ガンジス河のほとり

「維摩詰(ユイマキツ)外伝」


第二部 ステップ平原





 第一章 梟雄割拠<10> 


 今日、ペルシャ高原を一言でいい現すなら「乾いた大地」と呼べるかも知れない。全体が千メートル以上の乾燥高地であり、人の住むには過酷すぎる条件である。
 今から二千五百年前のペルシャ高原は、現在よりも降雨量もおおく、遙かに緑に覆われていた。しかし、今日と同じく、人々が集まる土地は、カスピ海沿いのエルブルズ山脈、ペルシャ湾沿いのザクロス山脈の地下水を頼りにしたオアシスであった。
 四千メートルを超える標高を誇る両山脈は、白い氷雪に覆われており、雪解け水は地下に潜り、高原の方々で地表にオアシスとなって湧き出ていた。
 大きなオアシスは、それだけ多くの人間の生命を維持することが出来、多数の豪族が点在する結果となっていた。過酷な自然は、メディア王国の版図でありながら、それぞれの豪族を独立状態にすることを可能とした。

 キュロスは、一つの城塞を攻撃していた。ザクロス山脈の北面、カルマニア地方に位置する、それほど大きなオアシス都市ではない。彼は、これまで幾たび戦陣に立ったことだろう。諸国を巡る旅を終えて以来、ほとんどを陣中で過ごした。
 彼は細身で、上背もあまりなく、髭も薄く華奢な体つきであった。紅色掛かった頭髪に白い顔は、女性的にすら見えた。この外見は、歴代のアケメネス朝ペルシャ帝国の皇帝に共通してみられる傾向だった。
 彼は濃紺色の色彩を好み、今身に着けているチュニックも、ブラッカエと呼ばれるペルシャ起源のズボンも濃紺に染められている。奇異なのは、戦場においても、黄色に黒糸で刺繍を施されたクラミスという、ピンで留めた肩掛けを手放さず、幅広の帯も同じく、黄色に黒糸で刺繍されていた。
 戦場においてこの服装は、キュロスの所在を敵にも味方にも際立たせる効果があった。
危険だ。狙われる。と言う度々の進言を無視して、彼はこの姿にこだわり続けた。戦いの場において、彼は命懸けの自己主張をしていたのだ。それが偉大な野望につながる演出であることを理解する者はなく、彼が口にすることもなかった。

 城壁を見据えるキュロスの青白い顔には、紅褐色に燃えたつ瞳が輝いていた。
乗馬に関しては天性の才能を持つ彼は、常に騎兵隊とともにあり、陣の前衛に位置しているのはいつものことであった。
 攻略すべき部族は幾らもあった。彼らは独立しそれぞれの城塞によっており、時に同盟を結んでパルサに刃向かうこともあったが、それらのすべてをキュロスは蹂躙していった。まるで、何物かに取り付かれたように見えるほどの侵略行為であった。しかし、彼が人々に与える印象は、あくまで穏やかな優しい王子の印象であった。
「王子、攻撃準備は整いました。あとは下命を待つばかりであります」
 ケペウスであった。チェニックに革のズボン、革製の胸当てと兜を被った大男である。濃い顎髭を蓄えている。顎髭は強い男の象徴である。
「王子、御願いですから先頭を駆けるのは、思いとどまって頂けませぬか」
 こちらも逞しい筋肉が衣服の上からも伺える、コカロスである。彼は、長柄の長刀を常に携えている。二人に挟まれた、キュロスはあたかも稚児のごとく見えると言っても不自然ではない。
 彼は、コカロスの願いには答えず、冷静に言い放った。
「待て、陽が昇ったばかりである。もう一刻もすると、予定の部隊がやってくる。それまで待つのだ」

 今、城塞のまえに展開している部隊は、五千を数える。弓箭隊を前面ならべ、その後に歩兵隊、騎馬隊は左翼と右翼に五百期騎づつ配置に付いている。キュロスは左翼の騎兵隊の中に位置していた。城の内部には密偵の報告により三千の守備隊が守っていることは分かっている。
「王子、あんな小さな城塞など、自分の長刀で薙ぎ払ってご覧に入れます」
 まさか城塞は無理ではあるが、この二人が騎馬にて疾風のごとく駆け抜けたあとには、累々と血塗られた死体が転がるのは本当である。
「コカロス、今日の戦は、工兵の働きを試すのが一つの目的である」
「工兵・・・・・なんですかそれは?」
 ケペウスが尋ねた。
「攻城の為に、極秘に私が開発した部隊である。今日が初陣だ、上手くいけばいいが」
「王子、なんとも頼りない申されかたでございますな」
「ケペウス、そういう言い方はないだろう。王子は常に戦いの中で、いろんな試みをなされるのだ。後日の事を考えてか、あるいは単なる楽しみではあるかは存じませぬが」
「コカロス、お前の言い方のほうが王子に対して遙かに無礼であろう」
 キュロスの部下は、彼の性格がそうするのか、おおらかで上下の規律が緩やかである。メムノンとキュロスの間にも同じ事がいえる。もっとも、近従の者に限られるのだが、おそらくは王子の性格のなせるわざだろう。
 キュロスは薄く紅い唇を緩めて微笑んだ。優しい眼をした姿は、とても軍人とも思えず、二十歳過ぎの男子ではなく、少年のようですらあった。 

「王子、新たな味方が到着致しました」
 騎馬の兵士が駆け込んできた。
「隊長をすぐに呼んで参れ」
「はっ!」 
 呼ばれてキュロスの前の駆けつけた工兵隊の隊長は、ずんぐりとした体格で、軍人らしい雰囲気はあまりない。肥った顔に噴き出た汗を、布で拭き続けている。
「出来上がったか」
額に皺を寄せ、不快感を表したキュロスだったが、物言いは穏やかであった。
「はい、何とか間に合いました」
「初陣だ、心してかかれ。今日の成果により、今後のそちの隊の処遇が決まるぞ」
「はっ、十分に心得ております」
 そう言うと隊長とおぼしき男は、小さく卑屈な眼でキュロスを下から窺う。
「指示をいたす。正面の歩兵隊に間隙を作る。お主達はその間を進み前面で控えよ。私が合図をしたら、真っ直ぐに城門にたどり着くのだぞ」
「はっ、承知致しました。で、その合図とは?」
「私が合図をする。その時になれば解るから心配は無用である」
「えっ・・・・・」
 隊長は怪訝そうな顔をしたが、キュロスにそこまで言い切られれば、もはや重ねて聞くわけにはいかない。
 ケペウスとコロカスは、キュロスの言う意味が良くわかるらしく、髭面を緩めニタリと笑った。しかし、その笑いには、幾分の困ったものだという感じが混じっているように見受けられる。
「では、すぐに布陣にかかれ」
「はっ!」

 陽はだいぶ高くなってきた。風が強く砂塵がまっている。工兵隊が歩兵を割って進んでいく、車輪をつけた台の上に、巨大な丸太が結わえられ引っ張られていく。車輪は、両側で八輪の巨大な台車が、二台であった。城門を突き破る道具らしく思われる。
 そのほかに巨大な弓が取り付けられている台車が四台。その後を、二人で動かせる小振りな台車が数十台連なっている。
「王子、あのような者で隊長が務まるのですか」
「あの緩んだ身体、とても軍人とは思えません」
「あのような男、王子は何処で見いだされたのですか」
 ケペウスとコカロスが、口々に堰を切ったように話しかける。
「鉱石の採掘現場で見つけた男だ。強欲で淫猥な監督官で有名であったが、採掘の才は見るべきものがあった」
「何故に、そのような下品な男を臣下に取り立てるのですか。ましてや隊長にするなど」
 コカロスが自慢の長刀の柄を、しごきながらキュロスに詰め寄った。よほど嫌悪を感ずるらしく、王子の許可が下りれば首を刎ねる勢いである。
「コカロス、いきり立つでない。いずれ軍規に背いたかどで処断されるであろう」
 処断するのは他でもない、キュロス自身である。
「軍規にそむくと申しますと?」
「落とした城で、略奪、強姦することを欲する下品な男だ。コカロスこう言えば解るか、役にたつ内は大切に用いる。しかし、あの男の技術を盗んだときがあの男終わりだ。既にその為の手は打ってある」

「先ほどから気になっておりました。あの弓はなんですか?」
強弓を引くことを誇りとする、ケペウスが言った。
「火矢を放つ弓である」
「あの巨大な弓は、いかなこのケペウスといえども引くことは叶いませぬぞ」
「心配致すな、弓を引く装置も付いておるわ」
「あのような物が、役にたつのでしょうか?」
「試してみなければ解らぬであろう」
「それは、そうですが・・・・・」
 台車の側を歩く兵士も変わっていた。武器を携えず、鋤、鍬を抱え、槌をかついでいる者もいる。兵士と言うより、土木作業員といった姿だった。台車のあとを、丸太を担いだ兵士が延々と続いていく。
「王子、あれは何ですか」
「櫓を組む丸太である」
「櫓?」
「そうだ、櫓だ。あれで城壁を乗り越える」
 キュロスはケペウスとコカロスにも秘密で事を運んだようであった。

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