第一章 梟雄割拠<2>
夜空では無数の星が瞬いている。今日は闇夜なのだろう、月は見えない。先ほどまで鳥の鳴き声がうるさかったが、もう眠ったのか静かになった。
食事も終わり五人が車座になり話し込んでいる。案内人の初老の男は、先ほどから、離れたところでフェルトにくるまり眠りについているようだ。
「明日からは、砂漠の旅になる。この湖の先は、カビール砂漠の一端だ。砂漠を掠めながらエルブルズ山脈を越えカスピ海を目指す。ヒュルカニア地方の端のアトラク川を渡った所が、我がダハイの地である。険しい道が続く、あるいは四〜五日掛かるやもしれぬ。ユイマ、ダハイの国元に伝令は出してあるな」
オリオンが、明日からの行程を説明をしている。皆は固唾をのんで聞き入っていた。この先についてはオリオンだけが頼りなのだ。
「ハイ、言われた通りサムナンにて我々を迎えるように、ダハイに早馬は出してあります」「よし分かった。カストル殿、そちらの方は如何かな」
「はッ、オリオン殿、まだ一部ではありますが、我らの一統にはマヤメイに集結するように伝令を出しました。おそらく二〜三百人は集まることは間違いないかと」
カストルは、顎髭をなでながら答えた。
「それは、心強い。ダハイの地には私を快く思っていないものも多い。大いに力になる」「オリオン殿、ダハイに於いては、貴殿は王子の地位で在られる筈だが、危険でもござるのか?」
タンタロスが言った。前もって聞いている筈だが、さすがに現実を目の前にすると心配になるのだろう。
「はっきり言えることだが、身の危険はない。危険があれば、サティー様を招くことなどありえない」
「流浪の生活も長くなりますと、疑心暗鬼になるものです。失礼いたしました」
カストルにも不安はある。自分の責任で各地に散らばる残党に伝令を出したのだ。もし今度の企てが失敗すれば、彼らの一統は、二度と日の目を見ることは出来ないだろう。
「カストル殿の気持ちはよく分かる。もう一度、打ち合わせをしよう。よろしいですねサティー様!」
「ぜひそうして下さい。皆の心が安んじられるのなら。ただし、オリオン様、私の心は決まっています。」
「まず、簡単にダハイの情勢を話しておこう。ダハイは王国を名乗っているが、それに伴う組織も確立しておらず、実質的には族長会議が最高の意志決定機関である。我が父、ディオンは、ダハイの一番有力な族長であり、会議を主催する。しかし、各族長は独立しており、常に父の地位を伺っている。一方、外部の勢力とは、今は友好関係にあるが、南方のヒュルカニア人とは、ことある事に戦ってきた。北と東は、獰猛なサカ族の居住地域である」
「オリオン殿、ヒュルカニアについては、多少の知識は在りますが、サカ人とは如何なる民族でしょうか?」
カストルが、真剣な目つきで言った。
「草原の遊牧民である。普通は各々がバラバラに遊牧生活を営んでいるが、時に集団を形成し攻め込んでくる。エクバタナの近郊まで攻め込み、略奪が行われたこともある。ユイマ、お前は、アリウス様に聞いて知っておろう」
「はい、アリウス様は、常に外部の民族の動向には気を配っておられました。サカ族とは、スキタイ部族とほぼ同じと考えられ、戦闘に於いては、騎兵戦を得意としております。ダハイの地は、サカ族からメディア国を守る、障壁と捉えておられました」
ユイマは、興奮気味に喋った。この様な会議の場所で発言出来ることは、一人前の仲間だと認められた気がしたのだ。
ユイマに発言を促したのは、オリオンの配慮であった。彼は、アリウスから、ユイマの教育を託されたと思っている節がある。
「その通りである。ダハイは常に外部の強者に気を配っている。今までは、メディアが強精であり、ダハイも落ちついていたが、今回のメディアの政変で、サカ族の動きもが間違いなく出てくるであろう。さらに、ヒュルカニア人の動きにも、注意する必要があろう。さすれば、ダハイの族長の間にも、色々異なった思惑がでてくる。何処と組むかという利害が衝突し、遠からずダハイ自体が混乱に陥るのは間違いがない」
オリオンは、ダハイの置かれた困難な状況を包み隠さず話すつもりらしい。
「そこで、オリオン殿は我らと手を組み、ダハイにおける地位を確立し外敵にあたられる所存と思われるが」
タンタロスが、確かめるように言った。
「その通りである。地位の確立に留まらず王国を建国するつもりである。サティー様に今回、ダハイに来ていただくにあたって、大まかに話したことではあるが」
「なるほど、オリオン殿の気持ちは、よく分かり申した。今回、数百の騎馬兵と共に帰還すれば、各族長をけん制することができ、オリオン殿が族長の間で重きをなすことが出来ると申されるのだな」
カストルの顔がゆるんだ。心のわだかまりが解けたのだろう。
「カストル殿の申される通りである。なんと言っても自分はまだ若い。族長の一部に起こるであろう不満の種を摘む必要もあろう」
乾燥地帯の夜は急激に気温が下がる。焚き火を囲みながら、オリオンが中心になって話は続いていった。
カストルとタンタロスにとっては、アッシリア人全体に関わることであり、民族の興亡に直接作用する話であった。
「オリオン殿、よくぞ包み隠さず申していただき感謝しております。もう少しお聞きしたいことがあるがよろしいですかな」
「カストル殿、なんなりと」
「王国が開設出来たときの、我らの立場はどうなるのでしょう」
「人を用いるに、私はその能力によって役割と地位を与えるつもりだ、貴殿らを粗末にするつもりは一切無い。私は、このことをアリウス様より教わった。サティー様もユイマもこのことは、よく存じているはずだ。そうであろう、ユイマ」
「はい、その通りです。オリオン様」
焚き火を見つめ、枯れ枝を足しながらユイマは言った。アリウスのことが頭を掠めるが、彼は感情が出てくることを抑えるように言い出した。
「私はスラブ人です。アリウス様はイオニア人でした。『国を統治するに、その人の能力のみを用いよ』というのがアリウス様の信条でした。ダハイの人々は、スキタイ人、メディア人、パルサ人の混血だと聞いております。そこに、アッシリア人が新たに加わるということだと思います。そして、私、スラブ人も加えて頂きたいものです」
「ユイマ、スラブ人は大いに結構だ。如何ですかな。カストル殿」
「ハッハハ、失礼。いや、スラブ人は大いに結構!」
そう言うと、カストルが、手をユイマに差し出し、握手を求めた。ユイマは、その手を強く握った。温かい手であった。
タンタロスの精悍な顔からも笑みがこぼれた。
「オリオン殿、すべてを了解いたした。我々はダハイの地こそ我らの故地と定め、全力をあげて、王国創設に力を捧げさせて頂きます。のう、カストル」
「如何にも、衰えたりと言えどもアッシリアには人材は居ります。軍事、行政、財政・・・・・等々、必ずやお力になり申す」
いささか緊張気味だったサティーの顔が緩み、優しい眼つきでユイマを見つめた。
ユイマは、サティーの気持ちが痛いほどよく分かる。ちりぢりになった民族の、安住の地のめどが付き、最後のアッシリア皇女としての責任の一端が、軽減されたと思ったに違いない。
長い話はおわり、寝る準備に入った。馬車の側に、フェルトを敷きカストルとタンタロスが横になった。サティーが、馬車の中で眠りについた。
焚き火は、絶えることなく赤々と燃えている。カストルとタンタロスとは、焚き火を隔てた反対側にオリオンとユイマは床を延べた。
仰向けになると、一面の星空だ。ユイマは、アリウスに教わった星座を探す。ギリシャ神話の神々が彼の頭の中で廻り始めた。
「ユイマ、これからは困難がまっている。私に力を貸してくれ」
オリオンが、星空を眺めながら小声でささやいた。
「もちろんです、オリオン様。私は他に行くところがありません」
「ユイマ、そう言う云い方をしないでくれ。私が本当に腹を割ってはなせるのは、お前だけかもしれない」
「カストル様、タンタロス様はどうなんですか」
「彼らには、誠意をもって本当のことを話した。それでこそ彼らも信用してくれたと思っている。私も彼らは信頼できると思う。しかし・・・・・」
「しかし、何です。オリオン様」
「彼らとは、基本的に利害が一致する関係だ。私は彼らを徹底的に利用する。彼らも私を同じように利用する。その関係であらばこそ信頼できるのだ。しかし、常に緊張感の中で対応せねばならない」
ユイマには、オリオンの気持ちは分かる。しかし、オリオンはどの程度ユイマの気持ちを理解しているのだろうか。
「オリオン様は、パルサの地に王国を建設されるのですね」
「そうだ、私は本当の王にならねばならない。豊かな王国にして、そこに暮らす民が安らげる場にしたい。これこそが王国を安泰にする最前の方法であると、アリウス様に教わった。ユイマもそのように教わったであろう。何しろ私とユイマは、アリウス様の兄弟弟子だからな」
「たしかに、アリウス様はそのように申されました。それこそが政の、真の目的で有ると・・・・・。おそらく、ポリス、ミレトスの市民の境遇を、メディアの民全員に享受して欲しかったのだと思います」
「私は、必ずや王国を打ち立てる。破れたフェルトの天幕に暮らす人々に立派な家を、そして、宮殿も建立する。私の名は、偉大なる英雄として語り継がれるであろう」
オリオンが、降るような星空を見上げている。野望に燃える自分の将来に、思いを馳せているのであろう。
ユイマは、星にまつわるギリシャ神話の世界に入り込んでいく。それは、アリウスが夜空を見上げながらユイマに話してくれた世界であった。ナマク湖の闇の彼方に、プラチナブロンドの長い髪が垂れ下がり揺れているのが、ユイマの眼にたしかに映った。
「アリウス様・・・・・」
ユイマのつぶやきは、ほとんど声にはならなかった。
一行は、まだ明けやらぬ内から起き出し、出発の準備に入った。朝食を軽く済ませると、無数の鳥の鳴き声に送られ、ナマク湖の東岸沿いに道を取った。ナマク湖を過ぎると、カビール砂漠の西端をかすめ、真っ直ぐにサムナンを目指す予定だ。湖岸沿いのルートは疎らな草原になっており、旅は快適である。
馬車に繋いで連れてきた予備の馬にサティーが乗り、手綱をユイマが引いている。
「ほら、言った通り大丈夫だろ。馬は優しいんだから」
「ユイマお願い、もう少しゆっくり行って」
サティーが、馬の首にしがみついている。馬と馬上の人間のリズムがバラバラだ、これでは、疲れるばかりだろう。
もう追っ手の心配は無くなった。サティーの乗馬の練習を兼ね、一行はゆっくり進んでいた。
ユイマとサティーの掛け合いは、本当の姉弟がじゃれているようで、皆の気持ちを穏やかにする。
「乗馬って楽しいだろ、サティー」
「楽しくなんかないわ。もういやだ、馬車に移る」
「でも、すぐに馬車より楽になるよ」
「ユイマ、止めて!」
ユイマは、仕方ないと思ったのか、手綱をつかんだまま馬から下りた。サティーを、馬に乗せるのも大変だったが、降ろすのもこれまたけっこう大変である。
オリオンが駆け寄り、サティーの腰を抱き馬から降ろした。確かに手助けには違いないが、オリオンは別の思いもあるらしく、顔が赤くなり、動きがぎこちない。
「オリオン様、ありがとうございます」
「あー、いや・・・・・」
オリオンの顔色が一段と赤くなった。
「あーっ、ヒリヒリする。ユイマ、あなたの言うことを聞いて大変な目にあったわ。もう二度と馬にはのらないから!」
サティーが顔をしかめて言った。
「ヒリヒリする?」
ユイマが首をひねった。
「あッ、そうか、股ズレだ・・・・・」
ユイマは思わずそう言った。すぐに気づき、口を押さえた。しかし、もう遅い。言ってしまったのだ。
サティーが、優しい彼女には珍しく食いつきそうな眼つきで、ユイマを睨んだ。
|