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「維摩詰(ユイマキツ)外伝」 第一部 古代オリエント世界
第四章 救済の劫火<3> 事件から二日が過ぎたアリウス邸を、まなじりを決した顔つきの、オリオンが訪問した。 「アリウス様、今日からはこちらへ、昼間は常駐させて戴きます」 オリオンが、臍を固めていった。彼にそうする権利は無いのだが。 アリウスは応接室の椅子に座っている。もうすっかり気分は良くなったようだ。 側に控えていたユイマの眼が輝いた。オリオンが毎日来ると聞き、武術を毎日教わることができると思ったのだろう。 「パルコス様の了解も得ています」 「私の了解は?」 と、アリウスは言った。 「戴きます」 「・・・・・? まあいいだろう、宜しく頼む」 アリウスは、自分の身の回りに関しては無頓着なところがある。また、興味の範囲が限られており、その狭い範囲を外れると極めて融通がきく。 「オリオン様、その後の捜査は如何でしょう」 話しが途切れたところを見計らって、ユイマが言った。 「ユイマ、お前はあの時、俺と一緒に駆けだしたな、その勇気をほめておこう。アリウス様、八方手を尽くしては居りますが、まだこれといった成果は出ておりませぬ」 「そうか、迷惑をかけるな」 「とんでもございません。事件はアリウス様、個人の問題ではありません。メディア王国の執政官に、白昼、弓を引いたのです。国家の大事件であります」 オリオンが、ムキになって言った。 メディア王国の大事件か・・・・・確かにそう言えるだろう。しかし、もう一つアリウスには緊迫感が湧いてこない。 「オリオン、何故私が襲われたのだろう? どうにも解せぬ」 「執政官とは、ある意味で、常に命を狙われる立場にあるとはいえますが、仰る通り私にも良く分かりません。アリウス様を襲った理由が解れば、事件はほぼ解決したものとなるでしょうう」 「メディア王国は、いまや、対外的には大きな問題は抱えて居らぬ。キュアクサレス王はあの通りであるが、後継者はアステュアゲス王子と決まっており、異を唱える者はいない。 内部の抗争の線もあり得ぬ」 アリウスには自分が襲われたことが信じられないのだ。 「アリウス様、実は確たる情報とは言えませぬが、私の情報網にアッシリア残党の影が見え隠れするのです」 オリオンは、言って良いかどうか、判断つきかねるとばかりに、声を落としていった。 「アッシリアの残党? それなら、さらに私との接点はないはずだ」 アッシリアの残党という言葉を聞き、アリウスの眉間に皺が寄った。 「お気になさることはないと、自分も思います。ただ、そう言う噂が流れることが心配ではありますが」 「オリオン、襲撃事件の話しはこれぐらいにして、お主のことを聞きたい」 アリウスは話題を変えたいようだ。 「えッ、なんでしょう?」 「なかなか、情報を集めているではないか。密偵でも使っているのか?」 「私の手の者はおります。しかし、その必要を教えていただいたのは、アリウス様、あなた様ですよ。そして、ネストル様です」 いぶかしげな表情で、オリオンが言った。 「えッ、私が?」 「ネストル様に、紹介を受け、アリウス様と初めてお会いした日です」 「そうか・・・・・しかし、我ながら良いことを言う。諜報活動をすることは、政治にかかわる者にとっては絶対に必要なことである」 アリウスには思い出せない。しかし、彼は満足げに頷いた。 「恐れ多いことですが・・・・・アリウス様は、密偵をお持ちですか? 諜報活動をされておられるのですか?」 この疑問は、オリオンが常日頃から、感じていることであるらしい。 「私は持たぬ」 アリウスは当たり前と言いたげに、ぶっきらぼうに答えた。 「やはり、でもつい今し方、政治に関わる者には、諜報活動は絶対必要と、申されたではございませんか」 「たしかに言った。普通はそうだが、私は例外である。私の政策は論理であり、人の思惑には左右されない。また、私は地位も権勢もいらない。護るべきものも別にない」 オリオンは思わず首を振った。あきれて物が言えぬとでも言いたげに。 「でも、政策は実行されねば意味がないのではございませんか」 至極当然のことを、オリオンが言った。 「実行の得意な者が、やればよい。私はキュアクサレス国王の補佐官の職務にある。政策の立案が私の役目だ」 先ほどから、側に控えて話しを聞いてたユイマも困ったような顔をした。何処までが本気かわからぬとでも言いたげに。 アリウスはニコリとも笑わない。彼は本気であり本心を吐露したと思っている。僅かに人とは感覚が違うところがあると感ずることはある。かといって別に自分の言うことが間違いだとは露ほどにも思っていない。 確かに、アリウスの考えは僅かに違うだけだ。しかし、この僅かは、時に決定的な違いになることがある。 「アリウス様、ユイマは少年らしくなりましたな」 オリオンがユイマを見ながら言った。 「そうか、一緒に暮らしていると、なかなか変化に気がつかないが、お主がそう言うのならそうであろう」 アリウスはユイマの横顔を見つめた。金髪が頬に流れ、心を顕わすように涼やかな碧眼に、アリウスの心が騒いだ。ユイマがエクバタナに連れてこられて一年以上が過ぎ、もうすぐ十六歳になる。幼さが消え、少年の顔つきに変わってきた。 ユイマの日常の大部分は、机に向かって学芸を修めている時間だ。むろん武道の稽古、家事、花壇の手入れでサティーの手助けをすることも多い。そして、そのどれをも、素直な真剣さでひたむきにおこなっている。 アリウス邸に来た当初は、幼さと同時に、ステップ平原を馬で駆けていた面影を身体に宿し、日焼けしていた。手もガサガサだったが、いまは、手も、肌も女性のように柔らかくなった。 アリウスの指示で、入浴の時に龍舌蘭の汁を用い、肌の手入れを怠らないせいであろう。 女性の着るものだと、抵抗を感じていたドレーパリーが、今ではすっかり気に入ったらしく見える。 生活の変化が、ユイマの身体と心を変えていく。アリウスの望むように。 「サティーの姿が見えぬが?」 アリウスがユイマに問いかけた。 「昼前、市場に買い物に行くと言って、出かけられました」 「そうか、もうだいぶ時間が経つな」 「何か、ご心配でも?」 「いや、別に心配はない」 アリウスは最近サティーのことが気に掛かる。サティーは元気がなく沈み込み、時々考え込んでいる姿を見かける。アッシリア残党の件での心労に違いないとは思っているが、人に言うわけにも行かない。まして本人には尚更である。 「迎えに行って参りましょうか」 ユイマもサティーの様子に不安を感じているらしく、心配そうな声で言った。 「いやそれには及ばぬ。そうだ、ユイマ、今後出かけるとき、お前は一人で出てはならぬ。必ず供の者を連れて出よ」 「えッ、僕は大丈夫です。槍も剣も習っていますし」 そう言うと、ユイマは、オリオンの方を向いた。 「ユイマ、アリウス様の申されるとおりだ。確かに槍も剣もなかなか使うが、念には念を入れた方がよかろう」 「ユイマ、オリオンもそう申すではないか、念には念だ・・・・・」 アリウスはことユイマの事になると、人ごととも思えず、何故かこうなってしまうのだ。 ユイマの存在は、単なる愛しい存在とは言えないと最近アリウスは思い始めている。彼は、ユイマの瞳の奧に引き込まれてしまうような強い力を感じることがしばしばあるようだ。例えて言えば、アリウスの精神が剥き出しにされ、本来の自分のままで良い。正直に生きよと導かれているらしく見える。 もしかすると、サティーもヤクシーも同じ感じを抱いているのでは在るまいかと、アリウスハ思う。ユイマと出会って以来明らかに彼女たちの人生は変わったと思えて仕方がないのだ。 玄関の戸を開ける音がした。 噂をすれば影だ、サティーが戻ってきたらしい。 「只今戻ってまいりました。あらッ、オリオン様いらっしゃいませ」 「留守中に、おじゃま致しておりました」 オリオンは椅子から立ち上がると、ぎこちなく挨拶をした。精悍な若者の頬が少し紅くなっている。どうやら、サティーに気があるらしい。 「今日からは、昼間は毎日オリオンが、屋敷に詰めるということになった」 と、言った後アリウスは、少し引っかかるものがあったが、すぐに思い直した。ともかく、明るく元気そうなサティーの顔色をみて少し安心したのだ。 「まあ・・・・・そうですの、オリオン様が来ていただければ、本当に心強いことですわ」 「そ、そうですか、頑張ります」 オリオンの肩に力が入っている。武道の達人らしからぬ姿勢だ、今、賊に襲われたら遅れを取ること必至だ。アリウスにもその辺は分かる。 サティーが、テーブルに袋を拡げた。 「ユイマ、新しいドレーパリ-を買ってきましたよ。どう?」 そう言うと、ドレーパリーを取り出し両手で拡げ、掲げた。右肩から左の腰辺りまで、一部分が薄い水色で斜めに染められている。 「おおッ、綺麗だ、ユイマ着てみなさい」 アリウスは身を乗り出して言った。 「えッ、いまですか!」 ユイマは驚いたらしく、口を開けたままだ。すぐにサティーが助け船を出した。 「アリウス様、そう急がずとも、今夜、入浴の後着替えますよ。その時ご覧になれば如何ですか」 「そ、そうか」 「そうですよ。それから、アリウス様にと思ってもう一着買ってまいりましたが。今日からオリオン様が、毎日詰めていただけるのなら、そのお礼にということで、よろしいでしょうか、アリウス様」 「おお、それはいいことだ」 「オリオン様、貴方には少し長いかもしれません。後で寸法を直して差し上げますわ。白い色ですが、よろしいですか?」 「よッ、よろしいであります。あッ、ありがとうございます」 オリオンが、ドレーパリーを差し仰いで受け取った。緊張のあまりか手が微かに震えている。 そのぎこちない態度が、サティーに感じさせるものが在ったのだろう。彼女は口を押さえると笑みをこぼした。 男女間の気持ちに疎いアリウスもさすがに気づき、結婚ということになると・・・・・。勝手におかしな心配を始めた。こういう点になると、アリウスは明らかに人並み以下である。
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