ガンジス河のほとり

「維摩詰(ユイマキツ)外伝」


第二部 ステップ平原





 第一章 梟雄割拠<3> 


 砂漠にもきちんとしたルートは有る。しっかりした案内人に従えばまず道に迷うことはない。彼らは夜、星を見て方角を定め、昼、岩山や遙かな高峰を眺めて現在位置を知る。そして、オアシスや水場に間違いなく導く。砂漠と言っても、パウダー状の砂が延々と続く砂漠は極わずかで、ほとんどが、石と岩の岩石砂漠である。
 一行は、困難ではあるが、それほどの問題もなく、小さなオアシス都市、サムナンにたどり着いた。
「あれが、サムナンだ」
 オリオンが小高い丘の上から、町を囲む壁を指さした。案内人は別にして、他の四人にとっては初めての町である。高い壁は日干し煉瓦と土塁で造られ、鮮やかな茶色をしている。出入り口は大きく開かれ、ラクダと馬を連ねた、隊商が入って行く。
「サティー、見てごらんよ。本当に綺麗な町だ」
 ユイマは、馬車の中をのぞき込み言った。
「まあーっ! 綺麗!」
 幌を掲げ身を乗り出した、サティーの口から感嘆の声がもれた。
 出入り口の直ぐ後ろの、高い望楼が眼に付く。望楼も壁と同じ材料で造られたとおぼしく、まったく同じ色彩である。背景の蒼い空との対比が、ユイマには、砂漠に突然出現した空想世界の町のように思えた。
 
 町の中は、至る所に溝が掘りめぐらされ、水が溢れるように流れている。周りの乾燥地帯のなかで、ここだけ水が溢れていることは信じられない。しかし、砂漠のオアシスでは決して珍しいことではない。
 オリオン一行は、隊商宿を探し始めた。それほど大きな街ではない。街路沿いに日干し煉瓦作りの家が軒を並べて連なっている。一定間隔に街路樹も植えられている。
 ダハイからの出迎え人とはほどなく出会うことが出来た。彼らが、とある宿に足を踏み入れたときのことだ。柱の陰から突然声が掛かった。
「オリオン様、お久しぶりでございます。なんと、ご立派になられて!」
 六十過ぎと思われれる老人が、涙ぐんで声をあげた。
「おおッ! ビーマ。お主こそ元気そうでなによりだ」
 オリオンがビーマの手を取った。オリオンの目も潤んでいる。
「オリオン様、ご覧下さいこのありさまです。オリオン様を出迎えるに、たった、たったの、十五人だけです。それもこれも・・・・・」
「ビーマ、良いではないか。私には分かっている。ここに来たもの達は皆、それなりの覚悟であっただろう。声も上げることも出来ずに、私を支持しているもの達が多くいることも知っている」
「やっと、オリオン様が帰って来られたのだ・・・・・。奴らなど、一蹴にして下さい。お願いです」
 迎えに来た若者達の眼に、悔しさの中に訴える気持ちが表れている。
 一人一人と手を取り挨拶を交わしたオリオンは、ユイマ他、同行の五人を皆に紹介した。十五人の中にはユイマと同じ年頃の少年もいた。
 少年の髪は褐色の巻き毛をしていた。きかん気な性格の眼をしており、身体の動きは躍動感に溢れている。なぜかユイマと眼を合わせようとせず、そっぽを向く。
 ユイマを取り巻く周りの人間は、今まで常に大人だった。これからは、同年代、年下の者との交流も多くなるに違いない。ユイマにとって同年代の友人は、新鮮な刺激となるだろう。

 この頃、ダハイ族は内紛の火種を抱えていた。部族内において、族長ディオンの権力は揺らいでおり、その状況で、ディオンには三人の男子があった。長男はオリオンであり、二男は、ステントル、三男はオイクレスである。
 オリオンと他の二人は異母兄弟であり、オリオンの母親はすでにこの世にない。弟たちの母親はデメテルと言い。自分の子供に族長の地位を継がせたいと策略をめぐらせている。族長ディオンは、人望もあるオリオンを後継者にと表明をしていたが、それほどの強い意志はなく。妻デメテルに煽動されつつある。
 その間の事情は、ビーマによって逐一、オリオンに報告がもたらされていた。
 今回の帰還にあたり、オリオンが、権力への強い意志と、勝算を胸に秘めているのは明らかだった。

 歓迎の宴は、ビーマ達によって整えられていた。宿屋はこの町でも最高に位置するのだろう、三階建ての立派な建物だった。
 オリオンは上座に、サティーを据えた。宴の始まる前にオリオンは、四人を紹介した。
前もって、ビーマには知らせてあったが、三人がアッシリア人であると紹介すると、ダハイから来た人々の顔に緊張が走った。
「このたび、オリオン殿の臣下に加えて頂いた、カストルと申します・・・・・」
 自己紹介をするカストルの顔には親愛の情が溢れている。
「いや、臣下では断じてござらぬ。皆の者、同胞になったと思ってくれ」
 オリオンが臣下という言葉を否定した。
「ありがたいお言葉ですが、我らは指示を受ける立場です。その辺をきちんとしないと混乱を生じ、思わぬ事態がしょうずるやもしれませぬ。今後参加するであろう、我らアッシリア党は、皆様方と同じく、オリオン殿を仰いで行こうと決心しております」 
「あい分かった。カストル殿の気持ちは肝に銘じておく。さあ、今夜は楽しい宴にしようではないか。サティー様、馬乳酒は初めてですか、少しだけでも口を付けてみて下さい」 オリオンとカストルの間では、十分に話された内容ではあったが、オリオンはこの様なかたちでダハイからの人々に披露した。今後、ダハイまでの行程で起こることを、彼ら十五人が、国元で誇るように言いふらすであろうことを、オリオンは十分に計算に入れていた。

 差し出された馬乳酒を入れれた小さな陶器には、白濁した液体が入っており、微かに鼻を突く刺激がした。額にわずかに皺をよせ、恐る恐るサティーが口を付けた。
 サティーの顔が、ほっと緩んだ。ほんのり甘い味がする馬乳酒は、遊牧民の間では、子供も飲む飲料である。
「おいしい・・・・・」
 思わずサティーの口から漏れた言葉に、一座の人々は手を叩いて喜んだ。
「よかった、気に入って頂いて。ダハイには葡萄酒がありません、馬乳酒はそれに変わる飲み物です」
 オリオンも喜んだ。
「葡萄酒より優しいような気がいたします」
「サティー様と仰ったかな、あなたは非常に美しい上に、我らを理解して下さるようだ」
 ビーマが、満面に笑みを蓄え言った。
「では、皆様のお仲間に入れて頂けるのですね」
 宴は和やかに進んでいった。ただ、ユイマの横に座る少年だけは、そっぽを向いて眼を合わせようとしない。

翌朝、二十人となった一行は、オアシス都市マヤメイを目指して出立した。進行方向右手は、ガビール砂漠へと続く大草原であり、左手には雪を抱く、エルブルズ山脈の高峰が連なっている。最高峰のダマーバンド山は標高五千六百メートルを超える。
裾のを巡るルートはヒュルカニア人の勢力範囲であり、近年、治安は維持され、隊商の重要な通路となっていた。
 一行は順調な旅を続けていた。時に隊商に出会うこともあったが、彼らは一行に畏怖の目をむけた。二十人騎馬隊は、夜盗とは思えない身なりをしていたが、普通の旅人ではない異様な集団であった。
 ユイマは、エクバタナを離れて以来、不思議な興奮の中に居た。乾燥した空気、草原の香りが、非常に懐かしく感じられていたのだ。
 一頭の馬が駆け寄ってきた。側に並んで走るものの、声を掛けようとしない。
ユイマが声を掛けた。
「僕、ユイマと言うんだ。よろしく」
 少年はユイマと同じ年頃に見える。褐色の巻き髪、顔は真っ黒に日焼けをして、褐色の瞳は生気に満ちている。昨日までは、剣呑な眼つきでユイマを見つめていたが、今は親しげな眼をしている。
「やーっ、俺はアレスだ。昨日は、色が白くて、女みたいでどうしようもない奴だと思ってたんだが、感心したよ。馬に乗るのがうまい。大したものだ」
 思っていることをズケズケ言う少年だが、ユイマにとっては、決して不愉快ではない。
アレスにとって、乗馬が巧みなことは特別な意味があるらしい。
「ありがとう、君こそ上手だよ」
「まーな・・・・・ユイマはいいよな、オリオン様の側にいられて」
「どうしてだい?」
「武術を教わる機会が多いだろ。俺は強くなりたいんだ。オリオン様のように」
 アレスの言葉には、強い意志が感じられた。
「今度、オリオン様に武術を習うときは、声を掛けるから一緒にやろうよ」
「ユイマ、本当かい・・・・・君は良い奴だ、友達になれそうだよ。ところで、オリオン様は、あのパルコス将軍の付き人をしていたらしいが。君は将軍にあったことがあるかい?」
 パルコスという響きは、ユイマにとって懐かしいものだった。
「うん、良くしっている。優しい人だった」
「えッ、そりゃ凄いや! 優しい? 鬼のような人じゃないのか」
「身体は大きく怖そうだけど、あんなに優しい人はいなかったなあ」
「ユイマが羨ましいよ。そんなに凄い人と知り合いだったなんて」
 アレスが、心底羨ましそうに言った。
「羨ましい?」
「ああ、本当に羨ましいよ」
 二人は並んで馬を走らせていく。
「俺は、強い軍人になりたいんだ。その為に、カラボガズゴルから出てきたんだ」
「カラボガズゴルってなんだい?」
「知らないのか。ダハイの北部にある。カスピ海の大きな湾だよ」
「実は、カスピ海という言葉はよく聞くが、まだ見たことはないんだ」
「えっ! ユイマ、君はどこから来たんだ? カスピ海を知らないなんて信じられない。メディア国と同じぐらい大きい湖だ」
「えッ、そんなに大きな湖があるのか?」
「この世で、一番でかい湖だそうだ。そして、魚がたくさん獲れて、水は真っ青で綺麗なんだ。我々にとっては大切な湖だぞ、もうすぐ見られるよ」
 二人の少年は、気が合うらしい。順調な旅は続いた。心配したメディア王国からの追っ手は掛からず、ヒュルカニア地方に入っても、妨害は受けなかった。
 老将軍ウラノスが引退して久しく、残りの四人の執政官の内、三人が不慮の死を遂げ、残る執政官はオロデス一人となった。一見、権力を掌握したかにも見えるが、実際は混乱の極みにあるのだろう。
 しかも、第一軍管区司令官クレオン将軍は、不気味にもまったく動きを見せていない。メディア国は一時的に動きを止めてしまったのだ。
 
オリオン一行が、オアシス都市マヤメイの近郊に達したとき、チュニックとズボン、革製の鎧を身につけ、同じく革製の兜を被った男が三人、短槍を手に持って、騎馬で疾走してきた。後方に砂埃をあげながら。
 カストルと、タンタロスがすぐに走り出した。三人の男の服装は、アッシリア軍特有のものだと、すぐに気づいたのだ。なお、身体にピッタリとしたチュニックは、後のペルシャ帝国で、普通に着られるようになった。
 案の定、アッシリアの斥候であった。騎乗で彼らはオリオンに挨拶をすると、来た道にとって返す。マヤメイの近くで、幕舎を張っていると短く言うと、オリオン一行の到着を仲間に伝えるべく走り去った。寡黙な訓練された軍人の姿であった。
 オリオン一行は、三人のあげる砂埃の後をたどる。
 ユイマは期待に胸を膨らませながら、後に続いた。アッシリア軍は、メディア国においては、すでに伝説になっていたのだ。
 陽が傾きかけた頃、草原の中に十数個の幕舎が張られているのが見えた。近づくと伝令が伝えたのであろう。幕舎の前に、数百人の騎兵が並んで、オリオン一行を出迎える光景は壮観であった。
 すべての男が、騎馬に乗り戦闘服をきて、整然と出迎える態勢をとっていた。並び方を見ただけでも、明らかに厳しい訓練を積んでいることが一目瞭然である。
「ヤァー、ヤァー」
 数百人の男が、手に持った短槍を高らかに掲げ、一斉に声を挙げた。歓迎の意味を顕わしているらしい。
 ユイマは思わず頬が緩んだ。安堵の気持ちが湧いてくる。それほど心配していた訳ではないが、なんと言っても今までは追っ手を気にしての旅だった。男たちの集団を見れば、ユイマは何が来ても平気なようなように思えた。
「凄い! これが、アッシリア軍か」
 アレスが誰に云うともなく呟いた。
「まったく、本当に凄い!」
 ユイマも感動している。男たちの姿を見ただけで、彼らの戦闘能力が伺えるのだ。十数万という、アッシリア軍を打ち破った、パルコスの偉大さを、ユイマは改めて噛みしめてしまう。

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