の手がドレーパリーをまくり上げ、股間に延びる。
「いやッ・・・・・!」
下帯を強く握られた。身体から力が抜けていき動くことが出来なくなった。首を支え、下帯を掴まれたまま抱き上げられた。
何処かへ、運ばれていく。
「くッ!」
声が出ない。
アリウスは、寝台に運ばれ、その上に投げ出された。身が自由になった瞬間、アリウスは逃げだそうともがいた。しかし、すぐに組み敷かれてしまった。
「もがけ、もがけ、もう拒む事は出来ないぞ・・・・・」
パライモンが何かを囁いたが、アリウスの耳には入らない。
猛獣がいたいけな子鹿を捕まえ、弄ぶようにパライモンがアリウスを扱う。眼は血走り、開いた口を吊り上げ、吼え架かる。
アリウスは、裸で嵐の中に放り込まれたように、為す術もなく手荒い愛撫に翻弄され続ける。
アリウスのほのかな期待は裏切られ、無惨にも打ちひしがれてしまった。甘い官能の匂いは微塵もなく、恐怖感のみが襲ってくる。
「あッ!」
下帯が剥ぎ取られた。俯きの姿勢で両足首を掴まれ、一気に開かれた。臀部の穿ちにヌルッとした物が吸い付き、チロチロ蠕動を始めた。
「ひッ・・・・・あああーッ!」
アリウスは頭の中が真っ白になり、寝台の薄布を爪で引きちぎるように引っ掻く。
ドレーパリーを剥かれ、身体中をなぶられるアリウスの裸体は、白く透明で、血管の蒼い筋が浮き出ている。
執拗になぶられ続けたアリウスの心と身体に、今までとは異なった微妙な変化が起こってきた。その微妙な変化にアリウスは驚愕し、背筋に冷たいものが走った。
その時、パライモンが、アリウスの股間の一物を握ると、腰を持ち上げ、臀部の穿ちを彼の肉柱で一気に貫いた。
「くッ!」
アリウスは無惨に引き裂かれた。目の前が真っ暗になり、深紅の血しぶきが網膜に撒き散った。あまりの激痛に、気が遠くなった。アリウスの薄水色の双眸から涙が溢れ、薄布を濡らした。
「初めてだったのか・・・・・!」
パライモンの言葉は耳に入らない。アリウスは波のように押し寄せる激痛に、奥歯を噛みしめ必死に絶える。
「ひッ・・・・・あああーッ!」
アリウスの股間の穿ちは、鮮血みまみれているが、パライモンが容赦なく肉柱を突き立て続ける。
アリウスの紅い唇から鮮血が一筋、糸をひくように白い喉にまで伝わる。己の歯で口の中を噛み切ったらしい。
激痛に苛まれるアリウスにとって、時の流れは遅く、惨い責め苦は、永遠に続くかと思われた・・・・・。
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